杞憂

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杞憂

「何を言っているのかわかりません……」  僕にのしかかったまま、アレン様は静かに僕を見下ろしている。その目は、怒っているわけではないけれど、静か過ぎて居心地が悪かった。僕はシーツを握りしめて、視線の意図するところを考えないようにとやり過ごした。 「わからなくてもいい……。わからない振りでもいい――」  アレン様が心を込めてくれた言葉の数々に気付かない振りをしようとしている僕をアレン様は責めなかった。それどころか気付かないままでいいとまで言ってくれた。  どうしてという言葉の代わりに、僕は心にずっと重くのしかかっていたものを吐き出した。 「僕の家系は、ほとんどβしか生まれません。ファーカー家のようなαばかりを排出する名家とは違うんです。名家の方が選ぶΩは、ちゃんとしたαの家系に生まれたΩでしょう? 僕は……、僕のせいでファーカー家を……」 「お前は、本当に強情だ――。俺や父がそのことを考えなかったと本当に思っているのか?」 「それは――っ」  ギュウと抱きしめられると、責められているはずなのに安心してしまう。アレン様がいうように僕達が運命の番というものだからだろうか。 「リアンのために、他人であるΩを犠牲にすると決めた時、家族の一員として迎えようと言ったのは俺だ。俺の番として、父上がお前を連れてきた。強制されたわけじゃない、本当に嫌ならまだ選び直す時間はあった。だが、フェイ考えてみろ。名家のΩが、リアンのために犠牲になると思うか?」  狼族は基本的に家族を大切にする。特にαを家長とした家は、プライドも高いから、Ωである子供を犠牲にすることはないだろう。もしそれが公になれば、金、もしくは権力に媚びを売ったと言われ、誇りは地に落ちると考えるだろう。 「……」 「言葉が悪いが、ちょうどいいΩを探していた父の耳に入ったのは、たまたまお前が真っ白の毛皮で赤い瞳という珍しい組み合わせだったからだ。大人になったばかりで無垢な身体、珍しい色のΩが手に入ると店の人間がふっかけてきた。父上は、お前の人となりを調べさせて決めた。勿論、俺も了承した」  調べたというのは、僕の家系のこともだろう。  アレン様は了承したというけれど、最初に会った時は反対していたし、気にいらないようだった。アレン様は僕じゃないほうがいいと言っていたはずだ。 「でもアレン様は……」 「了承したさ、誰でも良かった。リアンが無事ならな。別に好きな相手がいたわけでもない。だが、出会ったお前は、抑制剤を飲んでいるはずなのにいい匂いがして……、身体が勝手に燃え上がった。俺だって抑制剤は飲んでいるのにだぞ? すぐに運命の番ってやつだと気がついた。これから妹のために身体を差し出せと命じる相手が、俺の運命だというのか。俺の相手なのに? 毛についていた匂いが不快だったから風呂にいれてやりながら、お前をすぐにも自分のものにしたくてたまらなかった――。そんな相手に、俺以外の男の前で発情しろと……?」  まさかそんな気分で洗われていたとは。匂うと言われて、田舎者だと揶揄されているのかと思っていたのに。アレン様と仲良くなりたいと思っていたけれど、あの時から嫌われていたわけではなかったのだ。僕に怪訝な目を向けているように見えたのに、アレン様は発情しそうな身体を平然と押さえ込んでいたのだ。 「アレン様、僕はリアン様を護るのに褒美なんて――」  まさか自分の番にするつもりだったとは、思ってもみなかった。そういえば、売られてきた使用人にしては、破格の待遇だなと思ってはいたけれど。アレン様もデリク様も何も言わなかったから。 「知っている。お前はリアンが好きだからな。俺の花のくせに、リアンを花のように大事にしているのが気にいらない――。リアンも俺の気持ちを知っていながら……。大体、リアンが嫁いだらどうする気だったんだ?」  アレン様は、随分抑圧されていたようだ。まさか、いつもの渋面はそのせいだったのだろうか。僕の事を気にいらないとばかり思っていたのに。 「えっと……リアン様についていこうかなと」 「嫁ぎ先にか? お前はリアンの夫に相手をしてもらうつもりだったのか?」 「なんで……そんな……。リアン様が赤ちゃんを産んだら、世話をさせてもらうかなと思っていたんです。別に僕は結婚とかするつもりなかったし」  僕は、デリク様に買われて、アレン様に継がれているから許しがもらえなければ相手がいても結婚はできない。それに、リアン様は綺麗だと言ってくれるが、狼族の中で僕のような毛色はあまり好まれないのだ。 「お前は、俺のものだと言っただろう? 俺を捨てていくつもりだったのか?」 「だって……、僕には子守くらいしか出来ることはないだろうし……。アレン様の赤ちゃんなんて見たく……なかった――」 「遠回しに俺のことが嫌だと言っているのか……? 俺の子供を産みたくないと」  静かだったアレン様の瞳が揺れて、握ったシーツが破れるのが目の端に映った。アレン様は、僕とは違って感情を制御するから、尾っぽや耳の動きだけではわからない。でも、今は怒っているとわかる。 「違います――っ! アレン様とのことなんて考えたこともなかった……。だから……」 「考えてみろ。何故俺の子供の世話はしたくなかったんだ?」 「だって……、あなたの、子供の、母親は――、僕じゃない……」  僕は、アレン様が築く家庭に居場所はないと思っていた。リアン様が僕だけの大事な花でなくなっても、幸せになってくれたらそれだけで嬉しいのに――……、アレン様は嫌だった。  僕じゃない誰かを抱いて眠り、僕じゃない誰かの匂いをつけたアレン様を見たくなかったからここにいたくなかったんだ。 「お前じゃないから……?」 「嫌、なんです――」  目を瞑り顔を背けている僕を抱き起こし、頭を撫でた。よく出来たと褒めるように。 「それでいい。次は、俺の子供を産むところを想像してみろ」 「アレン様の……」  服の釦を一つずつ外し、アレン様は僕を促した。 「俺の子供は、きっと手がかかる。小さな手、だろうな」 「力は強そう……」 「白色は気品があっていい……」 「汚れが目立つから――、アレン様の色がいいです……」  アレン様は、僕の毛色が嫌いじゃないんだと思うと嬉しい。頬の輪郭を撫でながら、アレン様は僕の首筋を舐める。 「アレン様駄目です――。きっと子供はどうしてβに産んだんだって怒ります。アレン様だって今はいいかもしれないけれど……、一人、二人、三人とβが続けて生まれたら……」  アレン様は、きっと愛情が深い。周りは皆何年も前に番を作っているのに、リアン様のために独り身だった。そんなアレン様が次々に生まれてくるβの我が子を疎ましく想う日があるかもしれないと思うだけで、恐ろしくてたまらない。  自分が飽きられるだけならいい。でも……。 「お前は、俺をみくびっている――。お前の産んだ子がβでも構わない。αの跡継ぎが欲しければ、父の親戚から養子をとってもいいし、俺が継がなくてもファーカー家は潰れたりしない。もし、最初の子がβならお前が生まれた村に移住しようか。あそこなら、αはほとんどいないだろう? 子供もきっと何も気にせず育つだろう。俺もここで神経をすり減らして働くより、お前ともっと時間がもてるからそのほうがいい。それか、リアンが嫁ぐリネット王国に行くか? あそこは雪豹が統治する国だが、種族はここより雑多だという。狼族は少ないからか人族もここよりは多いというな……」 「リネット王国……?」 「少し遠い。イヴァンジェリンはリネット国の王女だ。女王の治める国で、あの劇団は女王であるイヴァンジェリンの母親の趣味で創ったそうだ。それを珍しいもの好きのトラヴィス様の母上である王妃様が勧誘してきたらしい」  イヴァンジェリンの貫禄は、役者としてのものではなかったのか。華やかで美しい雪豹の麗人。リアン様は、素敵な人と巡り会えたのだ。 「リアン様は、すぐに嫁ぐのですか?」 「今は俺たちの今後を話しているんだが……。来年の春にはな――」  離れた国に行ってしまうのだと思うと、途端に寂しくなってしまう。 「そんな顔をするな――。お前には俺がいるだろう?」  嫁いでもすぐに会える場所だと思っていた。  アレン様は、僕の瞼の傷を舐めた。泣いてはいないはずだ、多分。 「アレン様……」 「別にいい。リアンがいなくなって寂しいから、仕方ないから俺の側にいるでもいい――」  違う、僕はアレン様のことが……。 「アレン様……、好きですっ」  リアン様は気付いてたのに、僕もアレン様も互いの気持ちがわかっていなかった。  僕は、ファーカー家のような名家に生まれたわけでもない。両親は、真面目に蜜柑を作っていたし、僕を愛してくれていたけれど、普通の狼族だった。卑屈に思っているわけじゃない。でも、僕達の間には見えない壁があると思っていた。  アレン様は、僕がリアン様のことを愛していると思っているらしい。もちろん、大好きで僕の宝物のような人だけど、恋愛感情ではないのに。  僕は、 「フェイ?」  それでもアレン様は僕に精一杯の気持ちを伝えてくれた。  僕達の出会いは運命だと、僕が跡継ぎを産めなくても構わないとまで言ってくれた。 「アレン様、好き……っんぅ」  僕の言葉をアレン様は飲み込んだ。そして、含むように笑った。 「知っている――。覚えていないだろうが、発情したお前は俺を求めてくれた。だが、正気に戻ると途端に距離を置こうとする……」  好きだと初めて告白したというのに、知っていると答えられて僕は戸惑った。 「俺の事をどうでもいいと言っただろう?」  リアン様との会話を聞かれていたのだ。 「酷……っ」  アレン様の手が僕の身体を撫でるだけで、熱くなる。僕の身体は、もう既にアレン様を番と認めて、準備を始めているのだ。  身体に心がついていかなくて、苦しい――。  ハッと息を漏らした僕の項をアレン様の犬歯が触れると、力が入らなくなる。 「お前のほうが酷い……」  震えた僕の胸の先を緩く撫でながら、責めるように言った。 「僕のこと……っ、信じてくれなかった――」  運命だと言いながら、僕を信じてはくれなかった。リアン様を護る同志としても、酷い誤解だ。  アレン様のほうが酷い。 「お前が知らない匂いを纏ってきたから、自制がきかなかった。すまない。もう二度とお前に手を上げたりしない。……許してくれ」  殊勝な言葉で謝られると、僕は頷くことしか出来ない。 「アレン様は、わかりにくいんです……。いつも怒っているような顔をしているから、僕の事は好きじゃないと思っていました」 「仕事の関係上、あまり感情を出すというのは好ましくないからな……」  上に立つものとして躾けられ、自覚を持って自分を律するアレン様は格好いいのだけど、もう少しだけ僕に緩んだところもみせて欲しいと思ってしまう。 「アレン様……」  我が儘だとわかっているし、そんなお願いをしていいのかもわからない。アレン様が望む番というのが、従順に身体を開く性に奔放なΩであるのなら、僕の希望は間違っているのだろう。 「フェイ?」 「僕は、あなたの家族になりたい……。あなたが僕の側で安らげるように努力するから、あなたも僕のために……」 「わかった――。お前が望むのならいくらでも情けない姿を晒してやる。その代わり、お前も俺には偽るな――。発情している間だけでなく、俺を欲しがれ――」  耳元で囁やかれる言葉に酩酊したように身体が火照り、心臓は早鐘のように打つ。 「アレン様……、僕を抱いてください――」 「俺のフェイ――愛してる」  アレン様の牙が、約束の徴として楔を打ち込んだ。  記憶がとんでしまって覚えていないから、今が僕にとってアレン様のものになったと自覚した初めての時だった。
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