第十章 再章

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 思いも寄らない程近くに声がして振り返ると、立ち去ったはずの彼女が背後に立っていた。  こちらに右腕を伸ばし私を指差す。  ほっそりとした指先が私に近付き後ずさりすると井戸の縁が足にぶつかる。 「有路市で邪魔をしたでしょう?」 「……言い掛かりも良いところだわ。あんたたちが無能だからこっちがやるしかなかったんでしょう」 「彼らは足止めの役だったのよ。それを拘束して殴るなんて」 「それは危害を加えてきたから……!」 「理由はどうあれあなたはこの先、涛川の障害になりうる」  胸元に手を掛けられそうになり、私は手にしていた木の蓋を盾のようにして彼女に押し付けた。  けれど軽く腕を払っただけなのに蓋は木っ端みじんに砕けて、崩れ去る。 「あなたの力は尊いけれど、邪魔なの。恨みはそんなにないけど消えてください」 「大人しくはい分かりましたって言うと思う!?」  胸に当てられた指を押さえるのと私の眼が発動するのはほぼ同時だったと思う。  でも僅か、ほんの僅か。  殺す気で来た人間とそれを理解して防いだ私の、『理解した時間』の分だけ出遅れた。  とん、と指先が心臓のあたりに着物越しに触れて、黒い靄が小さく弾けた。  反動で私は井戸の縁から太腿を起点に仰向けに倒れる。  青空が視界を埋めた。  周り全てがスローモーションになった。  懐に仕舞っていた札が蒼く燃え上がる。  本物の炎ではないから熱くはないけれど、じくじくと胸の谷間辺りに痛みが広がる。  この痛みに似たものを私は知っている。  六隠廻りの際に蔵人が私の踝に刻んだ牡丹の花のような『華隠』。  『呪』を刻まれた、と思いつつ同時に、ヤバい、井戸に落ちた、と思った。  そして思ったと同時に身体は水面に叩き付けられ上下左右も解らない真っ暗な水中でもがく。  どっちが上なのか分らない。  背中の痛みを堪え、両腕を広げて我武者羅に水をかけば、ふっと頭の圧迫感がなくなり水上に顔が出て酸素をめい一杯吸い込んだ。  呼吸が調わないまま上を見上げると、木っ端みじんになったはずの蓋で井戸が塞がれようとしていた。  さっき絶対に壊れたはずなのに。 「……!」  叫ぼうとしても声が出ないことに気が付き喉を押さえた。  呆然として足の動きが止まり、再び身体が沈み始める。  水のフィルターを通して見上げた空は徐々に閉ざされて真っ暗になった。
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