僕の生まれた村の先生達

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僕の生まれた村の先生達

「見て、フェイ。湖面が光りでキラキラしてるわ」 「ええ、綺麗ですね。小さい頃よく泳ぎましたよ」 「すごい! フェイは泳げるのね」  キラキラと瞳を輝かせるリアン様は、最近塞ぎがちだったことを思えば、格段に楽しそうだ。 「リアン様も泳いでみますか?」 「私が? でも毛皮がないから……」 「服を着て泳げますよ」  狼族でも高貴な女性の獣人は、服を着たまま泳ぐと聞いたことがあった。 「なら試してみようかしら?」  馬車に乗るなり端で寝始めたアレン様が、起きたのか「溺れるだけだぞ」と呟いた。 「アレン様、起きていたんですね」 「あれだけはしゃいでいれば、目も醒める」  確かに、馬車に乗った最初はあまり乗り気でなかったリアン様だが、普段見慣れない景色に気持ちが解れたのか沢山お喋りをしていた。  アレン様が起きたとわかった瞬間、リアン様の僕と触れる肩が少しだけ揺れた。笑顔の中で、僅かに緊張しているのが僕にも伝わる。リアン様もアレン様もそれに触れないように、僕を間にしてしゃべり始めた。  トラヴィス様がいらっしゃって、その後熱を出してからだ。二人とも理由はわかっていて、それでもどうしようもないのだ。   「お兄ちゃまは、お仕事ばかりで最近全然離れにいらっしゃらないのね」  確かに最近のアレン様は、仕事が忙しいのか夜中に帰っていらっしゃって、僕に匂いをつけるために同じ寝台で眠り(その匂いを僕がリアン様に移さなければならない)、朝も早くに仕事に向かわれる。食事も本館でとっているので、リアン様とはほとんど会っていない。 「若者はこきつかわれるのが世の常だ」 「お兄ちゃま、若者なのね……」  世間知らずのリアン様にそう言われるほど、アレン様は落ち着いている、というか老成している。ご両親もたまに不思議そうに「私たちの子供よね? 兄弟じゃなかったわよね?」なんて笑いながらおっしゃっているくらいだ。 「そろそろ着くぞ。フェイ、お前の育った村だ――」  窓から見える景色に、時折家なんかが混ざってきた。  ここから更に北へいけば、僕が二度と戻りたくないあの町がある。おじさん達は、僕が娼館に売られたと思っているはずだ。金をせびりに行って、いないことに驚いているかもしれない。  王都から離れれば離れるほど、獣人も色々混ざるか、反対に同じ種類ばかりになるから不思議だ。僕の育ったチセホ村は、狼獣人が三分の一くらいで、後は山羊獣人や羊獣人なんかが多かった。  僕達の食事は、リンゴやイチゴ、大根やニンジン色々あるけれど、ここは水も豊富で気温差があるから育てるのに適している。僕の両親は、山の斜面に甘い蜜柑を育てて王都に卸していた。僕や母は毛皮が白いから、よくオレンジに染まるくらいお腹一杯食べたっけ。 「懐かしい――」  両親は、僕が家をでている間に山崩れに巻き込まれて家ごと流された。その後は、父の弟であるおじさんの家にもらわれて、こき使われた末に、売られた。  売られた先が、この老成したアレン様と人族である可憐なリアン様のお家だというのだから、獣人生とはいうのは、どう転ぶかわからない。  馬車が止まり、扉開けて出ると、ムッとした青草の匂いが立ちこめる。昨日降った雨のせいだろう。 「ようこそ、チセホ村へ。久しぶりだね、フェイ」  声を掛けられて振り向くと、知った顔がそこにあった。 「先生!」  僕は、懐かしさとうれしさで先生と呼んだ人に抱きついた。 「わぁ、フェイ。大きくなったね」  小さな時の癖で飛びついたけれど、僕の大きさは倍以上になっていたのを忘れていた。よろけた先生は、後ろにいた狼獣人の医師である大先生に支えられた。 「よう、チビ」  少し柄が悪いのは、昔から変わらない。そして、昔は気付かなかったけれど、大先生は、やはりαだった。 「人族……?」  リアン様は、初めてみた同族に驚いていた。そう、先生は人族。僕が、リアン様以外に見たことがある人族のもう一人だった。でも、αである大先生が怖くて、近寄れないからアレン様の後ろから、覗くように見ている。アレン様は、動いてリアン様を驚かせたくないから挨拶しようと手を伸ばしたまま固まっていた。こういうところが、本当にアレン様らしい。妹であるリアン様を大事にしているのを見ると、僕は兄弟がいないせいかとても嬉しくなるのだ。 「こんにちは。人族のお嬢さん。大丈夫だよ、この大きなのは私の番だから、君を襲ったりはしないよ。さぁ、私のお茶をご馳走するから、おいで」 「リアン、フェイ。私はこちらのエイムズ氏と話があるから、行っておいで」  アレン様は、大先生と話があるというので、僕達は先生についていくことにした。  先生の家は、患者さんが泊まることもあるので、この村では大きいほうだ。村人達が看てもらったお礼に改築していった結果ともいえる。  先生は、湖の風が入る涼しい部屋に僕達を通して、お茶とお菓子を用意してくれた。大先生が作るお菓子は、村の子供達の大好物だった。クルミがたくさん入ったケーキは、特別美味しかったのを覚えている。  早く食べたいのをグッと我慢していると、リアン様が小さな声で訊ねた。 「ねぇ、フェイ。どうして先生なの?」 「ああ、ごめんね。自己紹介がまだだったね。私は、キース・エイムズ。この村の子供達に勉強を教えているんだ。性別はΩの男性、見たとおり人族だ。歳は、たしか三十四くらいだったかな」  歳は忘れるんだよねと、朗らかに笑った。 「だから先生なんですよ。大先生は、ハリーさんと言って、僕達の病気を治してくれるお医者様なんです」 「勉強の先生とお医者様なの……。私は、リアン。十五歳です」 「十五かぁ。大変でしょ、君のお兄さんは色々わかってるみたいだけど、αと一緒にいるのは」 「……っ、あの、先生もそうだったんですか?」  リアン様は、泣きそうな顔をして先生に尋ねた。先生は、お茶を僕達に勧めてくれて、話を始めた。  今日の目的は、リアン様に先生を会わせてあげること。アレン様は人族のΩと狼族のαのことについて大先生に当事者として話を聞きに来たのだ。何分、聞いた話ばかりで、信憑性にかけているいることが不満だったらしい。  初めて会った時、人族を知っていると僕が言ったことを覚えていて、ここに訊ねることを勧めたのはデリク様だった。  トラヴィス様に会って熱を出した辺りから、リアン様はアレン様やデリク様、時にはアリシア様にも怯えるようになってしまったのだ。聞いていたとはいえ、それは家族にとってもリアン様にとっても相当な衝撃だった。  リアン様は、自分が怯えてしまうことで家族が傷ついているのを察して、心を痛めている。自分が怖がってしまうことを後ろめたく思ってしまうのだ。  それは、仕方のないことだとわかっていても、やりきれなくて。そんな時に、デリク様が思い出して、僕に確認をとり、大先生に手紙を出した。先月のことだった。 「私? 勿論だよ、ハリーに出会ったのは、十七の時だった。ちょうど十五位の時に呪いが発症しちゃって、もう死んだほうがマシだと思っていたよ」  僕にはわからないその恐怖を二人は共有できる。それは何よりも慰めになるはずだ。 「呪い……?」 「まるで呪いのようだろう? ある日突然、大好きだった家族に触れると身体が固まったり、側にいるだけでゾクゾクしちゃうなんて――」 「そう、そうなんです! 皆、私に何もしていないのに、私だって大好きなのに、勝手に身体が……」  声が震え、リアン様が俯くと、涙の粒が床に落ちた。 「大丈夫、番さえ見つかれば、治るんだから。今は、自分を責めちゃだめだよ」 「あの……先生は、どうやって旦那様に会えたんですか? この前、私αの人と会ったんです。でもすぐ気絶してしまって……。どうすればいいのかわからなくて……。私にもちゃんと番える人がいるんでしょうか」  トラヴィス様のことを思い出す度に、リアン様は恐ろしさのあまり震えるのだ。彼は、確かに威圧感がすごかったけれど、とても優しそうな人だった。というか、リアン様は、声を聞く前に気絶していたような気がする。 「私もね、怖くて怖くて。森で一人で生きて行こうと決めた時に、ハリーに出会ったんだ。家もその辺り一帯を治めているくらいの家だったし、田舎だったからαもほとんどいなくて、それまでは無事だったんだけどね。森に籠もった時に、狩られた」  それは僕も知らない話だ。 「人族のΩは、希少だから高く売れるんだ。今思えば、うちの家は裕福だったから、かなり警備を雇ったり、私の身を護るために気をつけていてくれたんだろうね。何も知らずに育ったよ。狩ったのはβだった。お金もうけのために、人族のΩを攫っていたようだ。たまたま、国から派遣された哨戒ギルドが巡回している時だったから、攫われただけですんだけれど、そうじゃない人もいた。ハリーは、その頃はお医者様じゃなくてギルドにはいっていて冒険者と呼ばれていた」 「冒険者って、悪者を退治したり未開の土地に行ったりする人ですよね? 大先生は、そんな強かったんですね」 「うん、強いよ~。あの頃は、何か居てもたってもいられなくて、旅をしたかったと言ってた。私達が出会うために必要だったんじゃないかって……。まぁこの話をすると、大抵はのろけかと言われるんだけどね。でもさ、国中から攫われてきたΩが四人いて、一人はもう駄目だったけれど、そのうちの三人は助けに来たギルドの人と番ったんだよ。それってすごくない?」  楽しそうに笑う先生だけど、それはすごい話だ。リアン様も目を見開いている。 「人族のΩは、このαを恐れる性質ゆえに死ぬことが多い。実際、そうして亡くなった人も知っているけれど、それは運命の人じゃなかったからだと私は思う」 「運命の番なんて言葉は聞くけれど、それは、ただの迷信じゃ……ないの?」  先生は、お茶を飲み、一息ついてからリアン様に微笑んだ。 「君は、人族としての恐怖を知っているからわかるはずだ。運命の相手はね、どれほど強くても怖くないんだよ。私もハリーに出会って、すぐにわかったよ。だって、数いるαの中で、彼だけが怖くないんだ。側にいると安心する。もちろん、ゾクゾクいたり、覇気を強く出されると身体が震えたりするけど、でも他の人とは全然違ったんだ。そしてね、ハリーに限らず、あの時番をえたα達はね、皆似たような焦燥感にかられてギルドに入ったと言っていた。同じように運命の相手を探していたんだ。だから、焦ったら駄目だよ。君にもちゃんと運命の相手がいて、きっと君に会うためにもう動いているはずだから――」  大丈夫だよと何度も囁き、先生はリアン様を撫でた。  僕は、リアン様の張り詰めた空気が緩むのを感じてホッとした。  そうするとお腹が空いてきて、目の前に出されていたケーキを一口食べた。やっぱり美味しい。リンゴと、ブドウを干してからお酒でつけたものが入っていた。一口だけと思っていたのに、気がついたら全部食べていた。僕もリアン様につられて、毎日緊張していたんだと思う。安心したらお腹が空くなんて恥ずかしい。 「先生、怖くない以外に何か目印みたいなものはあるんですか?」  運命の番というのは、人族だけに限らず獣人の間にもあると言われている。それがどんなものだか、僕も知りたかった。 「目印ね。ちょっと性格が変わる……とかあるかもしれない。私は、気が強いんだけど、ハリーが側にいると、甘えたくなるし。あまり執着するタイプじゃないんだけど、自分を見ていて欲しくなる。ハリーは、懐が広くて、じっくり取り組むタイプなんだけど、私の事に関しては、すごく心が狭くて、気が短くなる……とかかな」 「「先生、のろけにしか聞こえません!!」」 「って言われるんだよね~。はははっ。まぁでもそういう感じの人、いない?」  いないかと言われても、思い浮かばない。 「あっ! ああっ! お兄ちゃま、お兄ちゃまがそうだわ」 「さっきの方?」 「お兄ちゃまが声を荒げたり、舌打ちしたりするのフェイにだけよ」  リアン様……、それはただ単に嫌われているだけではないでしょうか。 「フェイ、そんな顔をして……。ほら、もう一つケーキ上げるから」  苦笑する先生と、両手を組んで自分の思いつきに興奮するリアン様の前で、僕は項垂れるしかなかった。 「そうよ、フェイにだけよ。意地悪したり、この前なんてお尻触られてたでしょ? 私、お兄ちゃまのことちょっと軽蔑しそうになったけれど……。フェイ? どうしたの? 耳が垂れてるし、尻尾が床に擦れているわ……」  床の掃除させてもらいますね、先生。  リアン様、元気になられて、本当に良かった……。  ケーキも紅茶も美味しい。窓から見える空は、晴れやかに雲一つなかった。その中で、リアン様が次々に思い出されるアレン様の行状に、先生は次第に無言になっていくのだった。  帰る間際、「辛かったら、村に帰ってきていいんだよ」と心配してくれる先生に、僕はおじさんに売られたんだとは言えなかった。 「ありがとうございます」    お礼を述べる僕に、アレン様が不機嫌そうに鼻を鳴らした。
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