誤解

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誤解

 王宮に来て一月もたてば、知り合いも増えてくる。最初にリアン様に絡んできて僕に怪我をさせた四人は、日を置かず国王陛下からトラヴィス様の番候補として不適合だと家に帰されたらしい。それもあってか、僕達の生活はとても平穏だ。 「今日の秋の大祭だが、リアンは部屋から出ないように――」 「ええっ、私もお祭りに行きたいわ」  アレン様の命令にリアン様は不服そうだ。朝食を食べながらリアン様と僕の予定を確認するのはいつものことだ。 「リアン、秋の大祭ということは、余所の国からも沢山賓客がやってきているということだ。つまりαだらけなんだ――。私も忙しいから、いつも目を光らせているわけにもいかない……」 「……そうね。考えなしだったわ」  沢山のαという言葉に、リアン様は諦めたようだ。触れたり、怒っていないなら一緒にいても平気だが、知らない獣人ばかりでは何がおこるかわからない。 「大祭が終わったら、祭りに花を添えるために呼ばれた劇団にこちらでもやってもらおうか。陛下にお願いしてみるが」  リアン様がとても残念そうだったせいか、そう提案してくれた。 「まぁ! 劇を? 私見たことがないのよ。フェイは?」 「僕も見たことがありません。楽しみですね」  劇は、エッセリーグ国でポピュラーな楽しみだ。機会がなかったけれど、リアン様と一緒に観られるのは嬉しい。 「フェイ、昼前に父上と母上が来るから相手をしてくれるか?」  リアン様とここで昼食をした後、お二人は王宮でお祭りを楽しまれるらしい。久しぶりにお会い出来るので、嬉しかったけれど。本当ならリアン様が一緒に楽しまれるのだと思うと、どちらにも申し訳ないような気がした。それに気がついたのかリアン様は、僕の憂いを晴らしてくれた。 「フェイ、お父様とお母様の案内を頼むわね。私がここで何をしているか、どんな人達と知り合ったか伝えてくれる――?」  本来なら、リアン様が案内したいだろうに。優しい言葉に僕は大きく頷いた。 「はい。デリク様とアリシア様に、リアン様のことお伝えしますね」 「ありがとう」  リアン様の感情は、尻尾も耳もないのに、とてもわかりやすい。  ここ最近は、出会いを求めて王宮に遊びにきているβやΩのお嬢様達とも仲良くなって、リアン様は明るくなった、いや元の朗らかさが出てきた。それだけでも王宮にきたかいがあると思えるほどに。  それとは別に。アレン様に聞かされているリアン様を狙ってか、トラヴィス様の棟に無断で侵入しようとして捕縛されたαのこともあって、正直どちらが良かったのか僕にはわからないけれど。  デリク様とアリシア様は、愛娘の落ち着いた姿に安心したようだった。屋敷にいるときは不安定で、姿を見ただけでも震えることがあったのだから大違いだ。食事の後、デリク様に頼まれて、朝から出ているアレン様へ到着したことを言伝するために棟を出た。  トラヴィス様はリアン様が来てから気をつかってリアン様のいる二階には来られないし、出入り口も二つあるので別のほうを使われている。アレン様の妹だからということを加えても、どうしてそこまでしてくれるのかわからない。不思議に思ってアレン様に訊ねたけれど、理由は教えてくれなかった。ただ、なにかわけがあるのだなということはアレン様の雰囲気でわかった。 「君! ちょっとここら辺で隠れるところない?」  突然グイッと腕を引っ張られて、驚いた。考え事をしていたとはいえ、全く気付かなかった。 「雪、豹……?」 「そうそう。おっかけが凄くて――」  女性のようだけど、僕より少し大きい雪豹だった。初めて見た獣人だけど、追いかけられているのなら急がないと。 「こっちです――」  多分匂いで追われているのだろうと思って、彼女の手を引いて側にあるハーブ園の物陰に二人で隠れた。 「劇団の方ですか?」 「そうそう、よくわかったね――」 「ええ、劇団の方が来ていると聞いたので」  とても華がある獣人だし。 「失礼ですが、女性ですよね?」 「ふふっ、本当に失礼だよ。とはいっても私は男のαの役をやるから――」  着ている服が男性的だったから迷ったのだけれど、その瞳は優しい女性に見えた。 「あの人達ですよね?」 「なるほど。ハーブとは気付かなかった。君は賢いね」  獣人は、鼻がきくからハーブは苦手なものが多い。でも、植物は嫌いじゃないから、たまにリアン様とハーブを摘みにきたりしていたので思いついたのだ。 「知っていただけです。お役に立てて良かった」 「ありがとう。劇を観たら、会いに来て――」 「サインくれるんですか?」  「欲しいなら上げるよ。お茶でも誘おうかと思ったんだ。君は……、何だかとてもいい匂いがするね。私の好きな匂いだ――」 「え、匂いますか?」  ハーブで僕の鼻は少し馬鹿になっているようだ。匂いなんて、ハーブ以外にはしないのに。 「君は可愛いね――。お茶に誘ったのは、混ざりけなしの感謝からだ。心配なら、君に執着している人も連れてきていいよ」 「執着……?」 「またね。待ってるよ」  僕が怪我をしてからというもの、責任を感じてかアレン様は前より匂いを付けるようになった。前は、一緒の寝台で眠るだけだったのに、最近は口をつけてきたり、あちこち舐めてはグルーミングをする。僕の身体のどこもかしこもアレン様の匂いがついていて、それをあの人は執着と言ったのだろう。  執着……、しているのは僕のほうなのに――。アレン様の匂いが移るごとに僕の匂いもアレン様に移る。それを嬉しいと思うのは、ファーカー家への裏切りのような気がしてしかたがない。  アレン様が、番を得る邪魔になっていないだろうか……。それだけが、僕の気がかりだった。 「やぁフェイ、どうしたの?」 「トラヴィス様――」 「アレンは、もう闘技場に行ってしまったよ。応援にはいかないの?」 ハーブ園に寄り道してしまったから、遅かったようだ。 「トラヴィス様は、大会に出られるのですか?」 「残念ながら、大人の儀式をすませないと出られないんだ。アレンは、いつも手を抜くから早めに見に行ったほうがいいよ」  剣の大会にでるということは他人からは聞かされていたけれど、アレン様からは聞いていなかった。行くと気が散るのかなと思って敢えて訊ねなかったのだけれど、手を抜くからか……と、理由がわかった。剣の師匠は、弟子である僕の前で負ける姿を見られたくないのだろう。 「はい。アレン様のご両親がいらっしゃっているので、見に行くと思います」 「卿が来るのか。久しぶりに会えるのを楽しみにしていると伝えてくれ」  やはりトラヴィス様は、十歳くらいにはみえない。アレン様と同い年なだけある。  品格と物腰が、幼い容姿だというのに落ち着いてみせるのだろう。 「はい。お伝えします」  トラヴィス様は、護衛をつれて去っていった。闘技場で観覧されるのだろう。  僕は、アレン様が負けてもいい。でも僕じゃない人と戦う姿を見たくて、急いで帰った。 「フェイ。お父様達、陛下の近習の方が迎えに来たから、先に行ったわ。帰ってきたら来てねってお母様が」 「少しアクシデントがあって……」 「大丈夫? フェイ、何だかいい匂いがするわ」  リアン様が僕の背中にまわって服を掴んだ。 「ええ、ハーブ園に行ったんですよ。最近あのアレン様が寝付くのに時間がかかっているので、安眠できるハーブでももらいにいこうかな……」  ハーブ園に行ったときはすっかり忘れていた。許可さえもらえばハーブを摘んでも怒られないはずだ。一、二、の三で眠りに落ちるアレン様が、何かを考えているのか僕が眠るより遅い時があるのが心配だった。 「あのお兄様が?」  よく知るリアン様も驚いている。 「そうなんですよ。具合が悪いわけではないようなんですけどね」 「心配ね。ならお祭りが終わって人が減ってから一緒にもらいにいきましょうか。私もフェイについている匂いがとても好きな匂いだから、もらってポプリにでもするわ」 「そんなに匂いますか?」 「それほどでもないけれど、私が気付くくらいだからフェイ達なら……」 「ハーブが沢山あって、少し鼻が馬鹿になってるんです」 「鼻がきくというのも困りものね。でもこんないい匂いだもの、皆気にしないわ」  リアン様がこれほど気にいったなら、早くもらいにいこうかなと思いながら、僕は一人で闘技場にやってきた。トラヴィス様の護衛にも顔を知られているし、アレン様の匂いがついているから止められることもなく、貴賓席の方にいけるはずだ。  円形になった大きな建物の中央で、今まさにアレン様が戦っているのが見えた。貴賓席は上の方にあるけれど、それじゃアレン様の勇姿は見られない。僕は、師匠でもあるアレン様の剣で戦うところを側で見たかった。  沢山の人が見守っている。時にヤジを飛ばしたり、激励したり拍手で応援したり様々だ。 僕も一度でいいからこんなところで戦ってみたいなと思いながら、一番近くで見える辺りまで階段を降りていった。  相手は凄い気迫でアレン様にかかっていくのに、涼しい顔で受け流している。あれをやられると、挑む方は非常に疲れるのだ。全て無効化されるというのは、精神的に追い詰められる。そして、アレン様はそういう戦い方を好む方なのだ。剣筋を見る限り絶対性格が悪い。 「頑張れ――!」  思わずアレン様じゃない方の獣人を応援してしまった。 「しまった……」  アレン様は、こんな人の多いところでも僕の声を聞き取り、それがどちらを応援しているかさえバレてしまったようだった。僕に向けられた目が怖かった。  しまった、ついつい自分が戦っているような気持ちになっただけだけど、アレン様は多分怒っているだろう。 「お前は……っ!」  相手でなく、僕をみてそう口が動いた。  うわぁ、本当に怒っている――。これはデリク様達の方へ逃げたほうがいいだろうと、踵を返すと、歓声が沸き上がった。  足音と、覇気でアレン様が近づいてくるのがわかった。  そこまで怒ることでもないのに……と、振り向いたらアレン様がいた。 「アレン様――」  終わったのだろうけど、すぐに部外者のところに来るのは、間違っているはずだ。 「どこで付けてきた――、この匂いは」  アレン様が僕の服の中央を爪で一閃すると、上着のボタンが跳んだ。 「何を――? ハーブ園ですけど……」  訳がわからなくて、呆然としながらアレン様が僕の上着を剥ぎ取るのを見ていた。 「誘い込まれたのか? まさか無理矢理――……」 「え? 僕が連れていったんですけど……」  一瞬にしてアレン様の怒気が膨れ上がるのを感じ、頬が鳴った。  殴られた――? どうして……。 「アレン! 冷静になれ。お前らしくないぞ」  上のほうから走りこんできたトラヴィス様の静止で、アレン様は僕を殴った手を握りしめて下ろした。 「アレン様……、どうして?」 「部屋に戻っていろ――。お前が誰の物か教えてやる」  吐き捨てるように言ったアレン様は、もう僕を見ていなかった。 「アレン、フェイがお前を裏切ると、本気で思っているのか?」  トラヴィス様が、とりなそうとしてくれているのがわかった。  アレン様は無言でその言葉を肯定して僕に背を向けた。控えの方に行くのを呆然と見送った。 「おいで、これ以上アレンを刺激したくないから触れないけど、頬を冷やす物を用意しよう」 「トラヴィス様。大丈夫です」 「いいや。気付いていないかもしれないけど……。フェイ、涙が零れているよ」 「……訓練でよく殴られたり蹴られたりしてるので、本当に大丈夫です……」 「リアン嬢を護ろうとして受けた傷は勲章だから傷つかないかもしれないけれど、恋人に信じてもらえなかった傷は、痛いんじゃないかな。私はまだ子供だから、勝手な思い込みかもしれないけど」 「恋人じゃ……」  恋人じゃない。でも家族のように思っているアレン様の不信感は、僕を打ちのめすのに十分だった。  涙を零すほどのことじゃない。音は大きかったけれど、それほど痛いわけでもない。なのに何故だろう。僕の胸は激しく痛み、頬は熱くてしかたがなかった。  部屋に戻らなければ……。 「トラヴィス様、僕戻ります」  デリク様とアリシア様のところにいかなければいけないのに、僕はどうしても脚がそちらに動かなかった。理由がわからないまま、二人に会って、失望されるのが怖かった。 「フェイ……」  トラヴィス様は、これ以上僕を引き留めるのも無駄だとわかってくれたようで、追って来なかった。闘技場に城の大半が集まっているせいか、帰り道はほとんど獣人に会わなかった。だから、こみ上げてくる涙を我慢せず僕は泣いた。  痛いのは、頬じゃなくて、心だった――。
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