第十五章『正武家澄彦という男。』

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 正直私には、離れの地下の書庫にある歴代当主の古い時代の顛末記は読めない。  記されている文字が達筆すぎるから。  そして澄彦さんや玉彦が詠い上げる宣呪言も、大和言葉であることは理解できるけれど何を言っているのか全然わからない。  聞き取れる言葉が並んでいるというよりは、聞き取れる文字が並んでおり、これは言葉であるという意味が解らないのだ。  以前玉彦に宣呪言について講釈をお願いしたことがあったけれど、比和子には理解できぬであろう、とにべもなかった。  玉彦曰く、血で理解する、そうで、そんなもの私じゃなくても無理だわよ、と思った。  そんな私だけれど、今ようやく山中から山神様の手が夜空から降り注ぎ、神落ちにさわさわと優しく労わるように触れる仕草を見て、お役目の終わりを感じていた。  神落ちは自由になる首だけもたげて、目を細めて涙を一筋流す。  どこへ行っても追い立てられていたけれど、ようやく迎え入れてくれる場所が見つかったのだ。  残念ながら番はいないけれど。  それでも山神様と共に()き、叱られつつも膝元で安寧を得られれば神落ちもいつかは転生し、生を授かるのだろう。  何人も殺生してしまったからそれがいつになるのかはわからないけれど、穢れが流されて浄化されるようにと願ってやまない。  まぁ?  コイツのせいで亡くなってしまった人もいるし、傷付いてしまった人もいるし、破壊された物もあるし、色々と文句はてんこ盛りだけれども。  どうか、山神様。  堕ちた神使を救うだけではなく、亡くなってしまった者たちもひっくるめて良い方向へ導いてください。  私はそう願いながら、玉彦の柏手と同時に胸の前で両手を合わせた。  厳かな雰囲気の中、林に身を潜めていたあやかしたちは大人しく魅入っており、稀人たちも山神様の手に触れられながら、神落ちが空へと徐々に浮上していくのを見守る。  玉彦が徐に懐から黒扇を取り出し、水平に掲げて山へ向かって腕を振る瞬間。  事態は動いた。 「神を獲る千載一遇の好機!」  そんな不遜な言葉が背後から聞こえ、何だとこの野郎と思って振り返りそうになり、強制的に南天さんに頭を鷲掴みにされて前向きに固定される。 「失礼します」 「いえ……」  そうだった。玉彦を護る為に、何かを止めるために前を見ていなきゃいけなかったんだ。  てゆーか恒夫よ。  一々口に出してそんなこと言ったら、玉彦だって山神様だって周囲の稀人やあやかしたちだって気が付いて警戒するでしょうよ……。
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