募る気持ち

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募る気持ち

 アレン様の匂いがする。僕の大事な、人……。  離れる気配に手を伸ばすと「まだ寝ていていい」と声がした。おかしいな、僕は寝台で寝て、アレン様はソファで寝ていたのに。 「奥様? もう旦那様はお食事をしていらっしゃいますよ。まだ眠っていてもいいと仰ってますけれど、番休暇なのに出かけられるのをお止めしなくてよろしいんですか?」  柔らかな知っている声に、意識が浮上した。屋敷から城まで来ている召使いの一人で、羊の獣人であるエリだ。 「旦那様……? デリク様……いらっしゃって……」 「まぁ、アレン様が怒りますよ。ほら、そんなに寝間着を抱きしめてないで、本人に」 「あ……、ああ、そうか」  やっと目が醒めた。旦那様というのは、デリク様のことではなく、アレン様のことだ。奥様というのは僕で……。  手に握っていたのは、アレン様の寝間着だ。なるほど、安心できる匂いに包まれているような気がしたわけだ。  昨日は、考え事をしていたら眠れなくなって、明け方まで寝たふりをしていた。  僕がソファで寝ると言ったら、アレン様は『それなら一緒に寝るか?』とソファに寝そべり自分の腹の上を叩いた。意地悪だ、アレン様に乗っかかって寝るなら、寝台と答えることしかできないのに。  アレン様の寝息が聞こえてきても、どうしても眠れずいたのに、いつ寝たんだろう。覚えていないし、アレン様の寝間着を僕が握っているのもわけがわからなかった。 「番の衣服は安心しますからわかりますけど……。それは洗濯させてくださいね」  既に番がいて、子供もいるエリはそう言って僕の手元の服を持って行ってしまった。  アレン様は自分で着替えるから、ソファの上に置いていたのを僕が夢遊病のように持ってきてしまったのだろうか。 「アレン様は?」 「お食事されていらっしゃいます」  ノソノソと寝台を抜け出し、出された服を着た。特に用事もなかったから、僕の服は部屋着だ。まるで子供のように手伝われて、ブラッシングされて、やっとエリの合格をもらい寝室を後にした。 「おはようございます」 「おはよう」  アレン様は、書類を読みながら食事をしていた。主食のイチゴは片手で食べられるから、いつものことだ。僕が声を掛けても顔も上げず、見もしない。  別にいつものことなのに、何故か僕は苛ついて、アレン様の膝の上に無言で座った。 「奥様?」  エリが驚いて声を上げる。それはそうだろう。アレン様は椅子ではないのだから。  僕の突飛な行動にも平然とした顔アレン様が、少しだけ憎らしい。 「フェイ、書類が読みづらいからこっちに」  アレン様の左の膝から右の膝に移動させられると、まるっきりお姫様抱っこになった。 「あらあら、仲のよろしいこと」  嬉しそうなエリには悪いんだけど、僕は非常に居心地が悪かった。チラリとアレン様が視線をやった辺りに、たしか発情したときにつけられた痕があると気付いて頬が熱くなる。  昨日、リアン様を送っていったアレン様が彼女が書いた手紙を持ってきた。それに書かれていた指示に、僕は呆然として夜は眠れなかった。 『お兄様の膝に乗って、朝ご飯を食べること』  僕とアレン様が不仲だという噂を払拭するための作戦らしい。 「フェイ」  僕の名前を呼び、イチゴでなくリンゴを口元に運んでくれるアレン様の目は凪のように静かで、僕だけが挙動不審だ。 「まぁまぁ、そんな仲がよろしいのに、お仕事に出かけられるのですか?」  エリは、僕のためにかアレン様を責める。 「まだゴタついているからな」 「奥様は、旦那様の寝間着を抱きしめて寝ていらっしゃいましたよ。番に寂しい想いをさせてはファーカー家の次代としての恥でございます」 「エリッ! それは……」  言わないで欲しかった。動揺に尻尾が揺れるのを見て、アレン様は「そうか……」とだけ呟いた。  僕の焦りなど気にならないようで、ホッとしつつも少しだけ寂しかった。  アレン様が、もう一つ切り分けられたリンゴを運んでくれる。 「フェイ、父上達が来ているから相手をしてやってくれ」  自分の寝間着を抱いていたことなど、アレン様にとっては些細なことなのだ。  リンゴを咀嚼してから頷いた。 「デリク様とアリシア様が?」 「そこは、お義父様かお義母様でないと悲しむと思うぞ」  僕の戸惑いや後ろめたさを知っているだろうにアレン様は笑う。  もう一つと差し出されたリンゴをいらないと首を振った。 「もういいのか?」  アレン様の膝から降りて、僕はお腹を押さえた。 「お腹一杯です」  アレン様の匂いを嗅いでいるとぼんやりとしてしまい、何を言い出すか自分でもわからない。発情期というのは大変だ。 「あの、いってらっしゃいませ」  アレン様の頬にそっと鼻先を押しつけた。 「リアンに感謝だな……」  僕だけに聞こえるように呟いたアレン様の声に胸が痛んだ。アレン様も手紙の内容を知っているのだろう。  小さな触れあいを周りに見せつけるというのは、今の僕には心苦しいことだった。一人動揺している僕を、周りは初々しいと噂しているのを聞いて、僕の胃はシクシクと痛む。  アレン様と僕はあれっきり身体を繋がないまま、初めての発情期が終わった。火照る身体やアレン様の匂いに振り回されなくなるのは、正直言ってありがたかった。  リアン様はイヴァンジェリン様と一緒にいることが多くて、邪魔してはいけないと遠慮していたけれど、イヴァンジェリン様はとても優しくて、三人で一緒にいることが多くなった。雪豹獣人のイヴァンジェリン様と人族のリアン様、そして狼獣人の僕は目立つようで周りからよく声を掛けられるようになった。リアン様もイヴァンジェリン様が横にいるときは、αに対する耐性が出来るのか敏感すぎることもなく、ご両親との時間ももてるようになった。トラヴィス様はトラウマのようで、避けているけれど。  お義母様といえば、アリシア様が張り切っている。リアン様のお輿入れの用意もしながら、アレン様の番である僕に教えることが沢山あるのだと気合いが入っている。  身につける物はアリシア様によって選ばれるのだが、光沢のあるシャツや総刺繍の入ったベスト、宝石が縫い付けられたドレススーツに怯んでしまう。確実にアレン様やリアン様よりも派手で、戸惑いながら何故かと問うと、簡潔に『似合うからよ』と答えた。  僕は、それを手にするたびに『どうすればいいのか』と考えて、胃が痛くなった。  誰が言わなくても知っている。僕はみすぼらしい。真っ白な毛に赤い瞳。どれもファーカー家のαであるアレン様には似合わない。どれほど外見を派手に装ってもだ。 「やっぱりフェイは何色の服を着せても似合うわ」  ピンクのシャツに昼の紺のドレススーツを着た僕をアリシア様が満足げに眺める。ちなみに上着の裏は、真っ赤な糸で刺繍が施されている。 「アリシア様……」 「はい、お義母様でしょ。早くお披露目をしたいわ。アレンが忙しいからしばらく待って欲しいっていうから我慢しているのよ。フェイがそんなよそよそしくしたら、お義母様泣いちゃうわ」 「お、お義母様……」 「フェイ、アレンと喧嘩でもしているの?」  アリシア様は、唐突に訊ねた。切れ長の目でジッと汗が噴き出そうになる僕を凝視する。 「フェイが楽しそうじゃないもの。屋敷でいるとき、リアンとアレンとあなたといつもとても楽しそうだったのに、リアンはイヴァンジェリン様と一緒にいるから寂しいからかもしれないけれど……」  アリシア様は、僕をよく見てくれていた。 「フェイ、考え過ぎているんじゃない? デリク様とも言ってたのよ。もし、フェイが辛いことがあるのなら、リアンのところに皆で引っ越しましょうって。あの国は、この国より自由らしいわ。Ωにとっては、暮らしやすいんじゃないかしら……。家? 家は名前が欲しい親戚がいくらでもいるわ。でも私達の大事な子供はアレンとフェイ、リアンとイヴァンジェリン様だけなの。愛してるわ――」  僕を家族として受け入れ、愛してくれているのだとわかると余計に辛くなる。  僕は、この優しい人達を裏切っている、アレン様のことが信じ切れずに、番だと思わせながらもアレン様に我慢をさせている。  でも考えれば考えるほど、自分はアレン様に不釣り合いすぎると結論が出てしまって身動きなどとれなくなっていた。  偽りの関係を精算する方法を、探さなければいけない。アレン様のすることに素直に従える、αを沢山輩出している家系の獣人は、僕の代わりにきっとファーカー家の嫁として大事にされるだろう。  僕は焦燥で胃がドクドクと振動する。 「どうしたの? フェイ」 「いえ、行きましょうお義母様。イヴァンジェリン様が主役の舞台、僕も楽しみにしていたんです」  もう一度、僕に家族が出来るという甘美な誘惑を振り切るために話を変えた。  王宮で既に何度か公演されているイヴァンジェリン様が主役の劇を、リアン様のために客を厳選して上演されることになったのだ。αは、アリシア様とアレン様と王妃様だけで、他はβやΩばかりだ。王妃様がごらんになるから、上流社会の方ばかりで緊張するけれど、リアン様が喜んでいるのを見るのは、嬉しかった。 「私、一度観たけれど、恋に落ちそうになったわ」 「……お義理様、デリク様には内緒にしてくださいね」 「一緒に観たもの。デリク様も『わかる!』っておっしゃってくれたわよ」  信じ合い長年寄り添った番というのは、そういうものなのだろうか。 「あそこにいるのはアレンじゃなくて?」  僕達が通る廊下から見える中庭にアレン様がいた。仕事仲間と時折笑いあいながら何かを話している。 「お友達でしょうか」  屋敷でも僕はほとんで離れにいたので、アレン様の友達はあまり知らないのだ。離れはリアン様がいるから家族以外のαは出入り禁止だったから。 「そうね、でも少し距離が近いんじゃないからしら?」  肩を組んで、耳打ちしているのを見て、アリシア様は僕の手を引いた。 「お義理様?」 「私、αでも女だからかしら? 仲がいいだけとわかっていてもデリク様がお友達とじゃれ合っているのをみるのが大嫌いだったのよ。フェイは、平気……?」 「僕は……、平気ですよ」  ギュって胸が痛くなるのは、そうか僕だけじゃないんだ。アリシア様もデリク様をみて同じようになるんだと思うと、安心した。 「アレンもそうだけど、フェイも自分を偽りすぎだと思うわ。アレンのは、見ていて気持ちが悪いくらい。自分の子供だけど、育て方を間違ったと思うわ。あの外面(そとづら)の良さ、デリク様に似たのよね。デリク様は、それでも元々が優しい方だから許容範囲だと思うのだけど、アレンのは……ね」  元の性格は優しくないから、外でそつなくこなしているアレン様を見ると、僕はあまり好かれていないと思ってしまう。でも素の自分を見せてくれていると思うと嬉しいと思ってしまうのは、惚れた弱みだろうか。 「アレン様は……」  優しいアリシア様の気持ちに触れていると、目頭が熱くなってくる。 「フェイ?」 「僕じゃ……駄目なんです。僕は弱いから、アレン様に……相応しくない……」  アリシア様を騙しているのも、僕が嫌いだと言っても平気なアレン様も何もかもが辛かった。 「何を言っているの? あなたはリアンを守り抜いたじゃないの。その耳の証しは、あなたがトラヴィス様に認められた証拠でしょう」  アリシア様の言葉は、僕を叱咤激励するように力強い。 「僕なんかじゃ……」 「あなたたちは何をしているの! 仲がいい割に匂いが薄いと思っていたら……。ちょっと待ってなさい」 「ア、アリシア様……!」 「お義母様と呼ばないと返事しないわよ」  そう言って、アリシア様はαの身体能力の欠片を見せつけるようにあっという間に駆けていった。ヒールの音が、凄い速さで遠ざかっていく。 「どうしよう」  別にアリシア様になら僕達のことがバレても構わないはずだ。でも、あんなに心配してくれる人が義理とはいえ、母親になろうとしてくれていると思うと胸が詰まった。 「……よくわかっているじゃないか。ただのΩの癖に――。フィリップ様をよくも――」  嘲る様な声が後ろからした。視界に移った男は、狼獣人のαだった。
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