第十五章『正武家澄彦という男。』

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 私の背後から恒夫が纏っていた乳白色の膜がにょろりと伸びて来て、山神様の手を取り込もうとするけれど、山神様の手は膜を振り払うこともせずにただそこに幾千と光輝く。  膜は手を掴めず取り込めず、須藤くんの目の前にまで迫り、顔を顰めた彼の手にある錫杖に突かれて空気が抜けた風船のように急速に萎む。呆気ないほどに。 「子供だましにもほどがあるよね」  地上にボタリと落ちた湯葉の様な膜の残骸を足で踏みにじり、須藤くんは隣の豹馬くんに話し掛けている。  え、あんなに簡単に破けてしまうものなの。  だって南天さん曰く、あの膜は恒夫を何かから護る為に存在していたはずなのに。  余程強固な護りのものだと思っていたのに、澄彦さんや玉彦ではなく、稀人の須藤くんにいとも簡単に破られてしまうようなものってどんだけ弱いんだ。  ここに来てようやく澄彦さんや玉彦が涛川一派を三下呼ばわりしていたことに納得がいく。  そんな三下の仲間の枯れ木女にしてやられた私って、一体……。  私と同じことを思っていたのか、有路市で恒継と華子に追い立てられた経験のある高彬さんも微妙な表情で須藤くんの足元を見つめていた。  対して恒夫の声が聞こえていたにも関わらず、玉彦を護る動きを見せなかった稀人三人はいつでも三下には対処できると考えていたようで、余裕の表情である。  玉彦に至っては、自分が呼び出した山神様に勝手に触れようとした汚らわしいものに一瞥して、お役目に茶々を入れた恒夫を目で殺すんじゃないかという程の殺気を込めて睨み、再び神落ちが浮かぶ夜空を見上げる。  神落ちを柔らかく包み込み、労わるようにゆっくりと五村の山中へと去っていく山神様の幾千もの手は、最後に玉彦の身体に巻き付き、頭を撫でるようにして高く昇って行った。  まるで子供を褒める親のようだと思っていると、玉彦は少しだけ俯きはにかんで、撫でられた頭に右手を乗せた。 「まだっ……! まだ追い付ける!」  じゃりじゃりと表門前から恒夫が短い足で駆け出す砂砂利の音が聞こえ、同時に黒駒の遠吠えが辺りに響き渡った。
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