春の章⑤

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春の章⑤

04 「とりあえずウチがある方に向かってますけどそれでいいんすよね?」    成宮が助手席に座っている私に顔を向けながら言った。 「ああ、それでいいよ。ちょうどその第三周縁部居住地区のはずれのほうにハヤマっていう住宅地あると思うんだけどわかるか?」 「はいはい、わかりますよ。といってもあの辺は結構な高級住宅街で自分みたいなもんには縁がある場所ではないんで、実際あの地区の中に入ったことがあるわけじゃないですけど。聞いた話じゃ今時珍しく広い敷地を持った邸宅が立ち並んでいるんだとか、いったいどんな世界の人間が住んでいるんですかねえ」 「おまえの住んでるところからは近いのか?」 「ええ、まあ近いと言えば近いですけどハヤマ地区は僕が住んでいるところよりもさらに外縁部のほうにありますからほんとに近くまで行くことなんて滅多にないですけどね。近くまで行くとしたら休暇で実家に帰るとき空からドーム越しにチラッと林の中に大きな洋館がいくつか見えるくらいですよ。…それじゃあこれから行く目的地はハヤマでいいんですか?」 「そうだな、まずはハヤマに向かってもらおうかな」  成宮は座席により深く体を預けるとナビゲーションオペレーターAIを呼び出し、自動運転の目的地をハヤマに設定した。 「道もすいてるんでハヤマまで三〇分もかからないと思いますよ。…しかしなんで急にハヤマなんてところに行こうと思ったんです?」 「ん?ああ、遠見奏多の屋敷の住所がハヤマなんだよ」  変に胡麻化しても納得しなそうだったのでわざとらしく素っ気ない、まるで当たり前のことを言い忘れていたかのような調子でそう伝える。 「…それ、僕が聞いてもいい情報だったんですか?だいたいさっき会社であんまり関わらせたくない、なんてかっこつけていってたじゃないですか」  いや、まあそれはそうなんだけど…。  成宮の家が近いならその辺の地理も詳しいかと思い、ちょうどいいかと考えたのだ。それに彼には私がどういった依頼にかかわるのか何となく察しておいてもらいたいということもある。 「まあ依頼そのものにかかわらせるわけじゃないから問題ないだろう。依頼に取り掛かるのは今日からじゃないし、今日はその前準備として周辺の下見をしておこうと思って」 「ふーん、そのためにわざわざ僕の車までだしてこうして送迎させているわけですか」 「そんな人聞きの悪い。だいたい送ってくれてるのはお前じゃなくてこの車のAIじゃないか」 「この車は僕のものなんですから実質僕が送ってるんです!」  どうもこの後輩と一緒にいるとからかいたくなってしまう。社長の癖が完全にうつっている気がしないでもない。だが実際問題として依頼に取り掛かる前の準備というのは非常に重要だ。特に今回のようにどうなるかわからない案件ならなおさら大切だろう。あらゆるケースを想定して準備をしておけば意外なところでそれに助けられたりするものだ。 「だいたい成宮君、君は明日から休暇みたいなもんじゃないのかね?それなのにこれから重い案件を当分休みなしでやらなければならないセンパイに対して労りの心というものはないのかい?」 「いや、そんな社長みたいな口調で言っても可愛げないですから。遠見奏多に関わる案件やらされるなんてそりゃ確かに少し気の毒ですけど」  やはり彼らのような若い世代の人間にとって遠見奏多は「教科書に載っている極悪テロリスト」でしかないのだろう。先ほど社長室で彼女の写真を見たり、話を聞いた自分にとってはもうそんなイメージはあまり当てはまらないが。 「まあ俺のことは気にしないで君は休暇を存分に楽しんできたまえ。今回も実家に帰るのか?」 「ええ、一応明日から実家の方に帰らせてもらう予定です。ほんとはどこか旅行にでも行こうと思ったんですけど、一応正式には休暇じゃなくて「待機」なのであんまり遠くに行ったりしてすぐ動きにくい状態になるのはまずいかと思ったので」  …案外根はまじめなんだよな。  軽い調子の彼ばかり見てるとそうは思えないがこのご時世にこんな仕事をしているくらいだから彼にもいろいろ事情があるのだろう。 「成宮の実家か…。確か、えーっと、なんといったか。ヤマオク・シティだったか」 「ミチノク・シティですよ。田舎だからってバカにした名前つけないでくださいよ。そりゃ確かに都市の規模としては一番小さいですけど」 「すまんすまん。でもあそこらへんはまだ政府の土地改造も進んでいないらしいじゃないか。そのおかげで日本の古い素晴らしい景色が残っている唯一の場所なんだろう?」  それを聞くと成宮は自分の故郷が褒められてまんざらでもないのだろうか、少し得意げな笑顔を浮かべ車内のフロントウィンドウにいくつかの画像を映し出した。 「風景がきれいっていうのはその通りだと思いますよ。いまでも都市から出て、少し車を走らせればこっちじゃまず見れない自然の景色が広がっていますから」  成宮はいくつかの画像を指さしながら説明した。そこに写るのは、まるでカラフルな絨毯のようにどこまでも広がる紅葉に色づいた森や山、雪がまるで白亜の城壁のように道の両脇にそびえたち降り積もった様子、若い緑に色づき始めた山の中にところどころ少し出遅れたように桃色を覗かせる山桜の姿、人工ではない満天の星空、朝霧の中にたたずむ悠久の峰々。どれも人間のテクノロジーの殻に包まれた都市の中では決して見ることのかなわない自然の景色だ。  もちろん都市内部にも精神衛生上の理由からあちこちに小さな森や林、お花畑というような人々の安らぎのよりどころとなるものは多く設置されている。だがそれはあくまで人の手によって管理されているものだ。この画像に写る景色はそのスケールが、見る者に訴えかけるエネルギーの量が全く違う。人間たちに安らぎを与えるだけではない、厳しさを、生と死の循環を、人類の枠には収まらない何かを内包している。 「…きれいだ。それになんだろうな、うまく言葉に言い表せないような凄味のようなモノを感じるよ。画像でこれなんだ、生で見たらもっとすごいんだろうな」 「そりゃあもう、センパイみたいな都会のもやしっ子は卒倒すると思いますよ」    成宮の言葉に思わず苦笑いしてしまう。    なんだ、こいつから見て俺ってそんな風に見えていたのか…。  少し悔しい気もするが、確かに彼のような精神的逞しさは自分にはそう簡単に身につくものでもないことは理解している。 「田舎だなんて馬鹿にして悪かった。いいところじゃないか」  先ほどの自分の発言が恥ずかしくなり素直に謝る。 「いいんですよ、田舎なのは事実ですから。実際今のこの国ではミチノク・シティが人間の住む北限ですからね。それ以上先なんてホッカイドウに富裕層御用達の保養地が少しあるくらいですもん」  成宮の言う通り、現在ミチノク・シティより北に人間が定住する地域はない。ミチノク・シティはかつての東北地方、その中でも比較的栄えていた仙台市周辺に建設された「完全環境対応都市」だ。都市内部の人口はおよそ八〇〇万人。カントー・シティの人口がおよそ五〇〇〇万人ということを考えると小規模の都市であり、実際この国に存在する都市の中では最小の規模だ。 この国では基本的に都市以外の地域は今や政府によるトンデモ魔改造の結果、そのほとんどが農耕地などにされている。  しかし例外的に手付かずのまま残されている地域がある。それがかつての北海道、そしてミチノク・シティのある地域を除いた東北地方だ。これらの地域が手付かずのままでいられる理由はいくつか存在する。まず一つが、これらの地域をわざわざ改造しなくても現状ですでに十二分に国民の食糧等が生産できているという点だ。わざわざさらに大量の自動人形を生産してまでこれらの地域を改造するメリットが政府にとっては存在しないというわけだ。  そして何より大きな理由が気候変動だ。二二世紀半ばに入り地球は徐々に寒冷化が進行している。かつては温暖化が進み、その原因を温室効果ガスとした人間はそれらの排出を極限まで抑えた。しかし温暖化の要因は、もちろん温室効果ガスも少なからずあるが、結局のところこの惑星の周期的なものという部分が大きかったのだ。温暖化の山を越え、寒冷化の谷間に下っていくころになると今度はかつての温暖化対策がその寒冷化に拍車をかける形になり、極端な寒冷化が世界規模で進行している。東北地方も現在ではかなりの寒冷地帯になり、そこに大規模なプランテーションを開発するというのはあまりにわりに合わないことになってしまった。現在の北の地域は北海道にある夏の保養地を除けば人が住んでいるわけでもなく、かといって国に完全に管理されているわけでもない。半ば放置された地域のような扱いになっている。そこには長らく人間と人形の手が加えられていない、ほとんどありのままの自然の姿が残されているというのは今見た画像の通りだ。 「そういえばミチノクの方には足を延ばしたことがなかったな…。今回の依頼が終わったら休暇をとって一度そっちに遊びに行ってみるか」 「意外ですね。センパイ、仕事やら休暇の旅やらで国内外問わずあっちこっち巡ってるもんだからてっきりミチノクくらい来たことあるのかと思ってました」 「そうだな、俺も国内はだいたい回ったつもりだったけど北の方はあんまり目を向けてなかったよ」  …灯台下暗しという奴だろうか。勝手な思い込みで除外していたが案外そういった所に答えは転がっているものなのかもしれない
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