春の章②

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春の章②

 社長室につくとその扉はすでに開かれており、彼は立ったまま窓の外を眺めていた。背中からはどこか哀愁漂う気がするのは気のせいだろうか。その後ろ姿は普段の隙を見せない彼にはあまり縁のない空気をまとっていた。彼は窓の外の景色ではない、もっと別の何かを遠くに眺めているようだった。  何を考えているのだろう。  いや、自分みたいなものには到底想像できることではない。  ワタシは一呼吸をおいて咳払いをして声をかけた。 「社長、およびですか」    彼はゆっくりと振り返り、いつものようにやさしげな笑みを浮かべながら腕を組み、腰窓の台に体を預けた。 「挨拶もなしにいきなり声をかけられたらびっくりするじゃないですか、崎谷陸君」  たいして驚いてもいないくせによく言う。  玲愛(レア)・ベーメル、この人がベーメル民間総合警備会社の社長。イタリア人と日本人の間に生まれたハーフだ。生まれは日本ではあるが日本語のみならずイタリア語はもちろん英語、中国語、フランス語、そしてスペイン語を流ちょうに話す。その能力と誰からも好感を持たれる人柄から国内外に強力な人脈を持ち、さまざまな依頼を引き受けてくるこの会社の柱そのものだ。もう老年ということができる年齢にもかかわらず薄くなることのないきれいな白髪。やさし気な、しかしどこか鋭さの宿る瞳。やや痩せ気味ではあるが貧相な印象は受けず高そうなスーツを着こなしたその姿からは品格の良さがうかがえる。  こういう人間を超人というのかもしれない、もう出会って二十年以上は経つがいまだに底が知れない人物だ。 「それより、あんまりうちの後輩をイジメてあげないでください。休暇がみじかい、雑用ばっかりだ、なんて愚痴をこぼしてましたよ」 「そんな、イジメてるなんて人聞きの悪い。ちょっとした冗談のつもりだったんですよ。彼はあなたと違っていい反応してくれますから思わずほったらかしてしまいました」  この人にとって成宮は少しやんちゃな孫みたいなものなんだろうか。とてもうれしそうに目を細めて彼の様子を語る。 「それで、新年度早々出勤させられたってことは何かしらの依頼を私に回したいということでしょう?ほんとならあと一か月くらい休んでるつもりだったんですが」  このままでは本題からどんどん話が離れていく気がしたので強引に話を進めようとする。 「君は休みすぎです。もちろん、君が休暇を無為に過ごすような人ではないことは分かっていますが。第一なにが新年度早々ですか、桜もとっくに散って、もうきれいな新緑が見られる時期ですよ。ああ、そういえば今回の休暇はなにか収穫…」 「社長?」  社長の話を思わず遮る。  なぜ依頼の話に入らないのか。彼は確かに相手との会話を楽しむタイプの人間だが、普段仕事の話に関してはもっと単刀直入にすすめているはずだ。 訝し気に相手に視線を送る。  すると彼は一度きつく瞼を閉じた後、あきらめたようにため息をついて窓際から離れ、自らのデスクの席に深く腰を下ろした。そしてその柔和な表情を心なしか引き締め、まっすぐとこちらを見据える。  そう、仕事の顔だ。 「まったく、付き合いが長すぎるというのも考え物だね。私は相手のことを見透かすことは好きでも見透かされるのはあまり好きではないんだよ」  それは誰だってそうだろう。世の中自分のことを他人に見透かされて気分のいい人間なんてどこを探したっていない。 「珍しいですね、気が進まない依頼なんですか」  うちに来る依頼なんてグレーなものがほとんどで普通の人間ならどれも気が進まないようなものばかりだ。しかしこの人はどんな依頼であろうと完全に「黒」な案件以外なら淡々と対応してきた人物だ。そんな彼がこうも歯切れの悪い態度をとるというのはいったいどんな依頼がうちに舞い込んできたのか…。 「大丈夫です、あなたが想像するようなモノではありませんよ。ウチは違法行為にはかかわらないことがポリシーですから」 「ではなぜ…」 「今回の依頼は私の個人的な、しかもかなり古い知人からのものでね。まったく、年は取りたくないものですね、少々感傷的になってしまいました」  その言葉からは先ほど彼の背中から感じられたものと同じ哀愁を感じ取ることができた。それだけでその相手が彼にとってただの知人では済まないであろうということが私でも容易に想像できる。  彼は私と自身の間にホログラム・ウィンドウを表示させ、そこに老年の女性、年齢は彼と同じくらいだろうか、の姿を映し出してこう切り出した。 「遠見奏多(とおみかなた)、という人物を当然知っていますね」    唐突に出てきた名前に息をのむ。 「ええ、名前だけなら。かつての争乱において反政府側の勢力の組織の重要人物と目されていた人物ですね。しかし彼女が武力衝突やテロ活動にかかわっていたという決定的な証拠はなく、現在に至るまで約四十年間、政府の監視下に置かれている状態ではあるものの逮捕はされていないときいています」  世間的に知られている情報をただ並べている間も私は表示された画像の女性から目が離せなかった。 「まさか、この女性が遠見奏多なのですか」 「そうです、彼女の容姿は世間には非公開ですからあなたも目にするのは初めてでしょう。そして今回の依頼は彼女、遠見奏多からなのです」 「それは…」  それにはさすがに驚きを隠せない。そしてものすごい勢いで頭の中でいくつもの疑問が湧き上がってくる。 まずなぜそのような人物と社長は旧知の仲なのか。一体彼女がどんな依頼をしてくるというのか。ウィンドウの中でほほ笑む女性、遠見奏多。なぜだろう、彼女の笑顔は何か惹かれるものがある。 「あなたがそんなに驚きを表情に出すのも珍しいですね。私も驚きましたよ。何せ彼女から連絡が来るのは数十年ぶりでしたから。そしてもっと驚いたのがその依頼内容です」 「彼女はどんな依頼を?」  ろくに整理もできていない頭を必死にフル稼働させながら会話を進めた。 「彼女の依頼内容、それは彼女自身の護衛です」  護衛?一体彼女が誰に狙われる可能性があるというのだろうか。 「情報が正しければ現在彼女は政府の監視下であり、身体の自由は保障されていますが軟禁状態といってもいいくらいです。そんな彼女を襲撃しようとする人物がいるとは考えづらいのですが」 「今は少々状況が複雑になってきているようでね、まずはそこから整理して説明しましょうか」  社長はそう言って新しく情報が記載されたウィンドウをいくつか表示した。 「かつての残党なのか、それともまた新しい勢力なのかはわかりませんが、どうやら水面下でまた反政府勢力の活動が活発になっているようです。彼女にいまだ求心力があるかはわかりません。しかしその勢力によって遠見奏多が象徴的存在として利用されることを恐れた政府は従来の監視をより強化し、最新の特型自動人形を彼女のそばにつかせることを決定しました」  どうも話が見えてこない。政府が彼女の監視をより強化し、護衛までつけるというなら私たちが護衛をする必要がないではないか。 「しかし問題はその政府の護衛なんですよ」  社長はそう言って話を続ける。 「これは彼女、そして私の推測ですが彼女につけられる自動人形の任務はおそらく護衛だけではありません。なぜなら彼女は少々特別な才能をもっておりまして、政府はそれに薄々感づいていると思われます。それが反政府側の勢力に利用されるのを恐れ、もし彼女が危険な存在だと判断できたらその存在ごと処分するつもりなのでしょう」 「それなら政府はわざわざ監視を強化せずとも相手側が動き出す前に彼女を処分してしまえばいいのではないですか?」 「おそらくそうしないのはいくつかの理由があります。まず彼女自身、年齢はすでに七十近いですしいくつかの病も抱えています。おそらくわざわざ手を下すまでもなくそう長くはないでしょう」  そういいながら彼はその事実を悲しむように視線を落とした。 「そしておそらく一番の理由が彼女を餌にしようと彼ら政府は考えているからです」 「なるほど、彼女は反政府勢力に対するおとりというわけですか」 「そのとおりです。ですから彼女の命があるうちは政府側も彼女自身が危険な存在だと判断しない限りそうそう彼女に手は出さないでしょう」  ここまできてようやく状況が理解できた。それと同時に嫌な予感が頭をよぎる。 「それでは社長、依頼内容というのは遠見奏多を反政府勢力から護衛するだけではなく…」 「ええ、護衛するのは反政府勢力からだけではありません。必要とあれば政府からも彼女の身を守ってください。お願いします。これは依頼主だけではなく私自身からのあなたへの依頼でもあるのです」  そんなの無茶だ…。 反政府勢力から守るだけならどうとでもなるだろう。しかし彼女が政府から狙われた時にその身を守るなんてまず不可能だ。彼女のそばに置かれる自動人形は最新の特型であろう。そんな存在が護衛対象の懐に最初から入り込んでいてはとてもじゃないが守り切れるものではない。 「非常に厳しい案件であるのは理解しています。しかしできる限りのことはしてほしいのです」 「わかりました、最善は尽くします。これでも一応プロフェッショナルですから。しかし保証はできません」  そういうと彼は仕事の顔を崩し穏やかにほほ笑んだ。 「その言葉だけで十分です。どうかこの出会いはあなたにとっても大切なものになることを願います。準備ができ次第案件に取り掛かっててください、詳細な情報はあなたの端末に送信しておきます」  そう言って彼は席を立った。それが仕事の話は終わりという合図だった。 「ちなみにこの仕事を任せるのはだれよりも信頼している崎谷君、あなただけです。会社の備品等は自由にいくらでも使ってかまいません。ですがほかの社員、成宮君たちはあまりかかわらせないようにしてください」  その言葉の裏に隠された意味はわざわざ聞かなくても理解することができた。もしかしたら国と事を構えることになるかもしれないのだ。たとえ最悪の状況になってもほかの社員に矛先が向かないように社長、そして私だけへの依頼にしたいのだろう。 「わかりました、ところで最後にいくつか質問してもいいですか」  部屋を出る前にふと足を止め向き直って彼に尋ねる。 「ええ、どうぞ」 「遠見奏多の特別な才能とはなんなのですか。政府がそれほど恐れるようなものなのでしょうか」 「それは私の口から伝えなくても彼女と過ごしているうちにおのずとわかるでしょう。ただ一つ言えることは、それは現在の社会の在り方を根底から覆す可能性もあるものだということです」 「…それはすごいですね」  すごいにはすごいが具体的な情報が一切得られなかったのでなにも想像ができなかった。とにかく行けばわかる、自分の目で確かめろ、ということなのだろう。 「それから最後にもう一つ。社長と彼女はどういった関係だったんですか」 「ヒミツです。あと彼女に余計な詮索もしないように。そうですね、この案件が無事終わったら教えて差し上げましょう」  彼はとてもうれしそうな笑顔を浮かべながら普段私たちをからかう時と同じ声音でそう話した。 「お疲れ様っす。センパイ、どうでした?やっぱりなんか新しい案件わたされました?」  社長との話を終え自分のデスクに戻ると先程の後輩、成宮が私の席に座ってまちかまえていた。 「はいはい暇人はどいたどいた。なんだ、あれからわざわざここで待ってたのか」 「だって実際暇なんですもん。早く出勤し始めたせいで自分に回ってくるような雑用はだいたい片付けちゃいましたし。それに何より、ここで待ってればセンパイが社長から楽しい案件持ってきてくれるかなー、なんて」  軽い調子でそんなことを言いながら彼は立ち上がった。 「そうか、やる気になってくれてるところ申し訳ないが成宮君、おめでとう。休暇が短かったってぼやいてたろう、今日から君は当分待機だ。まあ待機といっても自宅謹慎じゃないからな、頼みたい仕事ができたときにすぐに連絡さえ取れればどこにいたってかまわない。実質休暇みたいなものだ」 「そんな、何か案件頼まれてきたんじゃないんですか?せっかくやる気出して待っていたのに」  意外にも成宮は口をとがらせながら不満を言う。 「そもそも、それじゃなんで社長はセンパイのことを呼び出したんですか?そんなのわざわざ呼び出さなくても連絡すれば済むことじゃないですか」  後輩の言葉にワタシの言葉が詰まる。  さて、どうしたものだろうか。この青年が訴えることももっともだ。しかし私が社長から個人的に依頼を受けたと教えれば彼は嫌でも首を突っ込んでくるだろう。あまりこの案件にほかの人間をかかわらせてはいけないといわれている以上それは避けたい。  いや、この際遠見奏多のことを伝えてしまった方が早いのか?そうすれば「いざというとき」、彼も状況が把握しやすくなるだろう。 「確かに社長から依頼を受けた。だがすまないけど今回の案件は社長から私個人に依頼された物なんだ。ほかの人間はできるだけ巻き込まないように言われている」  まじめな表情でそう伝えると、それだけでただ事ではないことを感じ取ったのか、彼もその表情に真剣なものが宿る。 「今回の案件は遠見奏多にかかわるものなんだ」  その短い言葉だけで理解したのだろう。それだけ彼女の名前は知れ渡っている。彼の世代なら教科書に載っていてもおかしくない名だ。 「それはまたずいぶんなビックネームが出てきましたね。さすがの僕も変に首を突っ込んで痛い目を見たくはないですよ」  彼は首を振りながらあきらめたように両手を上げる。 「わかりました。おとなしく休暇を延長して実家にでも帰らせていただきますよ」  そういって私のデスクを離れ、 「先輩も本当に気を付けてくださいね。もしものことがあったらこんな僕でもどんどん頼ってください。まあ頼りないかもですけど」  またいつものような笑顔に戻ってそういうと自分のデスクへ戻っていった。  彼の背中を見送っていると私の端末が振動し、メッセージが届いたことを知らせる。それは社長から、先ほどの依頼の詳細な内容が添付されたものだ。いくつかの遠見奏多の個人情報の中に彼女の住所を見つける。これは確か周縁部にある高級住宅街のあたりだったろうか…。 「成宮!」  そこまで考えたところで思わず大きい声を出して今まさにこの場を去ろうとしていた彼を呼び止める。彼は驚いたように振り返るといつもの調子で反応した。 「な、なんなんですかセンパイ。いきなり大声を出さないでくださいよ」 「おまえ、確か今住んでるのって第三周縁部居住区だったよな?」 「ええ、まあそうですけど…」 「よし、休暇に入る前にちょっと一日付き合ってくれ」  そういうと思わず笑みがこぼれる。 今回の案件がどのように展開されるのかはわからない。だがだからといって何もせずに状況に流されるというのは性に合わないではないか。それなら自分はただいつものように最善を尽くすまでだ。  端末を自分の懐にしまうと成宮の後を追って自分も席を離れた。
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