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かさり、と静かな空間に、空気を揺らす音が微かに響く。その人影が、側にある低木の細い枝に、手を伸ばした音だった。ーー正確には、枝の先に結び付けられていた白く細長い紙に、である。
人影はその紙を慎重に枝から外すと、静かに開いた。そして、そこに書かれた小さな文字の羅列を読むと、おもむろに上方を見上げる。
四階建ての宿舎の二階。その一室の小窓に頬杖をついてこちらを覗くのは、柴炎だった。
柴炎はその人影が現れて紙を開くまでの一部始終を、寝台の横の壁に取り付けられた窓から、ずっと見ていたのだ。
じっと見つめ合う。
表情は見えないけれど、その人影がこちらを見て笑っているのを柴炎は知っていたし、相手の方も柴炎が自分を見てにこにこと口元を緩めているのを知っていた。
柴炎が小さく手を振ると、その人影は両手を高く上げて大げさに手を振り返してみせる。暗くて見えづらいだろうと思っているのかもしれないが、べつにそこまで激しく振らなくても分かるのに。
「ふふっ」
思わず声に出してから、柴炎はしまった、と思って慌てて口を塞ぐ。
「んー…………」
案の定、机を挟んで向こう側の寝台から、身をよじる音が聞こえる。しばらく寝食を共にして分かったことだが、眠りが浅いのかなんなのか、天璃は少しの物音でも目が覚めてしまうらしい。
けれど幸い、今回は起きはしたものの、そのまま眠ってしまったようだった。
規則正しい寝息が聞こえ始めたのを確認すると、柴炎は再び窓の外を覗いてみるが、もうそこにはだれの姿もなかった。
ただ春先の丈の低い草花が、微風に揺れているだけ。
(……私も寝よう。明日は早いんだ)
なるだけ音を立てないよう気をつけながら、横になって薄い布団を首まで掛ける。
柴炎はそっと目を閉じた。彼に宛てた短い伝言に、思いを馳せながら。
〝五日後 夜 私の部屋〟
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