愛しさが溢れる

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愛しさが溢れる

 蜜柑色に手を染めながら、母は丁寧に磨く。狼獣人は、蜜柑の皮の汁が苦手なんだけど、うちの甘い蜜柑は好きだとわざわざ取り寄せる人がいるのだ。  母の毛皮は、真っ白で子供の僕の目から見ても美しかった。 「お母さん。どうして僕達、お父さんと色が違うの?」  母が綺麗に磨いた蜜柑を一つずつ木箱に詰めていくのが僕の仕事。作業の合間のたわいない話だったと思う。 「フェイは、お父さんと一緒が良かった?」 「ううん、お母さんと一緒でよかったよ」  本当は父と同じ色が良かったけれど、否定したら母が悲しむかと思ったのだ。 「手はいつも蜜柑色の手袋をしているみたいになるし、夜目に目立つし、いいところはあまりないでしょ。でもお父さんが、大好きな百合の花と同じ色で綺麗だよって、この色が好きだよって言ってくれるの。だから好きになることにしたの。フェイも、好きな人が出来たら、その人がフェイのいいところを沢山見つけてくれるわ」 「僕のいいところ、どこかなぁ」 「フェイも、アレン様のいいところを沢山探すのよ」  アレン様? そうだ、僕の番はアレン様――。 「アレン様は、嘘つきなんです、お母さん――。でも、僕の事愛してるって、僕を護ってくれて……。だから、お母さん、アレン様を連れて逝かないで――……」  手を伸ばした先にいたのは、母じゃなかった。大きい手が僕の手を優しく包み込んでくれていた。匂いで、アレン様だってわかる。 「フェイ……?」 「お母さん……」  アレン様の静かな目が見下ろしていた。母とも父とも違う。理性的で、涼しげな瞳、僕の好きな目だ。 「夢を見ていたのか?」 「お母さんに会いました……」  両親の最期を僕は見ていない。土砂に埋もれ、海にまで流されて、二人の遺体は見つからなかったのだ。だから、僕の覚えている両親は、先生のところに勉強に行くのを見送ってくれた優しい笑顔だった。 「アレン様! 怪我っ!」 「大したことはない。毒も塗ってなかったから、傷はすぐに塞がる」  傷の事を思い出して寝台から起き上がってみると、そこは見慣れた僕達の部屋だった。 「どうして……」  死にそうな顔で、『これでお前を解放してやれる』と言ったのは、演技だったのだ。  何故そんなことをしたんですか? からかったの? 聞きたいことは、沢山あったけれど、言葉にすると一言しか出てこなかった。  僕をからかうとか、あんな場面でする人でないことは知っている。  アレン様の耳が躊躇うように少しだけ揺れてから、僕の一挙一動を見逃さないように真剣に向き合う。 「不安だった。お前の怒りも悲しみもわかっている。悪いのは、俺だ。お前に本当のことを言わなかった。護るつもりだったとはいえ、怖い思いをさせた――。それでもお前は、私を愛していると信じていた――」  不安、アレン様に似合わない言葉だ。 「っ痛」    意気消沈している姿がらしくなくて、アレン様に手を伸ばしたら、胃の辺りがひきつるように痛んだ。 「大丈夫か? 胃の痛みはストレスだと診断された――。血を吐いたのをみて、俺が如何に愚かだったか知った。お前が、俺に触れるのはリアンが家の為にと持ちかけたからだろう? だが、夜中、うなされているから顔を見にいくと、お前は俺の服を握って離さないんだ。お前の意識がないのをいいことに、頬に触れて首筋に顔を寄せた。深く息を吸い込むと、甘い匂いがしてたまらなくなった――。それでも、お前との約束だから我慢していた」  なるほど、それで朝目覚めると、覚えのないアレン様の上着を握っていたわけだ。 「アレン様……」 「身体は俺を求めているのだから、きっとすぐにお前は許してくれると、甘い考えを抱いていた」  横に置いていたカップをアレン様が飲むようにと渡すから口に含んだら、苦くて渋くて、吐きそうになった。 「まずい……」 「胃薬だ。中庭で、お前と母上が見ているのに気付いていたから、副官の肩を抱いて親しげに話しかけた。お前が妬いて、『番である僕がいるのに――』と怒るかと期待した。でもお前は、何も言わなかった。トラヴィス様の信頼の証しをもらってどう思っているのかも。一緒の部屋で暮らしていても、気持ちはいつも遠かった。俺が、出て行けと言ったら、何も聞かずにでていくんじゃないかと思えるほどに――」  アレン様は鋭い。想像した通り、僕は出ていくだろう。悲しみと苦しみと、そして少しの安堵を抱えたまま。きっと、後で泣くけれど。 「どうしていいのか、わからなくなった――。お前の本当の気持ちを聞きたかった。刺されたのは、咄嗟にお前を庇うことしか脳裏になかったからだが、抱き寄せたお前を前に、最後のチャンスのような気がした……」  試していたのか……。同じ事をしたら、きっと烈火のごとく怒るのに――。 「だから、死ぬふりをしたんですか? 僕がどれほど心を痛めるのかわかっているのに?」 「そうだ――……」  後悔しているのも、また僕が怒り出すのを恐れているのもわかる。両拳が震えるほど、力がはいっているのは、そのためだ。 「胃が……」 「痛むのか?」  今はそれほど痛くはないけれど、寝間着の上をさすった。 「薬をもう一杯用意しよう……」  椅子から立ちあがったアレン様の服の端を握り、首を横に振って留めた。 「いがらっぽくて、まずくて……我慢できない。だから……口直ししてください――。Ωの体調不良は、番の責任なんですよね?」  わざとらしいくらい舌を出して、まずさを強調した。本当にまずいから、嘘くさくはないと思うのだけど。  今回アレン様が演技をしたことに関しては、それほど怒っていなかった。僕の本当の気持ちを、あれで知ることができたからだ。  あの時言った『フェイが無事でよかった』という言葉は、心からのものだと信じられる。『アレン様が死んだら……生きていけない……』  運命の番だからだろうか、あの時、僕は喪失感でこのまま死んでしまうんじゃないかと思った。だから胃が限界を超えたんだろうけど。 「触れて、いいのか?」 「僕は、アレン様のように強くないから、あなたに治してもらわないと――」  嘘くさくて、誘い文句にはなっていないのだろうか……。心配になるほど、アレン様の瞳には迷いがあった。 「フェイ……」 「あ……、ごめんなさいっ! アレン様は傷が……」  いくら平気だと言っても、ナイフが刺さっていたのだ。僕を抱いたりしたら、傷が痛まないわけがない。そんなことに気づきもしなかった僕は、浅はかだ。 「傷なんか大したことじゃない――。怒ってないのか?」 「怒ってますよ」 「なら、何故――?」  許せない嘘をつかれたという失望が、いつのまにか僕が相応しくないからアレン様は嘘をついたのだと意識をすり替えてしまっていたことに気付いた。いや、薄々は気付いていたのだと思う。リアン様が、実は計画を知っていて僕に教えないようにとアレン様に言ったのだと聞いた時、僕は許すべきだった。  番になった、発情期だからもう接合したのだと言われて混乱していたのもあるけれど、僕は怖くなって、逃げたくなったんだ。  かけがえのないものを失うことに怯えていたのだ。ある日突然失った両親のように。  でもアレン様が刺されたことで、僕は知った。   「僕の中で、アレン様はもう特別だって気付いてしまったから……。喪失感でこのまま僕も死んじゃうんじゃないかと思ったんです……。誰にも渡したくないっ、て……んんっ!」  身体が潰れちゃうんじゃないかと思うほど抱きしめられた。 「フェイ……っ、愛してる――」  顔をゴリゴリと押しつけられると、痛みが存在感として安心感を与えてくれる。 「アレン様……、愛してます」  素直に言葉を紡げてよかったと思う間もないほど、アレン様は僕を寝台に押し倒して服を脱ぎはじめた。 「皺になりますよ」  几帳面なアレン様に珍しく、服が脱ぎ散らかされ寝台の下に落ちていく。 「服の心配をする間もなくなると思え――」  脇腹の傷を保護するために巻かれた包帯が痛々しい。 「傷、本当に大丈夫なんですか?」  フッと笑うアレン様の整った顔立ちに、思わず見とれてしまった。 「名誉の勲章だ。お前の美しい身体にこれ以上傷を作りたくなかった――」  目の傷の上にキスをしたアレン様は、脱がせた僕の全身をじっくりと眺める。 「あまり見ないでください……」  エリがブラッシングをしてくれているお陰で美しい毛並みになってきたとはいえ、僕の毛皮はアレン様のような光沢も毛の量もない。 「どうして? 俺の一番美しい宝物だ」  満足げに微笑みながら、僕の身体をゆっくりと撫でるアレン様の首を引き寄せ願う。 「恥ずかしいんです。発情期じゃないから、あまり愉しめないかもしれませんが……、早く貴方が欲しい……」 「フェイ、貪欲に俺を欲しがるお前もたまらないが、そうやって照れながら求めてくれるお前はもっと……」  可愛いという言葉が僕の口の中で解ける。抱き起こし、項を甘噛みするアレン様は僕が見たことがないくらい滴るような雄の色気を湛えていた。何も知らずに意識をとばしながら抱かれた時には、きっと気付かなかっただろう。  それをもったいないと思いながら、項に牙が食い込むのを感じた。  痛みがないわけじゃない――。でもその痛みは甘く、次の喜びに繋がると僕の身体は知っている。熱い吐息をアレン様に飲み込まれながら、僕は愛しい番の与えてくれるものに酔いしれるのだった。
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