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 暗くカーテンで閉ざされた部屋の中で、白い煙を燻らせ、眠りやすくなるという香木が香っていた。即効性のものではないから、部屋に入っても眠くなったりはしない。 「この部屋にいたいんだけど、駄目かな?」  リアン様のお世話をしていた召使いは、医師の先生に確認をとって、それを片付けてくれた。  多分、僕がここにいることはアレン様に報告がいくだろう。帰ってくるとも思わなかったけど、食べかけのまま放置してきた食事を思うと気まずい。あまり食事をもらえない期間があったから僕は食事を残したことはなかった。食事も喉が通らないなんて、僕にはあてはまらないことだと思っていたのに。  換気のために窓を少し開けて、召使いは部屋を出て行った。  寝台から離れた場所に明かりを置いて行ってくれたから、部屋は薄暗いけれど僕達狼族は夜目がきくからリアン様の顔はよく見えた。  閉ざされた瞼、結ばれた唇――。どれほどの恐怖を感じたのだろう。ただ、人族に生まれただけなのに……。 「リアン様。僕がもっと強かったら……」  僕の呟きは、決して大きなものではなかったけれど、リアン様を起こしてしまったようだ。震える瞼がひらいて、青みがかった緑の瞳が僕をとらえた。 「……フェイ」 「リアン様。まだ寝ていてください。僕ここにいますから」 「フェイ……顔に傷が……」  慌てて起きようとしたリアン様を留めて、僕が顔を近づけた。 「もう治っていますよ。だから、大丈夫。Ωは回復が早いらしくて……」 「私、どのくらい寝ていたの?」 「あれは昼前で、今はもう夜です。そろそろご飯の時間ですよ。具合が悪くないのなら、用意してもらいましょうか」  たった数時間前の事とは思えないほどの回復力だ。 「そうなの? でも、傷は治らないの?」  さっき鏡でみたら、一本の筋が小指くらいの長さで縦に入っていた。 「毛が生えたら、わからない程度ですよ」 「でも、綺麗なフェイの顔に……、ごめんなさい」 「僕の傷なんて、だれも気にしません。綺麗なんて言ってくれるのはリアン様だけです。リアン様が、醜くて嫌だとおっしゃるなら僕も辛いですけど」  そんなこと、リアン様が思うはずもない。誰より優しい人なのだ。 「フェイ。お兄ちゃ……お兄様が残念に思うわ。いつもフェイのことジッとみてるもの。護れなかったって自分に激怒してると思うの」  アレン様は僕を見てるんじゃなくて、一緒にいるリアン様を見ているのだけど、反論してもリアン様は頑固なところがあるから、きっと認めないだろう。 「アレン様は、傷がついても気にしないとおっしゃってくれましたよ」 「もうっ、お兄様ったら、甘々なんだから……。フェイ? それなのにどうしてそんな顔をしているの? 何だかいつもふわふわの毛並みがしぼんでいるわ……」 「傷を回復させるためにお腹が空くとか言ってましたから……」 「そうなの? フェイのほうが寝てなきゃいけないんじゃないの?」  自分のことよりもリアン様は僕の事を気にしてしまうから、僕は早く元気にならないと。  コンコンと扉が叩かれて、「リアン様、フェイ様。お食事が用意できております」と城に仕えている召使いの声がした。僕も客として来ているから、フェイ様と呼ばれていて、少し気恥ずかしい。 「はい。リアン様、起き上がれますか?」 「大丈夫よ」  並べられたいくつもの皿にリアン様が言葉を飲み込む。 「フェイ、こんなに食べられないわ」 「随分豪華ですね……」  お城の料理は、とても凝っている。イチジクのジュレ、リンゴのコンポート。イチゴのムース。どれも美味しそうだ。 「リアン様は食べられるものだけで――。フェイ様は、全部食べるようにと言いつかっております」  誰に? と聞くまでもない。 「お兄様ったら、フェイの好物ばかりじゃない。もうっ、本当に……」  呆れたような声だけど、リアン様は笑っていた。リアン様が笑っていると僕も嬉しい。 「リアン様の好物でもありますよね」 「そうね。私も好きだわ。食べましょう」  屋敷の離れにいるときから、僕はお友達待遇だったので、一緒に食事をさせてもらっていた。屋敷に初めて来たとき、リンゴの煮たのを出されて美味しくて感動した。 「私ね、フェイが寝込んでいる時にβのハイジっていう護衛の人に付き添ってもらって、城の中を見て回ったの。城のαというのは、きっと皆トラヴィス殿下のような覇気をもっているのかと思っていて怖かったんだけど、そんな事なかったわ。お父様やお母様やお兄様のように近寄れば少し怖いし、触られるのは駄目だけど……」  そういえば、今日も怖がってはいたけれど、激怒したアレン様が来るまで意識はしっかりしていた。 「それなら、リアン様にお似合いの方も見つかりますね」 「そうだといいけれど……。このムース美味しいわね」  お喋りをしながら少しずつ召し上がってくれてホッとした。僕は、思ったよりお腹が空いていて、山のようにあった皿の中身は全て姿を消した。僕が食べ終わるとリアン様は安堵したように微笑むから、僕がリアン様を心配しているようにリアン様も僕のことが心配なのだとわかった。  食事を終えて、僕達はリアン様の寝室のある部屋に移動した。 「フェイ、抱きしめていい?」  いつものように寝台に寝転んで本でも読むのかと思っていたら、リアン様が窺うように訊ねた。 「いいですよ」  手を広げると、リアン様は僕に飛びついた。 「うわっ」 「ふふっ、ごめんなさい。勢いがつき過ぎちゃった……」  寝台に押し倒されて、リアン様が僕の身体を抱きしめる。今日は、よく押し倒される日だ。 「フェイが、私の番だったらよかったのに――」 「僕では、リアン様を護れませんよ」  昔の人族同士ならともかく、僕達はΩだから番うことは出来ないだろう。 「フェイは、私の騎士よ。護ってくれてありがとう」 「リアン様、僕の愛しい花――」  柔らかな金色の髪を撫でていると、リアン様は僕に抱きついたまま寝息を立て始めた。  花と騎士は、番を例えるポピュラーなものだ。  もし――、もし僕が両親と共に育っていたら、僕も花とたたえられ、誰かの側で咲くことが出来たのだろうか。 『俺は、二度とこんな風にお前と出会いたくない』  アレン様の言葉が思い出されると、胸が苦しくなった。目のあたりが熱くなって、喉が詰まった。 「アレン様が嫌がってもいい。僕は、もう一度……」  ああ、そうか。僕は何度生まれ変わっても、あの人に会いたいのだ。こんな小さな存在でありながら、彼に認められたいのだ。  リアン様、僕の愛しい花、あなたを護ることが僕の大事な使命なのです。  どんなに傷ついてもあなたが気にやむことはないのです。 「僕は、醜い……」  リアン様を利用しているのかと言われれば、それは違う。無垢で、優しいリアン様は、僕を癒やしてくれた大事な恩人だ。彼女の幸せは、僕の中で最大目的であり、願いだ。  本当に小さな身体、あどけない寝顔。僕は、リアン様を抱きしめたまま眠った。 「馬鹿者! 体調が悪いのに何故部屋に戻ってこない!」  昨日寝過ぎたせいか目が醒めるが早い時間だった。リアン様は本を読むというので、部屋に戻ると何故かアレン様がいて、盛大に怒られた。  僕がリアン様と眠る事なんてよくあることなのに。 「アレン様……。おはようございます」  アレン様が怒っているのはわかるのだけれど、理由はよくわからなかった。食事を残したくらいで怒るような方ではないし。 「眠っていない。リアンの部屋にいけば、怖がらせるのはわかっていたからな。ずっとこの部屋で待っていた」 「眠ってないのですか?」 「来い――」 「僕はもう十分寝たので……」  寝台に連れ込まれたので、僕はそう言って逃げようとした。 「ならいい。ここに座れ――」  王宮に来てからというもの、アレン様が横暴だ。どうしたんだろう。 「少しだけ眠るから、そこにいろ――」  座った僕のふとももに、アレン様が頭を乗せた。逃げ出せないようにか僕の尻尾を握っている。  瞬間、アレン様が寝たのがわかった。アレン様は、寝るときも起きるときも唐突なので、最初は戸惑ったものだ。寝てしまえば、僕が少しくらい喋っても動いても起きない。  いつもは、匂いをつけるためにかアレン様に包まれるように眠っていたからこんな風に上から見下ろすことはない。身長だって、アレン様の方がかなり大きいし。 「アレン様、リンゴ、美味しかったです」  アレン様は、狼族の中でも特に顔立ちがいい。輪郭もはっきりしていて、切れ長の目が素敵だと噂されているのを聞いた。アレン様は、ちょっと怒りっぽいし、説教も長いからお嫁さんがこないのかと思っていたけれど、そうでもないようだ。結婚したいαのランキングで一桁らしいとリアン様が聞いてきて、何だか誇らしい気分になった。  結婚しないのは、やっぱりリアン様が心配だからだろう。番を定め、結婚してしまうと狼族はどうしても番や子供が一番になるから。  神様、もうしばらくでいいです。僕にこの場所をお許しください。  アレン様の額に鼻先をつけて、願った。運命とか神様とか、僕あまり信じていないくせに、都合良く。
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