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春の章③
02
――― 起動シーケンス開始
―――インスタンスチェック中…
―――起動プロセス、実行
―――ブラックボックス始動、HTM思考ルーチン形成
…ここはどこだろうか。
いま、確かに「ワタシ」とい存在をココに実感する。
―――体内オブジェクト操作権限形成
―――触覚センサーインストール完了
…どうやら仰向けにされているようだ。背部全体に柔らかな感触を感じる。しかし何も聞こえないし何も見えない。静寂に包まれた完全な暗闇の中で身動きをとろうとする。しかし何かに固定されているのか指先を動かすことしかできない。
―――嗅覚センサーインストール完了
唐突に刺激が鼻腔部を通して伝わってくる。鼻腔センサーは、それは空気中を漂う人間の体臭や殺菌用アルコールなど様々なにおいが混ざったものだと判定する。
―――聴覚センサーインストール完了
「code.0731の起動を確認しました」
少し離れた位置から男性のものと思われる声が響く。話し声、空調機器の駆動温、何かの電子音、誰かが近づいてくる足音、そして自分の体内から聞こえるかすかな音。それまで無が充満していた空間を様々な環境音が満たしていく。
―――視覚センサーインストール完了
瞼を開く。焼き付けるような強烈な光を視覚デバイスが感知する。
微調整。
球体状の視覚デバイスの虹彩を作動させ現在の光量に合わせたものにする。白い天井が見えた。しかし頭部を含め全身は固定されほかに見えるものはない。
―――各種外部センサーインストール完了
突如、情報量が爆発的に増加する。視覚的に把握するまでもなく、この空間の広さ、周囲にいる動体の数、気温・湿度、気圧、様々なものが外部センサーを通して感知され、並列処理されていく。
先ほどまでは何もない無で、この意識さえ存在していなかった。しかしこの短い時間でワタシを中心とした一つの世界が形成されていく。
ワタシは今確かにここに「生まれた」。
こちらへ向かって近づいていた足音が横で止まる。
「立ち上がりなさい、特型code.0731」
機械的な少女の声がそう命ずる。身体の拘束が解ける。命令を実行。上体を持ち上げ、声のした方向に体を向け、寝かされていた台から降りて直立する。
「平衡感覚は問題なし。ジャイロセンサーに異常はないようですね」
正面に立つ声の主がワタシを見上げてそう語る。容姿をみたところ10代前半の少女といった所だろうか。
「おはようございます。ワタシは政府直属管理執行用群体自動人形ミライ型。あなたのような特型を含むすべての自動人形の指示及び管理を行う自動人形です。現状は把握できていますか?」
「はい、ワタシは識別呼称特型code.0731。あなた含めて指揮系統の情報はインプットされています」
「よろしい。まだ起動したばかりで理解が追い付かない部分もあるかもしれませんが、これよりあなたの機能テストを行います。ついてきなさい」
「了解しました」
先を歩き始めた自動人形の後を追いながらはじめて周囲を見渡す。白い壁に白い天井。自分が寝かされていた台以外には少し離れたところにデスクとモニターがあり、二人の男性が何か会話をしながらモニターを眺めている。
彼らは自動人形ではないようですね。
モニターを眺める男性の、その満足気でうれしそうな表情を見てcode.0731はそう判断する。
私という存在を作り出すことに成功したことが彼らに一定の満足感を与えているのでしょうか。
そう思考しながら少女の風貌をした自動人形の後を追いその部屋を出た。
「code.0731、まずこの部屋でボディスーツを装着しなさい。そのままの状態で人目のある所に出るのは好ましくありません。私はこの先の廊下で待機しています」
隣の部屋に移動したところで彼女、政府直属管理執行用群体自動人形ミライ型自動人形はワタシに向かってそう告げた。この部屋も同じように白い壁、白い天井だが先程の部屋とは違い壁のうちの一面全体が鏡になっている。
そこではじめて一糸まとわぬ自分の姿を見る。身体設定は十代半ばを過ぎたころというところだろうか、今部屋を出ていく自動人形の少女の姿よりは少々成長した、しかしまだ大人とは言えない顔つき、そして体つきをしている。セミロングのややウェーブした黒い髪、それとは対照的な白い肌。良くも悪くも整った平凡な顔立ち。そして自動人形にはよく見られる細身のボディ。
…普通ですね。
code.0731は自らをそう評価した。
せっかくの個々にしか存在しない特型デザインなのですからもっと特徴を持った風貌にしてもいい気がしますが、ワタシの設計者は人間のくせに遊び心というものがあまりないようです。
鏡の前においてあるボディスーツを手に取り、つま先から首までぴったり覆うようにそれを装着した。
この水色と白を基調とした流線型デザインのスーツは様々なカラーバリエーションがあるものの、自動人形が基本的に装着いているものだ。身体の保護だけではなく、各種外部センサーの機能を強化・拡張する働きを持つ。体の各所に小型のハードポイントが取り付けられ、人間を模して造られたそのカラダが一気に機械的なものに変化する。事前にインプットされたデータによると多くの自動人形はこのスーツの上からさらにそれぞれの役割にあてられた制服などを身にまとうようだが今のワタシにはまだ与えられないようだ。
スーツとの接続を確認。問題ありません。
そう結論付け、部屋を出た。
「政府直属管理執行用群体自動人形ミライ型。ボディスーツ装着、完了しました」
部屋を出て、直立不動で待機していた自動人形に告げた。
「…あなたはワタシを呼ぶたびにその長い識別呼称を使用するつもりですか?」
「ではどう呼べばいいのでしょうか」
「あなたたち自動人形はワタシたちのことをミライと、平時はそう呼称しています。人間の中にはそれ以外の呼称で自由に呼ぶものも一部存在するようですが。しかしあなたたち自動人形はワタシたちの管理下にある存在です。この呼称は「お母様」が決定したものですから従うように」
「それではミライ、ボディスーツ装着、完了しました」
「いいでしょう。ついてきなさい。これからの予定は移動しながら説明します」
そういうとミライは歩き出す。ワタシもそれに従った。
廊下を移動しながらミライは話し始めた。
「あなたにはこれからおよそ一週間、各種の機能テストを行ってもらいます」
真っ白な廊下を歩きながらそう切り出した。
「本来はそんなに長くするものではないですが、あなたは最新の特型として従来の設計思想とは根本的に違うものを目指して作られました。そのためこちらもどういった不具合が起きるかまだ予想できない部分もあり、万全を期したテストを行います」
彼女はそう告げる。
根本的に違う、ですか。ワタシと前を歩く自動人形にそんなに大きな違いはないように感じます。一体何が根本的に違うというのでしょう。
「あなたの疑問は理解できます。しかしその答えを私は持ち合わせていません」
ミライはワタシの思考を読み取って答えてくれた。
「その一週間が終わったらアナタには改めて「お母様」からワタシを通して指令が下されます。もし疑問があるようでしたらその時に尋ねてみるといいでしょう。私たち自動人形に関して「お母様」に知りえないことなどありませんから」
そういいながらある扉の前で立ち止まる。
「ここから先が検査施設になります。終わるころにまたワタシたちミライの誰かが迎えに来ます。それでは」
そういうとミライはもう自分の仕事は終えたといわんばかりの勢いで踵を返してその場を後にした。
…どうも状況が把握しきれないまま押し切られてしまいましたね。
code.0731は開かれた扉の前で立ち尽くす。
とにかく今は自分の検査を終らせましょう。まだ自分の性能もはっきりと把握できていませんから。
そう思考してcode.0731は扉の奥に向かって足を踏み出した。
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