第十五章『正武家澄彦という男。』

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 南天さんの発言に私の目の不調ではなかった事を確信させられ、一人だけ一気に緊張感が増した。 『後ろに動きが会った場合』、と南天さんは確かに言った。  私はてっきり恒夫が何か仕掛けてくるとばかり思っていたけれど、南天さんは誰がとは言っていなかった。  南天さんは御門森に受け継がれる眼で、どれくらいの先まで視えるようになっているんだろう。  それとも経験則からお役目の仕上げに近くなると問題が起こる可能性が高いとかあるんだろうか。  私も体調が良かったりすれば、神守の眼で僅かな先の未来を感じることが出来る。  今は亡き御門森の九条さんは恐らく数分前までのものは視えていたはずだ。  ここ最近何故か眼の力が強まっているようで、数日前には山中であやかしの長たちが集まる風景を垣間見ることが出来た。  時間にして約四十分前。  たぶん南天さんは宣呪言開始から少なくとも五分以上先が視えている。  私が視ているこの影は、一体何分後の未来なのか。  影の正体が解からぬまま、私はいつでも眼を発動できるようにスタンバイする。  ここ数日で酷使しまくっている眼にはかなりな負担だったけれど、もう絶対にあの井戸でのように出遅れてしまうのだけは御免だ。  沸々とあの時の怒りが心に蘇り、自分の経験の甘さは棚に上げて、こんちくしょーと思いながら玉彦と神落ちを睨んでいれば、殺気を感じたのか集中していたにも関わらず玉彦がギョッとして振り返り、慌てて前に向き直る。  お役目の一番良いところで何やってんのよ。  集中しなさいよ、集中! 「平常心が大切ですよ、比和子さん」 「わかってますっ!」  南天さんの有り難いアドバイスに返事をしても、私の心は怒りで燃えている。  隣で溜息を吐いた南天さんは、今回の件が終わったら渓流釣りにでも一緒に行きませんかと予想だにしていないことを口にしたので、集中しろと玉彦に思ったくせに、私は南天さんを二度見して呆気にとられた。 「釣りですか?」 「えぇ。今頃だとヤマメが良いですね。鮎は六月にならないと解禁されないので」 「いや、そうじゃなくて。今このタイミングで釣りの話ですか?」 「こうして獲物が掛かるのを待っていると、時折釣りがしたいなぁと思うんですよね。似てるんですよ。気配を殺して待っているというのが」 「……あぁ、はい。何となく仰りたいことが解かった気がします……」  せっかく釣れるはずの魚が見えていても、こっちが殺気立っていたら逃げていくということなのだろう。  頭に血が昇り始めていたけど冷静になりながら、遠回しな指摘は九条さんに似ている、やっぱり血筋かな、と私は思った。
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