1か100か

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 困っているのを見て手を貸せば、なんだかんだとあてにされ。 自分からあいさつをすれば、異性から「自分に好意がある」と誤解され。 締め切りを守ろうと努力すれば、次から次へと仕事を回される、そんな日々。  『人にやさしく』『あいさつをする』『時間を守る』  学生生活で大事にしなさいと言われてきたルールは、『いい人』を作るための材料で、 そのいい人は、社会に出たら都合よく利用される側へと回される。 そのことに気が付いたとき、私は名前のとおり、1か100かしかないのだと知った。  自分を大切にして相手からの信用を失うことが1、相手を大切にして自分が苦しい思いをすることが100。 そのどちらかしか選べない人生が、私にはお似合いだってことなんだろう。  一宮百花、それが私の名前だ。      *  「別に1か100かってことはないだろ」  そんな言葉とともに、カウンターにグラスが置かれる。 頼んだ覚えがないと返そうとすれば「いいからいいから、まあ飲め」とグラスを差し戻される。 拓巳は言い出したら聞かないところがあるのはよく知っているから、口をつける。  お酒かと思えば、ジュースだった。かろうじて、炭酸は入っていたけど。  「だって、百花は、3も8も持ってるじゃんか」  拓巳の手が粗い目のおろし金のようなものを使って、粉チーズを振りかけていく。小学校のときから 「じいちゃんの代から続くこの店をおれはやるんだ!」と言っていたのは、本気だったみたい。 そうじゃなければ、昔ながらの洋食屋で出されるミートソーススパゲッティが、こんなに美味しそうには見えないはず。  調理の専門学校を卒業して、厨房に入ることを許された拓巳はすっかりプロっぽい。 私と一緒で「新卒」のくくりに入るくせに、ずるい。 手つきを眺めていたら、会話の反応が遅れた。3と……何?  「いち(1)の、み(3)や(8)もも(100)か、だろ? 数字だけ並べたら、1万3810。100どころじゃなくね?」  私の名前の数字部分をご丁寧に指文字で作りながら、拓巳が得意げに言うものだから、 そういえば、拓巳ってこういう人だった、なんて改めて思う。 揚げ足を取る、と呼ぶにはあまりにも悪意がなさ過ぎて、突拍子がなくて。助けてくれるのかと思いきや、まったくフォローにならない発言をする。  でも、その気の良さと鈍感さで、いつも助けられていた。  「おい、馬鹿なことデカい声でしゃべってんじゃねぇ」  おじさん……拓巳のお父さんが拓巳の肩のあたりを叩いて、その後ろを通り過ぎていく。 ラストオーダーが終わったから、レジ打ちやフロアのほうに回っていたのが片付いたらしい。  ああ、違うのおじさん。拓巳はさぼってたわけじゃなくて私の話を聞いてくれていたの。 そう言おうと口を開きかけたときだった。  「1万3810じゃなくて、13万8100だ。この店の店員は数字の勘定もできねぇのか、って思われんだろうが」 「え、嘘!?」 「二十歳過ぎてもこのザマとは……小学校からやり直してくるか?」  おじさんの指摘に、拓巳が頭をかしげるものだから私も数えなおしてみる。一、十、百、千、万、十万……あ、ほんとだ。 拓巳はといえば「うわ、マジだ」と、見るからに肩を落とした。そして気まずそうに私を見た。  「…………」 「……ふ、あはは」  その態度に私は思わず噴き出した。いつもイマイチ決まらないのが拓巳なんだから、気にすることないのに。突然笑い出した私に驚いたのか、周りがちらりと私を見るけど、今日だけは気にしない。  もうちょっと頑張ろうって思えた。 1でも100でもなく、13万8100。その数字にどれだけの価値があるのかはわからないけれど。  私の周りは、こんなに あったかいんだってわかったから。
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