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僕の愛しい騎士
「お前は――?」 「フィリップ様を陥れ、よくものうのうとファーカー家の嫁に収まったな。汚らしいΩめ! 殺してやる――。一人になるのを待っていた」 「フィリップは、トラヴィス様の番候補であったリアン様を狙った犯罪者だ!」
繰り出されるナイフを何とか躱す。
「人族など脆弱なΩの最たるものだ。消え去るべきだ――」 「お前もα至上主義か! フィリップと同じで力のみで人を判断する馬鹿だ!」
僕、そしてトラヴィス様やアレン様の思想と反対の勢力がいるとは思っていたけれど、これほど人の話を聞かないとは思っていなかった。
「死ね!」
襲撃者は、迷いもせずナイフを突き出してくる。
「こっちも仕事なんでね……」
怠そうな声で僕との間に入ったのは、この前アレン様の部屋から出てきたαの男だった。僕の護衛がまだいたのかという驚きと人選が意外すぎて言葉も出なかった。しかも渋々出て来たよ。
「邪魔をするな! お前だって、そいつがいなくなれば、アレンの番が消えてちょうどいいだろう?」 「何を……」 「アレンの横にいたくないのか? 今までずっと側にいたのだろう? 今なら、ちょっとそいつの腕を掴んでくれれば、俺が刺し殺してやる。お前は、護ろうとしたけれど、護れなかったというレッテルだけですむ。あの男が欲しくないのか?」
悪魔の囁きは、一瞬判断力を奪ったのだろう、襲撃者が投げた丸いものが割れて粉が僕達の視界を襲った。
「ゲホッ! なん……うわぁ!」
刺激に目も開けていられない。襲撃者は、目をマスクで覆って防御していた。
「ゲホゲホゲホッ! 鼻が!」
痛みすら感じる刺激のある粉だった。鼻の奥と目が特にツン! としている。 僕と護衛の男が混乱しているのに乗じて、襲撃者はナイフを煌めかせた。護ろうとする男を蹴りつけた襲撃者のシルエットに、僕は半分諦めかけていた。 今、一瞬だけ止まってしまえば、僕の願いは叶うのだ――。 アレン様を解放出来るという甘美な誘惑と、こんなところで負ければ僕をずっと鍛えてくれていたアレン様に申し訳ないという気持ちで揺れた。
「嫌だ! 僕はお前達に負けたりしない!」
僕がアレン様を諦めるのは、Ωというだけで僕やリアン様を見下す男達に屈してとかじゃ駄目なんだ。
「フェイ――!」
見えないし、鼻がおかしくて匂いもわからないけれど、僕を包む温かい身体を感じた。
「アレン様……?」
ズブッ! っと嫌な音がした。
「グッア……ッ!」
アレン様の声に苦痛が混じる。
「アレン様!」
僕を護る身体が傾いだ。
「アレン様! こいつめ! 死ね!」 「ジェイク、殺すな――。仲間がいるはずだ……」
僕の護衛をしていたジェイクは、半分見えないまま体当たりし、アレン様と一緒に来た誰かが襲撃者を拘束したと交わす言葉でわかった。 僕の時は、迷いながら戦っていたジェイクが、アレン様の危機に本気になったようだ。
「……アレン様、血が――」
白い手の毛にべっとりとついた血は、僕のものじゃない。
「フェイが、無事でよかった……」
アレン様らしくない言葉に、涙が零れる。滲む先にアレン様の苦痛に満ちた顔があって、僕はやっと少しだけ戻った視界の端にナイフを見つけて息を飲んだ。
「アレン様、死なないでください――……」 「これでお前を解放してやれる……な。……フェイ、愛してる――」
アレン様の指が、僕の涙を拭った。
「いやぁ! 僕は……、僕はアレン様が死んだら……生きていけない……。お願い! 死なないで……」
すがりつく僕を抱き寄せ、アレン様は口付けた。
「んぅ……、あ、駄目です。動いちゃ」
そうだ、ナイフは抜いちゃ駄目なんだ。でも、どうすればいいんだろう。医者はどこにいけばいいんだろう。 混乱する僕を抱きしめる手の強さは、瀕死には思えないほど強い。傷が心配で涙が止まりそうにない僕に、何度も口付けるアレン様の背後から、知った声が聞こえた。
「アレン、いい加減医務室にいけ――。フェイが過呼吸を起こしかけているぞ。目も洗ってやらないと……」 「トラヴィス様! アリシア様! アレン様が死んじゃう……」
いつの間に来ていたのかトラヴィス様がそこにいた。アレン様と一緒にきて襲撃者を拘束したのがアリシア様だという事に気付く。
「だから、お義母さまと呼びなさいって言ってるのに……」
拗ねたような声だけど、アレン様を心配している様子もない。
「フェイ? アレンはそのくらいのナイフじゃ死なないよ。先が入っているだけだから、大したことない。筋肉が分厚すぎて貫通しなかったようだね。毒が塗っていたなら危ないけど……、安心していいよ」
トラヴィス様の言葉に、唖然とアレン様を見上げた。チッと舌を鳴らしてから、僕に微笑むアレン様に先程までの苦痛の色はなかった。
「え……? アレ……ン、様?」
僕を解放するとか言ってましたよね? 思考がついていかなかった。ズキンズキンと痛むのは、胃のような気がする。最近ずっと痛かった胃が、ここぞとばかりに悲鳴を上げた。
「フェイ、どうした?」
口を押さえたけれど、突然せり上がってきたものは止まらなくて、胃液と血が混ざったものをアレン様に向かって嘔吐した。
「キャ――! フェイ? フェイ大丈夫?」
アレン様の脇腹にナイフが刺さっていても声を出さなかったアリシア様が悲鳴を上げた。のは、覚えている。
僕は、アリシア様に抱かれて、医務室に運ばれた。アレン様が抱き上げようとしたのを一喝したのは、吐瀉物が汚いとか怪我が広がるからとかでなく、僕を悲しませた罰だそうだ。 僕は知らなかったのだけど、アリシア様は、トラヴィス様の伯母で、国王陛下の姉君だそうだ。αだけが感じることの出来る順位付けだと、かなり高位でデレク様よりも上なのだそうだ。そんなアリシア様は、僕をお姫様抱っこしたとしても全く問題がない力の持ち主だった。アレン様にしろアリシア様にしろ、αって本当に凄いなと僕は改めて思ったのだった。
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