救助

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交渉成立、と小さく呟いて、男が右手を青年に差し出す。 「俺のことはマキって呼んで。これから宜しく」 握手の風習を知らない青年は馴れ馴れしく名乗った男──マキと、差し出された手を凝視する。 その仕草でこの辺りには握手の習慣がないことに気付いたマキは、握手の方法と自分の知る挨拶だと説明して、次に首を傾げた。 「この辺ではこういう改まった挨拶ってどうやるんだ?」 そんなことも知らないのかと胡乱げな視線を投げた青年だったが、小さく息を吐いて幼子でも知っている常識を説明した。 「胸の前で両手を組んで頭を下げる」 「こう?」 「ああ。……相手によって頭を下げる角度が変わる」 「お偉いさんには深く頭下げるってこと?」 「礼の角度は敬意の深さを表している」 「……ふーん?」 「貴族には貴族用の礼儀作法があるが、庶民は知らない者も多いため、知らないのなら知らないなりに礼を尽くせば咎められることは滅多にない」 つまり偉くても尊敬出来ない人間には軽い礼でいいと言うことかと、マキは内心で自己完結した。 初対面で深く下げることは少なそうだなと、独り言ちる。 「後は、軍属の者は敬礼だな」 「へー、敬礼」 青年の言葉を繰り返しながら、マキは脳内で自分なりに情報を蓄積していく。 貴族が居る、身分制度があるということは即ち、この砂漠にはある程度大きな単位の政治的共同体が存在すると言うことだ。 さらに軍も存在する──公的な武力組織が運営されていると言うことは、具体的な外敵が存在する可能性が高い。 同程度の規模の政治的共同体、つまり国家が複数存在していて対立しているか、していたか。 もしくは国家を挙げて抗わなければならないような、所謂「天敵」が存在する可能性もある。 「敬礼ってどうやるの?」 マキが言外に「やってみせて」と依頼すれば、青年は最早諦めたのか、何も言わずに櫂から手を放した。 櫂は一部分でゴンドラ風陶器の縁と繋がっていて、青年の手から離れた櫂が、陶器に当たってカランと音を立てた。 青年は滑らかな動きで右手を握って胸に当て、左手を腰の剣柄に添える。 この時、決して剣の柄を掴んではいけない。敬礼時は剣を押し留めるように添えるのが作法である。 「こうだ」 マキはまた、へらりと笑った。 「ありがと。恩人さん、軍人なんだね?今日は休暇?」 この言葉に、青年が微かに目を瞠る。 表情の変化は一瞬だったが、青年はその後ほんの少しだけ変化した視線で、改めてマキを観察した。 「……何故そう思った?」 マキは首を傾げる。 曲がりなりにも大人の男がやる仕草ではないが、この男がやると不思議とあまり違和感がなかった。 「何が?」 「何故俺が軍人だと思った?」 「敬礼、慣れてるから」 「休暇は」 「軍の仕事って大体2人1組でしょ?もし1人の極秘任務だったら俺みたいなの拾ったりしないだろうし。それともこの辺では違うの?」 「……いや。そうだな」 特に何も考えていないように見えて、それなりの観察眼はあるらしい。 青年はそんな風にマキを評価した。 「……恩人さん。なんか、失礼なこと考えてない?」 「気のせいだろう」 青年は再び櫂を握り、ゆっくりと漕ぎ出した。 先ほどの敬礼実演の際にもゴンドラ風陶器は進みを止めなかったため、櫂の推進力だけではなく、砂自体に流れがあるらしいことがわかる。 否、見る限り、地平線や砂山に流れなどないのだが、陶器の下にある砂だけが静かに波打っている。 今更ながら疑問を覚えたマキは、そのまま青年に問いかけようと口を開きかけ── 「俺はエラル。お前が言った通り軍人だ。  ──助けてよかったと、思えるくらいの礼を期待しておく」 耳に届いたこの声に、言葉を取りやめて嬉しそうに笑みを浮かべた。
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