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「俺はね、スタイリッシュな服着て落ち着いた環境で仕事するってのが夢だったんです。三年付き合った彼女と結婚して子供作って家建ててローンで生命保険が……いや……それはいいんですけどね」
「え?江越お前彼女いんの?」
「いたら水嶋さんとラブラブ鍋をつついたりしてません」
「だろうな」
良かったでも、可哀想にでも無い……当然って顔でピリ辛チキンを齧った水嶋は「何でここにいる」と手に持った手羽先を睨んだ。
辛いって程じゃないが水嶋は唐辛子を毛嫌いしてる。
「水嶋さんこそ何で彼女作らないんですか?今冷静に見るとモテそうですけどね、結婚とか考えた事無いんですか?」
「……あるよ」
「え?嘘、結婚するつもりだったんですか?」
そりゃ一月の間に見えた水嶋が全てじゃ無いとわかっているが……プライベートがあって当たり前なのに何だか流せない。
「……相手は男だったりして」
「アホ、いい加減にしろ」
「余程出来た人なんですね、いつ?どのタイミングで?やっぱり名前の最後に如来とかつくんですか?どこの寺にお住まいで?」
「にょらいって何……」
最初は通じて無かったらしいがすぐに意味を悟ったらしい。チッと舌打ちをして手に持ったままだったピリ辛チキンを唇に触れないよう慎重に歯で毟った。
ふざけてみたが……実は頭の中にはとんでもない美人が水嶋に向かって楚々と笑いかける絵が想像できてる。
社長だろうが課長だろうが、例え女子社員が泣いても構わず怒鳴り散らす水嶋しか知らなかった頃には考えられなかったが……似合うのだ。
「どのくらい付き合ったんですか?」
「そんなんじゃ無い、実家の……近所に住んでた幼馴染とな、何でか大人になったら結婚するって思い込んでただけだ」
「何だそりゃ、好きだったんでしょう?」
「好きとか嫌いだとか、男だとか女だとか考える前にフラれた。」
「うわあ……告白とかしたんですか?」
似合うような……似合わないような……頬を染めて「好きです」って水嶋……どっちかと言えば吹き出す。
「違うわ、中学になったらあいつはすぐに誰彼と付き合いだしたんだよ、まあ一緒に風呂とか入ってたしな、感覚としては男友達とか家族と何もかわらん」
「それだけ?他は?無し?誰とも?嘘だ」
「………何だよ、何か文句あるのか?」
「文句は無いですけどね」
それって第二次性徴を迎える時期、先に大人になった女子に置いていかれただけだろう。大好きな先生と「大きくなったら結婚する」って言ってる幼稚園児と同じだ。今いる環境に疑問を待たずにあるがままを受け入れる、水嶋らしいと言えば物凄く水嶋らしい。
水嶋の天然臭い所はどうやら子供の頃から変わってない。
まさか童貞って事は無いかもしれないが真っ当な恋愛はしてないっぽい。
聞いてみたいが……これ以上聞いたらキレそうだ。
ブスッと口を尖らせてビールを手酌しようとした水嶋から瓶を取ると「いいよ」と取り返そうとした。
ちょっと拗ねたような顔が面白い。
笑っては駄目だと思いつつもやっぱり我慢できなくて頬が緩んだ。
「何だよ」
「後輩ですから」
「今頃取り繕っても遅いんだよ」
「人生に"もう遅い"なんて事は無いですよ」
「ああ言えばこう言う」とブツブツ言いながらも注がせてやる、とコップを出したもう片手で……飲み屋でも離さない水嶋の携帯がピロンっと着信を知らせた。
「水嶋さん、見なくていいですよ、もう酒も入ってるし呼び出されても行けないでしょう」
「そんな訳に行くか…」
携帯を取り上げてやろうと伸ばした手をサッと避け、椅子に座ったまま背を向けた水嶋は画面を見てハッと真顔になった。
電話の着信じゃ無いから呼び出される程緊急では無いなと、最近は読めてきたが安心は出来ない。早終いした仕事が再稼働するのか、また走らなければならないのか…と、身構えていると水嶋は中身を見ずに携帯を伏せてしまった。
「あれ?仕事じゃ無いんですか?」
「あ?……ああ……違う、違うけど……」
「家族からとか?」
「うん……いや…」
モニョモニョと言葉を濁した水嶋は脱いで隣の椅子にかけていた上着を着て、緩めていたネクタイをぐっと上げた。
「帰るんですか?」
「ああ、悪いな……仕事だ」
「やっぱり仕事なんじゃないですか、それなら俺も行きますよ」
「いやいい。俺が一人で行くからお前はもうちょっと食ってけ、支払いはしとくから何でも食え、じゃあな」
「あっ……ちょっと!水嶋さん」
安い居酒屋でそんなに何を食えって言うんだ。
財布の中には数枚の千円札も見えているのに、水嶋は一万円を選んで机に置き、早足で店を出てしまった。
水嶋の表情からはトラブルの匂いがプンプンと香っていた。どこか挙動不審な動きも怪しい。
それこそ放置していた恋人と会う可能性だってあるが、それならそれで相手を見てみたくて……
後を付けた。
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