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しかし、幾ら実際、烏合の衆が増えても問題がないからと言って、それとこれとは別である。
わざと小さく息を吐くことで無言の抗議をエラルに伝え、それから頷く。
「わかりました。フェニ・シャルタとフェニ・タルシャにはお伝えしておきます」
「任せる」
「では、私は合同訓練関係の各種申請書をまとめて処理してきます」
「ああ、頼む」
「あ、エエン。ついでにこれも持っていってくれる?」
「はい、構いませんよ」
1月後に控えた合同訓練関係の各種申請書は、訂正があれば直さなければならないため待っていただけの書類である。
そのままに決定したなら、出来る仕事はやってしまうに限る。
エエンを見送ったエラルが自分の執務机に座るのを見届けて、キリラは保留していた書類仕事を再開した。
「あ」
だがその手は、再開後直ぐに止まってしまう。
「しまった」と言いたげな小さな呟きと同時に、キリラは再び顔を上げた。
そう離れていない場所で上がった声に、未決裁の書類を取り出したエラルも視線を向ける。
そこには少し申し訳なさそうで、酷く気の毒そうで、そこはかとなく面白そうと言う、なんとも言い難いキリラの顔があった。
「済みません、ウェニ・エラル。忘れてました」
エラルは反射的に眉を顰めた。
何と言おうか、嫌な予感しかしない。
「ウェニ・ホノカから伝言です。“今宵は妾も珍品を見に行ゆくえ、よい酒をたんと用意せい”とのこと。
ウェニ・ノユクだけは狡いだのとも仰ってましたが、お約束があったんですか?」
やはり録でもない報せだったと、エラルは息を吐いた。
揶揄するような顔のキリラをつい睨み、問いに答える。
「先程、帰り途中に出くわして決まった」
「それは、また……電光石火ですね」
「誰ともすれ違わなかったが、使いが来たのか?」
「いえ、砂伝えが」
キリラの告げた「砂伝え」とは、この国の軍事連携の要となる情報伝達手段で、ライラを使用して音声保存、再生を行う道具である。
ライラ――砂を使い伝言するもの、と言うことで、安易に「砂伝え」と呼ばれているが、正式名称は「ルカムヤラシッカ・イム」と言う。
保存した音声は1度しか再生出来ないが、何も保存されていない状態になれば何度でも音声保存が可能である。
ただし、伝言を届けたい相手の元へ動くような機能はないため、戦場では鳥が運ぶか、ワッカイルルを参考に作られた転送装置を使うか、最悪の場合は矢やナイフにくくりつけると言う物騒な方法で届けている。
故に、音声保存も再生も、使用法は将かそれに近しい者しか教えられない軍事機密である。途中で拾った誰かに再生されては困る。
ちなみに今回は、窓から矢が飛んで来てキリラの机に刺さった。
「矢もライラも、無駄遣いにも程があるな」
「まあ……ウェニ・ホノカですからね。もう慣れました。
あの方に関しては何事も諦めが肝心ですよ」
と言うわけで、御愁傷様です。
5人のウェニの紅一点、ホノカ・イル・タハルクルンを知る者なら全員が納得する表情でそう告げる部下に、エラルの眉間に深い皺が寄った。
思わず額に手をやって、指で伸ばす。
第3軍の司令官にしてライラ研究の第一人者であるホノカは、奇人変人として有名である。
この通り唯我独尊の性格から、ホノカに目を付けられた場合は黙ってやり過ごすしかないと、彼女を知る者には災害の如く扱われている。
元は日縹国の人間で、かつてワッカイルル作成の際に一緒に研究を行ったカムイカラの研究者と意気投合した結果、相手と国2つ――日縹とカムイカラ――を口説き落として婚姻を結び、最終的にカムイカラに籍を置くこととなった。
結婚当時はまだ伴侶より低い地位の軍属研究者だったが、長い年月で紆余曲折あり、女性でありながらウェニに任じられている。
この経歴からわかるように、少なくともワッカイルルが作られる前から生きているはずなのだが、見た目は非常に若々しく、とてもそんなに年嵩だとは思えないような――もとい、昔から変わらぬ美貌を誇っている。
また、2年前の戦争をウェニとして生き残った猛者でもある。
あとは特徴としては、地元日縹ですら最近はあまり聞かない、妙な言葉使いをする。
あれは多分わざとで、周囲全部をからかっているんだ、と誰かが憤慨しながら断言していた。
そんなホノカはどうもエラルのことは気に入っているらしく、事あるごとにちょっかいを出してくる。
今回のような急な乱入も、そこまで珍しいことではなかった。
── 一体どうやって、先程のエラルとノユクの会話を拾ったか、等とは。
疑問に思っても、決して聞いてはいけない。
聞いたが最後、確実に聞いた方が後悔する答えが返ってくる。
今キリラが言った事が真理である。
ホノカに関することで少しでも平穏を望むなら、何事も諦めが肝心だ。
「まあ……構わない、が」
一方的に決めてきたホノカにしてみても、エラルから断られるとは露とも思っていないだろう。
だからまあ、それ──ノユクに便乗してホノカもマキを見に来ることは、問題ない。
ただ何とはなく釈然としないのは、何故自分ばかりが彼女の被害に遇わないといけないのか、と言う、ぼやきにも似た感情。
そこではた、と。
エラルは不意に、その釈然としない感情を満足させる妙案を閃いた。
「キリラ」
「はい?」
「合同訓練の詫びに、今夜は俺が夕飯と酒を奢ってやる」
「え」
ノユクが来ると決まった段階で、どうせ家に使いを出さなければとは思っていたのだ。
今ならまだ、招く人数が増えることに障害はない。
「……え、いや。遠慮します」
「遠慮は要らない」
「させて下さいよ!」
「エエンも誘う」
「あの子は素で喜んで行きますよ!」
そうと決まれば、少しでも早く使いをやるに限る。
キリラの抗議を右から左へと聞き流し、エラルは書類を持ったまま座ったばかりの椅子から立ち上がり踵を返す。
「あ、ウェニ、その書類上から3枚は急ぎですから──じゃない、ちょっとどこ行く気ですか!?」
「急ぎか、わかった。暇そうな伝令兵を見繕いに訓練場に行ってくる」
「うわ聞こえてんじゃないですか!」
そう。
1人で被害を受けるのが癪なら、被害者を増やしてしまえば良いのだ。
徹頭徹尾聞く耳持たず執務室を出たエラルは、他に巻き込めそうな人間は誰か居ただろうかと、思考を巡らせた。
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