群れの証

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群れの証

 僕は、いつアレン様を好きになったんだろう――。  最初は、とても怖い人だと思っていた。リアン様には優しいけれど、僕を見る目は強くて、心の奥のドロドロとしたものを全て見透かしているようで苦手だった。一緒に寝ている時も、視線を感じて目が醒めることがあった。深く静かな眼差しは、決して情熱を湛えるようなものでもなく、僕がリアン様の護衛として相応しくないかどうかを判断しているように思えて、いつも心許ない気持ちだった。  好きだったと言われた今でさえ、あれは薬のせいで幻を見たのではないだろうかと不安になるほどだ。  信頼は、少しずつ培っていったと思う。アレン様は、僕が鍛えても鍛えても思うように強くなれないことを一度だって叱ったり、見下したことはない。無理をしすぎて怪我をしたり体調が悪くなった時は、怒ったけれど「無理をするな」と頭を撫でてくれた。   アレン様に触られるのも嫌いじゃない――。いや、自分が自分でなくなるようで怖いけれど、好きだ。  僕は、身体の方がアレン様のことを好きなんだろう。心は裏切られて 傷ついているというのに、身体を求められればアレン様の手の中へ簡単に落ちていくと想像がついた。  部屋を飛び出して歩いていると、トラヴィス様に声を掛けられた。 「フェイ! 何でこんなところに――」 「トラヴィス様?」  トラヴィス様は、僕を見上げて「ちゃんとアレンの番になったんだね」と微笑んだ。僕の首にもうガードがついていないから気付いたのだろう。 「でも本当にどうしてこんなところに……。アレン、もいたのか――。なら心配はないな」  僕の後方を見たトラヴィス様の声で、離れた場所にアレン様がいるのがわかった。なるほど、後ろからいい匂いがすると思っていた。そうか、これが番だけが感じるというフェロモンの匂いなのか……。 「城を出てどこかに遊びに行くの?」  その言葉で、住んでいる場所から離れた門の側まで歩いてきたことがわかった。 「いえ、部屋に戻ろうと思って……」 「アレンの部屋に住むんだろう? それとも屋敷の方に帰るの?」 「番は、一緒に住むのが普通なんですね」 「発情期は終わったの? 薬のせいで本格的な発情だったはずだろう。アレンもそれを見越して番休暇をとったはずだし。あれ? アレン帰っちゃったけど」  僕が考え事をしているとどこまでも歩いて行くのを知っているから、アレン様は心配してつけてきたのだろう。考え事が終わったら迷子になることもないから帰ったのだ。  そういうところが、好きだった――。 「アレンと喧嘩でもした?」 「いえ……」  トラヴィス様も関係のあることだけど、トラヴィス様のせいにするつもりはなかった。アレン様が、決めたことだとわかっているから。 「もしかして……、聞いたの?」  それがフィリップのことだとわかったけれど、アレン様が内緒で話してくれたのかもしれないと思ったから首を振った。 「殿下、そろそろお時間ですが」  離れていた側付きの一人が、チラリと僕を見て言った。 「少し遅れると伝えてくれ。フェイを送ってからいく。着いてこなくていいよ」 「そういうわけには――。この方は私が送っていきますから」 「いいから――。私が送っていくと言っているんだ」  トラヴィス様が断言すると、側付きの尻尾が困惑に揺れた。 「匂いをつけるとアレンが怒るから、手を繋げないんだよね。嫉妬深い番を持つと大変だ」  笑うトラヴィス様からは見えないけれど、迷惑そうな顔をした側付き達は僕を一瞥して去って行った。 「ごめんね、一喝してもいいんだけど、それじゃ私の前だけ偽るようになるからあまり意味がないんだ」  僕を蔑むように見ていたのを、トラヴィス様は気付いていた。 「いえ、お気になさらないでください。慣れてます」  Ωであれば誰だって覚えがあることだ。Ωは、淫乱で匂いと身体でαを虜にすると、抑制剤が確立されている今でも思われているのだ。選民意識の高い王宮のαなら、特にΩに対する侮蔑を幼い頃から親から受けていることが多い。 「慣れちゃ駄目だ。僕達は、同じ狼族だ。いや狼族でなくても構わない。同じ国に生まれて来た。たまたま、αとβとΩに性が別れているだけでそこに上下なんてない――と思っている」 「それは無理なことです」  卑屈になっているつもりはないけれど、これだけ能力に差があるのに平等だということ自体が、αの傲慢だと僕は思う。アレン様の筋肉と僕の筋肉は同じように鍛えても全く違うように――。  言わなくてもいいことを言ってしまったと後悔した。普段なら、「そうですね」と流せるのに、何故かトラヴィス様には僕の気持ちを伝えていた。トラヴィス様の雰囲気が、そうさせたのだと思う。 「どうして無理だと思っているの? そりゃ違いはあるよ。同じαだって能力に差がある。だからって差別する理由にはならないと思うんだ」 「……トラヴィス様は、強いからそう思うんですよ。きっと自分のいる場所を確認するためだけに差別するんです。安心するために」  叔父さんは、そういう獣人だった。仕事で嫌なことがあると、僕に物を投げつけていた。叔父さんだけじゃないと僕は思う。さっきの獣人だって、僕が普通に歩いていたらあんな目を向けなかっただろう。自分の大事な主人にΩ如きが、名を呼び、心配されているのを見たからあんな態度をとったのだ。 「アレンと何かあったんだね。フェイ、屈んで? 命令だ」  僕の心が荒くれているのに気付いたトラヴィス様は、話を変えるためにかそう言った。 アレン様の主に僕が従うのは、当然のことだ。跪いた僕に、トラヴィス様は「ジッとして――」と言って服のポケットから何かを取り出した。 「何を――?」  耳を触っていると思ったら「痛いけど我慢してね」と言った。 「ん……ッ!」 「我慢強いね、フェイ。来なさい」  耳に痛みが走り、咄嗟に膝のズボンを掴んで耐えた。何をされたのかよくわからない。ズキズキと痛む耳を触ると、リングがはめられていた。 「まさか――」 「君は、それだけのことをした。フェイ、アレンと私の話をしてあげよう」  耳につけられたのは、見えないけれどアレン様がつけているものと同じような感触だった。  群れの証――。この城で、誰もが欲しがっているはずのものだ。  何故、城で働いているわけでもなく、関係のない僕にこのリングをはめたのかわからなかった。迷いながらも知りたいという気持ちに抗えなかった。いつも使っているのとは反対のらせん状の階段を上り、緊張しながらトラヴィス様の部屋らしき場所に通された。 「飲み物いる?」 「いいえ、いりません」  広い豪奢な部屋だけど、整然としていている。ずっと暮らしているはずなのに、仮住まいの僕達の部屋の方が、余程住んでいる気配がするはずだ。 「座って――。フェイ、私が言うのもなんだけど、もう少し危険管理をしたほうがいい。子供の姿をしていてもホイホイ着いてきたら駄目だ。アレンがフェイの心配をする理由がわかったよ」  真向かいのソファに座ったトラヴィス様は、笑いながら僕に言う。 「ホイホイでは……」 「今はまだ、フィリップの残党がいないともかぎらないからね。ハイジのこと聞いたんだろう? でなかったら、アレンが君をベッドから出るのを許すわけがないからね……」 「残党ですか? 僕、リアン様のところに戻らないと――」 「今は、イヴァンが一緒だろう? 大丈夫だ。あの獣人は、一対一ならアレンでも勝てないほど強いから、安心して?」 「アレン様より?」 「種族的なものだよ。雪豹族の戦士は個々での能力値が高い。私達は、良くも悪くも群れだからね」  イヴァンジェリン様の見た目はそんな風に見えないから意外だった。でもそれなら安心出来る。アレン様が、リアン様を一人にするはずがないのだと思うと、ホッとした。 「こう言ってはなんだけど、君には言わないと思っていた。信頼されているんだね。それともフェイが許してくれると思っていたのかな?」 「僕が許しても許さなくても……」  関係ないのかな……。 「どうでもいいと思っているなら言わないと思うよ。アレンは、そういう男だ。もしかして、アレンに何か言った?」  アレン様は、僕に偽るなと言った――。だから、隠さなかったのだろうか。自分も同じように誠実であろうとしてくれたのだろうか――? 「嫌いだと言ってしまいました……」  聞かれた事とは違うとわかっていたけれど、僕は後悔で溺れそうだった。 「アレンをスカウトした時、私が約束したことを教えて上げようか」 「約束?」 「そう、約束をしたんだ。……生まれて五年くらいは、私は普通に成長していた。その頃は、何人もの兄達が跡継ぎ候補として名乗りを上げていた。私は、遅くに生まれたから無理だろうと思われていたし、思っていた。ただ、フィリップがβやΩを差別しているのを見て、こんな男が王となったら……と思ってゾッとした。周りをαで固め、ちょっとした失敗も大げさに叱りつけているのを見ていると、こんな男を放っておくのなら、負けるとわかっていても挑もうと決めた」  今、トラヴィス様以外の跡継ぎ候補はいないから、色々あったのだろうと思う。 「トラヴィス様は、やっぱり強い……」  自分達の王となるのがトラヴィス様で良かった。 「自分の群れを作ろうと決めて、アレンを誘った。もうその頃は、優秀なものは大体群れを決めていて私より歳下のものしか残っていなかった。アレンは、デリク殿に『群れを決めるのはまだ早い』と言われて決めていなかったけれどね。でも、勝ち目のない私に同情でついてくれるほどアレンは甘くなかった。その頃からかな、身体の成長が急激に遅くなりはじめたのは。父上は、私に王の資質があるかもしれないと気付いて、跡継ぎを決めるのを先送りにしてくれた。本当はね、珍しいもの好きの母上の旅行に着いて行きたいから、早く王位を譲りたかったのに。それだけは悪いことをしたなって思うよ」  デリク様がアレン様にほとんど実権を渡しているように、同い年のトラヴィス様が普通に成長していたのならもう王位に就いていてもおかしくない。 「それでアレン様はトラヴィス様の群れに?」 「アレンは慎重だし、派閥争いに嫌気がさしていて、中々頷いてくれなかった。だから、まだ誰にも言ったことのない私の気持ちを話したんだ。私は、βもΩもαと区別されないような国にしたいんだって――。そういう意識の改革は、一代じゃ無理だ。跡継ぎが自分と同じ気持ちでいてくれるとは限らない。だけど、私は運良く長い時を生きることになる。一代じゃなく二代、三代分くらいは治世出来るはずだ」 「そんなに……」 「そう、私が生きている間に意識は変えてみせる――。私の番となるものは、αではない。βかΩだ。皆が個々の能力でなく、性別で差別されない国を共に作る相手がきっといるはずだ」  アレン様が僕やリアン様を囮にしてもトラヴィス様の未来の番を護りたいと思ったのには、そういう理由があったのか。 「アレン様は言葉が少ないから……」 「どうでもいい人間には親切なのに、フェイに甘えているんだ」  確かに、城でアレン様が人当たりがいいと聞いた時、僕は誰の事かと思ったものだ。 「リアン嬢がΩであると知って、アレンをスカウトするのにちょうどいいと思っていた。アレンが妹を可愛がっているのは知っていたから。でも、アレンがフィリップを排除して、私の計画に本腰を入れたのは、多分、フェイと出会ってからだ。リアン嬢が人族という特殊なΩであるから、計画にのっていはいても諦めがあったのかもしれない。でもここ二年くらいか、アレンは私よりも真剣にΩの地位向上を考えていた」 「僕と出会ってから……?」 「そう。囮にするとは言っても、もちろん二人には護衛がつけていた。ハイジじゃない奴をね。思ったよりハイジは狡猾で、護衛がまかれて、フェイにつけていた方はフィリップにやられていた。ハイジに撒かれた護衛がアレンと私のところに来たときの、アレンの顔は夢にみそうなくらい怖かった――。ごめんね、フェイにばかり負担をかけてしまった。そのルビーは、君への正当な対価だと思って欲しい」  このルビーがあれば、僕はアレン様の所有を解除することも出来るはずだ。それくらいの地位を示す。対価としてトラヴィス様から与えられる賞与は、一生遊んで暮らせるだけのものがある。 「これがあれば、僕は自由になれる……んですね」 「ああ――。どう使ってもいい。城で仕事が欲しいなら私の秘書官になったらいい」 「でもアレン様は……」 「アレンは、私がこれを与えることを知っているよ。今日の朝、フィリップの処遇が決まった時に、呼び出した」 「何て――?」  アレン様は、どう思ったのだろう。 「フェイの思うままに――。そう言っていたよ」  僕の意志、僕のやりたいこと――。僕が離れていくとは思わなかったのだろうか……。 「トラヴィス様、もう少しだけ時間をください」  黒い耳をピクピクと動かして一瞬考え込んだ後、トラヴィス様は頷いた。  このまままた迷子になると大変だからといって、トラヴィス様は一階の僕の部屋の前まで送ってくれた。  もう少しだけ、考える時間が欲しかった――。 
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