ミクロの生命体が地球にメッセージ

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ミクロの生命体が地球にメッセージ

《吸血鬼メロン 》 ワープ移動停止、光速運転を再開、第53銀河の283恒星の引力圏に入ります。  『了解』。 283恒星の第三惑星の衛星から信号をキャッチしました。銀河歴02110718の探査船からの信号です。 『了解』。 第5惑星から非常に強い引力を受けてます。宇宙船の進路がずれ第3惑星への到着が遅れます。 『了解』。 第4惑星を通過、第三惑星の引力圏に入ります。メインジェネレター異常、バックアップにて低速走行開始、第三惑星の映像が不鮮明。 『自動制御にて、第三惑星の軌道を周回』。 操縦不能です。第三惑星の軌道を外れ大気圏に突入します。 『了解』。 バックアップ再開は大気圏突入後になり、突入後は惑星の回転速度の1/1000にて自動運転 。 『了解』。 大気圏に突入しました。 現在、恒星の影にて暗視走行。惑星表面まで超低速運転に移ります。 『了解』。 モニター再開、前方に障害物 、予測される本船の衝撃はありません。 『了解』。 障害物突破。前方に超小型衛星形物体。衝撃度5から7 。軟性のため突入します。 『了解』。 突入、小型衛星形物体内に停止、バックアップシステム、メインジェネレーター再稼働の確認に入ります。 『了解』。 -------------------------------- 僕の名前はトモ、インドネシアのバリ島に住んでいます 。家は山の湖の前にあり、デンパサールの街から車で6時間ぐらいかかります. お父さんは日本人でワタル、お母さんはマリ、インドネシア人です。 このお話はお父さんとお母さんの物語です。 僕のお父さんはインドネシアの英雄です。その理由は2024年のパリオリンピックで、インドネシアの選手として、五つ金メダルを獲ったからです。でも、金メダルは家にはありません。お父さんは金メダルを返還しました。 さて、お話ですが、それは2023年お父さんが17歳、お母さんが16歳の時の事です。お父さんの家は南伊豆でメロン栽培をしていました。曽おじいさんの代からから続くメロン農家です。 高校生だったお父さんはメロンの収穫時期になると毎日お手伝いをしていました。お母さんはインドネシアから日本に来た農業研修生で、インドネシア人の叔母さんが働いているメロン農家に研修に来ていました。 そこがお父さんの家でした。お父さんとお母さんは歳も近く、すぐに仲良くなりました。ふたりはいつも仕事が終わると海辺で話したり、小高い丘で星を眺めたりして、楽しい話をしていました。 ある日のこと、いつもの丘で星空を眺めていると、南の空から流れ星がひとつ飛んできました。流れ星はどんどんどんどんお父さんとお母さんの方に向かって来ました。長い尾を引いた流れ星は近づくにつれ、赤い糸のような線になり、メロンハウスに落ちました。 二人は慌ててハウスに走って行きましたが、ビニールハウスに穴が開いた様子もなく、中にも何も落ちていませんでした。 翌日、お母さんはいつものようにお手伝いをしました。昨日、流れ星が落ちたハウスでメロンの収穫です。一つだけメロンが地面に落ちていました。ほんの少し汚れてしまったメロンは夕飯の時に皆で頂くことになりました。お父さんも家族と一緒に食べました。 翌日からお父さんはなんだか耳の奥がおかしいような、特に痛いわけではないのですが、何か変だなぁと感じたそうです。 南伊豆は海岸に沿って道がくねくねしており大きなトラックも通るので少し危ないところがあり、 父さんは毎日の自転車通学に注意していました。 その日、学校からの帰り、メロンハウスに向かっていました。土曜日だったので小学生の下校時間と同じになりました。 少し広い三差路に来た時の事です。大きなトラックがなんだかスローモーションのようにゆっくりゆっくり子供たちの方に向って行きました。子供たちも超ゆっくり歩いているのです。おかしいな、変だな。と、思ったそうです。 トラックはだんだん子供達の方に向かって行きます。『轢かれるぞ』と声がしました。大変だ、ぶつかるぞ、轢かれるぞ、と思ったお父さんは自転車を飛び降り、体の動くまま、一人一人の子供を離れた場所に運んだそうです。 そして自転車に戻った瞬間、子供が歩いていた場所にトラックは轟音を立て、ガードレールを破り、数十メートル進み止まりました。 もし、そこに子供いたら全員どうなっていたかわかりません。 大きな音を聞きつけた近所の人がトラックの運転手助け出しました。幸い大きな怪我はありませんでした。運転中に急に体の具合が悪くなったのです。 離れた場所にいた子供達はみんなキョトンとして、自分たちが歩道からその場所に移ったことを覚えていません。 ただ一人、事故を見ていた男性も子供達が車に轢かれると思い、一瞬目を瞑りました。しかし目を開けた時には子供達はいなかったそうです。 お父さんは自分が子供たちを助けたことはわかっているのですが、なぜそれができたのかはわかりませんでした。 翌日の新聞には事故を見ていた人の話が載り、子供達が一瞬で消えて離れた空き地に移ったと書いてありました。 お父さんは子供たちを助けた経緯をお母さんに話しました。二人は海辺で考え込んでしまいました。するとまた、お父さんに声が聞こえてきました。 『私の声が聞こえますか』『私の声が聞こえますか』 父さんはキョロキョロして周りを見ましたが誰もいません。横にいるのはお母さんだけです。お母さんには何も聞こえてないのです。 『私はあなたの耳の中にいます。小さい宇宙船の中にいます』。 『目的があってこの惑星に来ました。宇宙船は不時着をしました』。 『あなたの食べた物の中に不時着しました』。 『宇宙船はどうにかあなたの消化液から脱出して安全なところに来ました 』。 『それがあなたの耳の中です」。『私はあなたに頼みがあります宇宙船が直るまでここに置かせてください』。『そして、もう一つお願いがあります』。 『私たちのの栄養源としてあなたの血を少しください 。あなたの血を少しだけ吸わしてください』。 お父さんはびっくりして、 頭を振り、大きな声を出して『吸血鬼だ』と叫び、そして気を失いました。 しばらくして気が付いたお父さんは,お母さんの膝の上で寝ていました。波の音、心地よい風 、ようやく気が落ち着きました 。 このまましばらくと思っていた時、風に揺れるお母さんの髪の毛がピタッと止まりました。波も止まりました。 『地面が揺れるよ』 と、声が聞こえ、地震だと感じたそうです。 周りの映像はトラック事故の時と同じようにゆっくり動いています。 お母さんを背負っていつもの丘に向かい、自宅へ戻り、おじいちゃんとおばあちゃんと妹を庭に出し、隣近所の人も家の外に出るように伝えました。 その直後、家はぐらぐらと揺れ、森も揺れました。 半壊をした家もありましたが、皆は外に出ていたので助かりました 。 津波が来るぞ、丘に逃げろ、と叫んで、みんなが丘に着いた時、津波が来ました。津波は海岸線の道路を越え、軒下ぐらいまで来た家もありました。しかし、家族と近所の人はみんな助かりました。 『助かってよかったね』と、声がしました。 「君が助けてくれたの」 それからお父さんは『声』と話すようになりました 。名前というものはないそうで、お父さんは「メロン」と呼ぶようにしました。 メロンは非常に強い重力の星からきました。そのため、彼らの体はミクロの様に小さいのです。彼らは重力をコントロールすることができ、宇宙空間も瞬時に移動できます。子供達や家族を助けられたのは、お父さんを100倍くらい早く動けるようにしたのです。周りがスローモーションに見えたのもこのためです 。お父さんはメロンに血をあげました。最初は怖かったのですがメロンから話を聞くと、たった0.01ミリgぐらい量でした 。 メロンから聞く話は驚くことばかりです。彼らは地球の年数で言うと、約2万年前に月に探査船を送り、それから地球を観察していました。 今の人類は銀河系全体から見ると単一生物の初期の進化過程という事です。 人類が電波を使い始めた頃から人類の心の情報が分かりました。 そして、メロンはとても重大な目的を持ってこの地球に来たのです。それが何なのかはまだ聞いてません。ただ、お父さんはそれが人類にとってとても大切な事と理解しました。 伊豆半島に起きた大きな地震は震源地が八丈島の近辺で、津波は東京湾まで押し寄せ、湾岸の設備に大きな損害が出ました 。お父さんはメロンと一緒に東京に行きました 。世界中の人が集まる東京の街をメロンと一緒に歩きました。被災場所や、スカイツリーや皇居、2020年にオリンピックが開催された新国立競技場を案内し、世界中の人がここに集まりスポーツをしたことを伝えましたまた。そして、世界中の人が見たことも。その時、メロンにある考えが浮かび、それがお父さんがオリンピックに出る事になった理由です。 お父さんの役目はオリンピックで金メダルを獲得して、世界中の人にメロンのメッセージを伝える事です。金メダルを獲った選手の言葉は世界中に伝わる。お父さんもメロンもそう思ったのです。どうせ獲るなら多くの金メダルをと考えました。それも、先進国がお祭り騒ぎになるスポーツです。その方が注目度が上がります。アメリカの得意な陸上やバスケット、ロシアの得意な体操、中国の得意な卓球、アフリカ勢の得意なマラソンです。 翌年に迫ったパリオリンピックには日本からの出場は難しく、お父さんはお母さんの国、インドネシアから出場することになりました。 お父さんは出場した全ての競技で金メダルを取りました。勿論メロンの力ですが、ドーピングにはなりませんでした。バスケットでは得点王にもなりチームを金メダルに、男子100メートルでは9.2秒台で優勝、体操男子では個人総合で圧巻の演技で優勝、卓球も同様、マラソンでは2時間の壁を越えて優勝したのです。本当は楽に勝てたのですが、ぎりぎりのタイムや得点で優勝する方が大変だったという事です。 こうして、お父さんは英雄になり、世界の国から称えられました。そしてついに国連に招待され、演説をすることになりました。 国連での演説で多くの国の人を驚かせたのは、モンゴル人からの質問にはモンゴル語で答え、アルメニア人の質問にはアルメニア語で答え、実に13の国の質問にそれぞれの国の言葉で答えたのです。母国で中継を見ていた途上国に人は涙を流しました。演説はメロンからのメッセージではなく、お父さんの考えでした。 「一人のスポーツ選手がメダルを取れたことは努力の結果です。でも、その力を与えてくれたのはその選手を見守る多くの国民がいたからです。お金持ちの国だけではありません。貧しい国もあります。戦争をしている国もあります。しかし、母国の選手を応援する素直な気持ちは皆同じです。災害や紛争が絶えない今、この素直な気持ちを世界中の人が分け合う時ではないでしょうか。 戦争を無くし、世界中の災害の復旧を援助し、喜びを分け合う時です。   私は全ての金メダルを返還します。それに勝る優しい言葉を多くの人から頂きました。それだけで感謝の気持ちでいっぱいです」。 これがお父さんの演説でした。その後、世界がどう変わったかは皆さんの知るところです。 演説の後、お父さんは日本からインドネシアに移り住み、果樹園と民宿を始めました。メロンも銀河の果ての惑星に戻りました。 それから5年後の2029年に僕が生まれました。最後になりますが、僕がこの話することはお父さんは知っています。全ての人がこの物語を理解する時が来たからです。なぜなら、もうすぐメロンたちが多くの仲間を連れて再び地球にやってきます。
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