第十五章『正武家澄彦という男。』

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 私の頭は南天さんの手により前に固定されたままで。  背後では黒駒の遠吠えが聞こえて。  玉彦が振り返って。 「いい加減成仏しなさい!」  竜輝くんの怒鳴り声が耳に届き、南天さんの指先に僅かに力が籠った。  背後から無数の黒い靄の塊が流れ星の様に石段に向かって放たれ、豹馬くんと須藤くんが錫杖で叩き落しながらこちらへと駆けてくる。  このままじゃ後ろから無防備に喰らってしまうんじゃないかと私は動揺したけれど、誰かの背中が私の背に温かく触れる。 「ほらー。ささっと仕留めちまえよ、竜輝。修行だぞ」 「言われなくとも承知していますっ! 多門さんは比和子様をっ」 「はいはい。わかってるよー。大丈夫だよー」  表門の前で一体何が起こっているのか考えるまでもなく、お屋敷にいた枯れ木女と竜輝くんが場外乱闘に発展したのだろう。  宗祐さんは、行平さんは雅さんは無事だろうか。  三人の声も気配も感じなく、不安が胸を過る。  枯れ木女が放つ黒い呪の靄は、辺り一帯に手あたり次第放たれ、林で見物を決め込んでいたあやかしたちが慌てて四方八方に逃げ出していく。  現実離れし過ぎている状況に一歩出遅れた高彬さんがとにかく恒夫か枯れ木女を取り押さえるべきだと判断し、こちらへと駆け出す。  でも高彬さんは稀人の様に錫杖を持っている訳じゃない。  襲い掛かってくる靄は身を躱して避けるしかない。  数発は軽々と躱していたけれど、足元のそれを飛んで躱したのが間違いだった。  空中で避けることの出来ない位置に放たれた靄が高彬さんの眼前に迫り、万事休す。  私の時は玉彦の二枚の御札が相殺してくれた。  しかし高彬さんは御札なんか持たされていないだろう。  いくら祓う力を持っていたとしても直撃すれば無事では済まない。  最悪呪に蝕まれ、死んでしまう。  誰か! 高彬さんを!  声にならない叫びと同時に、林の中から矢の様な速さで二匹の白い蛇が飛び出し、口に加えていた朱色の柄の短刀で靄を高彬さんの眼前で切り裂いた。  蛇たちは短刀を高彬さんの前に落とすと、そそくさと石段を仲良く下って逃げていく。  白蛇(はくだ)だ……。  夜行を解散させてこちらに来ていたのだ。  自分の眷属だと言っていた高彬さんのピンチに居ても立っても居られず、助け船を出したんだ。  事情を知る私はちょっと感動して胸にこみ上げてくるものがあったけれど、目の前に短刀を落とされた高彬さんはラッキーくらいにしか思わなかったようで、武器も手に入ったし頑張るぞと言うように腕まくりする仕草を見せた。  ……あとで白蛇の功績を正しく伝えなくてはならない。
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