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仮初めの運命
城の侍女達は、屋敷の侍女より踏み込んでこないので今はありがたかった。 服を脱ぎ、寝間着に着替えようとして、耳のリングを思い出した。大きな鏡に映る僕の耳には、赤い石が煌めいていた。
「アレン様は、どういうつもりなんだろう……」
二人でいたとき、そんな話はしなかった。僕がルビーをもらったとしても、自分の元に留まると思っていたから? それとも、僕が去っても平気……だったのだろうか。
「駄目だ……今は、考えたくない」
トラヴィス様は、優しい顔をして僕に考えなければいけないものを更に増やしてくれた。ルビーは、褒美なのだろうけど、僕が決断しなければいけない重大な事柄だった。
「どうして帰ってきてるの? 侍女に聞いて驚いたわ」 「リアン様……。どうして……」
僕のベッドに一緒に横になっているんだろう。
「服がしわくちゃになりますよ」 「部屋着だからいいわ。だって、フェイと三日も離れていたのよ。ずっと一緒だったのに、寂しかった――」
そんな事を言われたら文句も言えなくなる。
「リアン様、リネット王国は遠いです……」 「……そうね。でももっと遠くに行くことになるかもしれないわ」
リアン様が戯けるように言った言葉が僕の胸に突き刺さる。
「それはっ! リアン様は大丈夫です。イヴァンジェリン様ならきっとお似合いの番になりますよ」 「ええ、イヴァン以外の誰も私の番ではあり得ない。それは、もうわかっているのよ。これほどわかりやすいものだと思ってもみなかった……」 「そんなに?」 「ええ、一緒にいたらとても楽しい。触られても全然怖くないの。時折αの気配を感じるけど、心を揺さぶられるような気持ちになるだけで、気を失ったりしないわ」 αであれば、家族と言えども恐怖を感じるという人族の宿命の中でどれほどの救いだったのだろう。しかも番った後は、他のαに対する恐怖も消え去るという。
「そんなふうに、僕も思えたらいいのに……」
ふと過った気持ちが口をついて出た。リアン様は、驚いたように僕の顔を見つめる。
「何を言ってるの? あなたたちだって、どれだけ……。そうだったわね、そうだわ。フェイは、お兄様のこと好きな気持ちをバレていないと思っていたのだったわね――」 「リアン様っ、何を……」
僕の気持ちがまさかリアン様に気付かれていたとは、今日まで知らなかった。だって、僕自身、この想いが好きだとか愛……しているとかそういうものだと理解していなかったのだから。
「フェイは、お兄様の前では一生懸命普通の振りをしていたのだろうけど……隠せてなかったわよ。ほっぺが蕩けそうに美味しいリンゴのパイをもらって二人で食べていたら、お腹が痛くなったから残りはお兄様に……って置いてたり。お兄様に抱きつかれて眠ったせいで出来た寝癖を何度も鏡で確認していたり。お兄様のお友達が屋敷に来たときは、気になって本館まで見に行ったり……。あら、恥ずかしがらないでいいのよ」
いたたまれなくて、背中を向けたのにそう言われて言葉を失った。 「僕は、アレン様の視線が怖かった。リアン様の護衛として相応しくないとおもっているんじゃないかとずっと不安でした。それでも僕はリアン様と、そしてアレン様に必要としてもらいたかったんです……。好きだとか、そういうのは……」
両親が亡くなった後の叔父さんの家で、僕は血のつながりがありながらも他人だった。殴っても文句の言われない好き勝手使える召使いだと思われていることに気付いたのは、すぐだったと思う。 ファーカー家の皆さんは優しくて、僕の事を頼りにしてくれた。だから、僕はこの身を賭けることにためらいもなかった。 アレン様がくれた愛しているという言葉は、とても甘美で目も眩みそうな輝きで満ちていた。 トラヴィス様が教えてくれた二人の約束は、とても重要なことだったから仕方がないと理性ではわかっているのに、どうしても僕はアレン様の元に帰る気持ちになれなかった。それは、僕が家族というものに憧れのようなものをもっていて、それを裏切られたと思っているからだろうか。それともリアン様や僕以上に大事な物があるのが許せないからだろうか。
「私の運命の番はイヴァンだわ。私は、それを本能で知ったわ。ねぇ、お兄様もフェイのことを運命の番だといったわ。確かにそう、あのお兄様が本能に抗えず、『私のものに手を出した報いを受けてもらうだけだ』って言ったのを覚えている? フェイが私を庇って目に怪我をしてしまったときのことよ。最初は私と同じでトラヴィス様の番候補として城に来たのに、そういう計画だったのに、冷静沈着なお兄様が我を忘れたのよ――」 リアン様は、僕に訊ねているようでいて答えを期待してはいないように、考え込んだ。
「僕には、アレン様が運命なのかどうかわかりません……」 「そんなこと、あるのかしら? 端から見ていてもラブラブというかイチャイチャしているようにしか見えないのに……」
そんな事を言われても、僕にはわからない。
「お兄様には理由がわかるのかしら……?」
独り言のように呟いたリアン様は、いつもの無邪気な彼女とは違って見えた。
「リアン様がいうように、運命の番が本人にもわかるというのなら、僕じゃないのかもしれませんね」
アレン様が勘違いしている可能性だってある。それを思うとキュゥと胸が痛んだ。
「そういえばフェイ? ……荷物を取りに来て疲れたから眠ってたわけじゃないの?」
僕の様子が変だと思ったのか、リアン様は起き上がり訊ねた。
「えっと――」 「もしかして、今回の作戦のことを聞いたの?」 「リアン様……? 知って――?」
アレン様は、リアン様にも告げたのだろうか。 リアン様は、僕の手を握った。
「フェイ、お兄様に囮のことをあなたに内緒にしてほしいとお願いしたのは私なのよ。ごめんなさい、あなたにばかり負担を負わせてしまったけれど、あんな薬を使うなんて聞いてなかったの。怖かったでしょ……」 ギュッと握るリアン様の手が僅かに震えている。
「いえ、僕は……」 「怖いはずよ。人族じゃないから死にはしないかもしれないけれど、あんな粗野で乱暴な男に噛まれて、恐怖を感じないわけがないわ」
起き上がった僕に抱きついてきたリアン様の目には、うっすらと涙が浮かぶ。
「ごめんなさい、泣くつもりはなかったのよ」
グイッと僕の胸に顔を押しつけたリアン様の丸い後頭部をそっと撫でた。
「大丈夫ですよ」
嘘じゃない、僕は僕自身よりもリアン様が無事でよかったと、心の底から思っている。
「フェイは、平気な振りをするから……。お兄様の計画は、フェイが来る前から聞いてはいたの。トラヴィス様の作る未来に、可能性を賭けてみたいって――。私は、ずっと大事に大事に育てられてきたわ。見つかるかどうかもわからない番を信じて待つには、私は短気だったのね。何もなさず、お兄様の足枷となって生きていくだけなのは、嫌だった。だから了承していたの。まさかこんなタイミングで番となる相手に出会えるなんて思ってもみなかった。フェイは優しいから、きっと私を囮にするといえば、気が休まることがなくなるだろうと思って、言わないでほしいとお願いしたの」
ファーカー家の子女として生まれたリアン様は、勉強も振る舞いもそれに相応しいものを身につけている。護られるだけじゃなく、いつも僕を護ってくれていたのだろう。
「リアン様は、優しいですね」 「いいえ、フェイが優しいから幸せになってもらいたいの。私じゃ騎士になれないから、しかたないからお兄様に譲ってあげるのよ」
それこそ花のように微笑むリアン様に、僕はどう言えばいいのか困ってしまった。
「僕、アレン様のこと嫌いだって言って出てきてしまいました」 「そうなの? その耳飾りも気になっていたのだけど……」 「褒美だとトラヴィス様から賜りました。アレン様は僕の自由にしていいと言っていたそうです……」
ため息を吐き、リアン様は立ちあがった。
「もう、お兄様も殿下もわかっているくせに――」 「え?」 「お兄様が殿下のことを警戒するのは、そういうところなんでしょうね」 「あの?」
グイッと僕の手を引っ張るリアン様は、少し強い口調で「お兄様のところに帰るわよ」と言った。
「僕は、心の整理がつくまで待って欲しいとおねがいしたんです」 「フェイ、あなたが迷う気持ちもわかるし、お兄様のことを信用出来ない気持ちもわかるわ。でも、今は帰らないと駄目なのよ。二人ともわかっているくせに言わないなんて……」 「リアン様っ」
手渡された服を困って見つめていると、リアン様は説明してくれた。
「フィリップを追い出した理由を思い出して。ファーカー家の次期当主であるお兄様の運命の番であるあなたと、殿下の番候補であった私を狙ったからでしょう? フェイのことを周知させるためにお兄様の匂いをつけて城に来ていたことになっているのに、番になってすぐに離れてしまったら、反対にお兄様がフィリップが見初めたフェイを奪ったんじゃないかって変な噂がたつかもしれないわ。それは、ファーカー家、そして殿下にとっても容易に放置出来るものではないでしょうに……。フェイとお兄様は運命の番として仲睦まじくしていないと……。火がないところにも煙はたつのよ。短い期間とはいえお城の生活で、それはわかっているでしょうに……」
リアン様の言葉に、何故そのことに考えが及ばなかったのかと自分の浅はかさに落ち込んだ。
「僕は……」 気付かなかっただけで、アレン様の番になれたことに浮かれていたのだろう。
「色んな事があったから、気付かなくてもおかしくないわ。まだ発情期が終わってないってお兄様も仰ってたから」 「やっぱり僕じゃ……」 「あなたたちのはただの番契約じゃないの。運命の番は、やめましたって言っても効力はあるから、多分フェイかお兄様が死んでしまわないと次の相手との間に子供は生まれないはずよ」 「……え?」 「運命の番なんて本当に珍しいから、知らないかもしれないけれど……」
知らない。運命なんて、ただの誇張だと思っていた。ただ、惹かれやすいとか身体の相性がいいとかその程度のものだと。
「僕が死なないと……」 「そうね。お兄様は次の番を探さないでしょうね。お兄様が理性を手放すのはフェイにだけって、気付いていないの?」
リアン様と一緒にアレン様の部屋がある棟に向かった。どんな顔をすればいいのかわからないけれど、帰って、僕はアレン様になんと言えばいいのだろう。
「キャッ」
リアン様が小さな声を上げた。 アレン様の部屋の扉を叩こうとしたら、扉が開いて獣人が出てきたのだ。
「失礼――」
出てきたのは、先程トラヴィス様の護衛をしていた獣人だった。開けたシャツを慌てて止めながら僕をきつい目で睨みつけ、彼は去って行った。
「……お兄様、何をなさっていたの?」 「フェイ」
服を開けているというと、あやしい妄想しか思い浮かばなかったが、アレン様は一糸乱さぬ姿で佇んでいた。
「アレン様……」
いい匂いがする。何という花だったか、春に咲く花の匂いに似ている。近づいてくるアレン様の視線が耳の飾りに移り、そっと僕を抱き寄せた。
「受け取ったのか――」 「これは受け取るとかじゃ……」
勝手にはめられただけなのに、悲しむような口調でアレン様は耳の飾りに口付ける。
「別にいい――。フェイ、戻ってきてくれたのならそれだけで……」
アレン様の匂いと声に頭がぼんやりと霞む。上げられた頤は、口付けるためだとわかっているのに、僕は嫌だと言えなかった。
「フェイは、そういうつもりで帰ってきたんじゃないの!」
アレン様に触れないリアン様は、僕を横から突き飛ばした。
「痛いです……」 「フェイ、流されていいなら私も気にしないけど」 「いえ、ありがとうございました……」
横を向きチッと舌を鳴らしたアレン様が、確信犯だと気付いた。
「お兄様も、フェイのことを本当に想っているなら、なし崩しに身体で取り込もうとかなさらないで! さっきの獣人は誰なの? あんな淫らな格好で部屋から出てくるなんて……」 「シャツの前が開いてただけだろう……」 「それが淫らだと」 「フェイが私のところから逃げたと思って、後釜を狙いに来たやつだ」
まさかと思っていたけれど、本当にそうだとは思ってもみなかった。
「ほら、もうこんな事に……。お兄様も殿下も、フェイが部屋に戻ったらどんな噂がたつかくらい想像出来るでしょうに」 「無理矢理部屋に縛り付けておく訳にはいかないだろう……。そうか、それでリアンに説得されて戻ってきたのか。お前は、リアンの言うことには素直だな」
アレン様の目に映るのは、嫉妬なんだろうか。
「そんなフェイが浮気しているようなこと言わないでちょうだい」 「本気なら言っていいのか……?」
わかっている、アレン様はいつもと同じだ。別に僕を酷く責めているわけじゃない。いつもの軽口だとわかっているのに。
「フェイ!」
だから嫌なんだ。アレン様にこんな気弱な僕は見られたくないのに――。
「フェイ?」 零れた涙を隠すように二人には背を向けた。
「この部屋は二人の部屋だ。好きに使っていい。寝台はお前が使え。俺はソファでいい。お前がいいと言うまで触らないようにする。待ってる――。俺がお前を愛するように、お前が求めてくれるのを――」
アレン様は、そう言ってリアン様を送ると部屋を出て行った。二人は多分気を遣って出ていったのだ。優しいところは、二人ともよく似ている。
「アレン様……」
僕は、自分の気持ちを持て余している。溢れてくる涙が止まってしばらくしてからアレン様が帰ってきた。 そして、僕達のぎこちない新婚生活が始まったのだった。
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