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「はい?」
「あの、何かあったんですか?」
「……えっと」
不思議そうに柴炎を見た沖文は、そう問われると、困ったように彗斗に視線を送る。
しかし彗斗は、言うな、とでもいうように手で制し、首を振った。
「なんでもない。水を差してすまなかった。仕事に戻ろう」
「実は、奥方様……彗斗様の御母様が、お倒れになってしまわれて」
「おい」
言うなと言っただろうが、と彗斗は沖文を睨め付けるが、睨め付けられた当人はあえて彼の方を見なかった。怖いので。
「沖文お前……いい度胸だな」
「彗斗さん、行ってください」
「同情ならいらない」
はっきりと嫌悪を滲ませた目。真正面から向けられたのはこれが初めてだった。
だが、柴炎はそれを怖いとは思わなかった。
「もしこのまま仕事を続けたとしても、貴方が集中してできるとは思えません」
「なんだと?」
「それに……」
一瞬、頭の裏側を過ぎった光景をかき消すように、柴炎は綺麗に笑った。
「家族は大切にしないと」
「…………」
「大丈夫ですよ。一人抜けた分の穴くらい、私たちで埋められます。ね、皆さん」
振り向いて問うと、「はい」とか「おう」とかいう返事が口々に返ってくる。
「彗斗様……私も、僭越ながらそのように思います。本当はひどくご心配なされているのでしょう?奥方様も、貴方のお顔をご覧になれば、きっとご安心なさるはずです」
彗斗は少しの間悩み、逡巡していたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「…………すまない」
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