仕事とは
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仕事とは

走っても走っても、足が回らず体が浮いて上手く前に進めない。 もどかしくて、足掻いて、焦って、地面がどうなっているのか確かめると…… ストーンと落ちてヒュッと縮んだ胃が口から飛び出しそうになる。 昔からよく見るどこかから落ちる夢だが、遊園地でも何でもフォール物は嫌いだった。 ビクンと体が跳ねて目を覚ましたが、何か寒くて、腰が痛くて、時間を見ようと携帯に手を伸ばすとモシャモシャした物に手が触れて、これは何だと混ぜ返した。 「やめろ……」 野太い男の声にギョッとして顔を上げると、眉間に皺を刻んだ凶悪な目が指の隙間から睨みつけている。 「あっ!」 誰?と言いそうになったが口に出す前に成り行きと勢いで水嶋の部屋に泊まった事を思い出した。 「すいません!携帯を探して……今何時ですか?」 「………知らん、俺は起きないからお前はとっとと帰れ、ここにいても飯はないぞ」 「起きないって?」 「……うるせえな……俺は何もなければ休みに寝溜めすんだよ、起こすな」 ゴソゴソと布団に潜ってしまった水嶋はわざとらしく背中を向けて顔を見せない。 やっぱり昨日は酔っていたのか、ちょっと親しくなったような気になっていたのは幻だったらしい。 帰ることに異論は無いが借りた毛布くらいは片付けたい。 怠い体を無理矢理起こし、どこで買ったのか………花柄でピンク、パンダが手を振っている毛布を畳んでいると、隣のモフモフから腹の鳴る音が聞こえて来た。 「お腹……空きましたね」 「……」 起きてるのはわかっているのに返事をしない。 大人だし、男だし、金もあるんだから放っておけばいいが……。 朝になり、落ち着いてから水嶋の部屋を見ると酷い有様だった。 脱いだワイシャツは山になりネクタイもその辺にポイポイ捨ててある。 シンクにはカップラーメンの容器が汁を残したまま貯めてあり、ゴミ箱は溢れて周りに散らかってる。その上に鼻血の付いたティッシュがヒラヒラと舞い、如何にも汚い。 しかも……絶対に見たく無いのに……使用済みのコンドームが混ざってる。 マジでキモい。 コンドームは触りたく無いが血の付いたティッシュはエアコンの風で部屋中に散って放って置くには気が引けた。 「俺、ちょっと出て来ます。帰ってくるから閉め出さないでくださいね」 「………」 返事無し。……起きてるくせに…… 「水嶋さーん」 「うるせえ……帰ってくるって何で?家に帰れよ」 「泊めてもらったお礼に何か作って帰ります、昨日見たけど冷蔵庫には水とビールしか入ってませんよね、何か買ってきます。」 いらねえ、と水嶋は呻いたが独り言に近いからいいと受け取る。 玄関先に落ちていた鍵を拾って昨夜クダを巻いたコンビニまで食材を買いに行った。 「あの人は絶対に二日酔いだよな」 立てないほど酔っていたのだ、唐揚げ弁当とか豪華デミグラスハンバーグ弁当チーズたっぷり乗せとか出しても食えないだろう。豆乳と豆腐にパック入りのお粥を混ぜてスープを作り、こっちは適当にパンでも齧ってから帰るつもりだった。 目的地がわからないまま歩いたコンビニまでの道はわかって歩くとそんなに遠くない、何時か確かめずにマンションを出たが、もう陽は高く出前の宅配バイクがあちこち走り回っていた。 ファミレスにピザ屋、テェーンの中華屋、土曜の住宅街はいい顧客が多いのかみんな忙しそうだ、気に食わないのは全部奥田製薬の取引先……佐倉局長の勤めるワイズフードの子会社ばかりだ。 「儲けてやがる」 忙しいのは一番下だけで何もせずに一番儲かっているのは大元のワイズフード……世の中理不尽に出来ている。 何故こんなに腹が立つのかわからないが、もう悪の巨大組織に棒切れ一本で立ち向かうような気持ちになってる。 小さな公園のゴミ箱に刺さっていた、ビニールで出来た軽いおもちゃのバットを拾って振り回しながらマンションまで帰って来ると、水嶋は羽布団の上に座り込み腫れた目で「お帰り」と言ってくれた。 「何だよ、そのバット」 「拾ったんです。戦うには武器がいるでしょう」 「誰も殺れそうに無いな」 「気持ちですよ、お粥作りますからちょっと部屋を片付けませんか?、俺も手伝います」 あるかどうかわからないのでついでに買ってきた大判のビニール袋を出すと水嶋はいいよと言って思っ切り嫌な顔をした。 水嶋がしないならある程度勝手にやらせてもらう。やらせてもらうが溢れたゴミ箱の天辺に乗ってる「あれ」だけは触りたく無い。 チラ見すると何が言いたいのかすぐに察した水嶋は50枚入りの袋を引き裂いて、ゴミ箱の中身だけを慌てて移し替えた。端が伸びるほどキツく縛ってしまい周りに落ちている他のゴミは無視。 「ちょっと!まだ入るでしょう、勿体無いですよ」 「うるせえな、他はいい、放って置いてくれ」 「そんな事言われても無理です。しかも何でゴミ袋を全部出してまた散らかすんですか、会社でのクレバーでキッチリした水嶋さんは偽装なんですか?」 「家はいいんだよ、俺の部屋が汚くてお前に迷惑かけるか?誰か困んのか?言ってみろ!並べてみろ!どこの誰だ。納得したら片付けてやる!」 「誰って…」 「ここに住んでくれって誰にも頼んで無いぞ、お前だって二度と来ないだろ!関係ないならほっとけ!」 出た。 水嶋の弾丸論破。 言い返す暇を与えてくれないから反撃のしようが無い。それに反論すれば倍返しされるだけで最終的に手や足が飛んで来ることもある。 「もういいです、俺がやりたいからやるんです。水嶋さんは寝たいなら寝ててください」 寝溜めすると言ったのは本当らしくゴミ袋を部屋の隅に投げ、またモソモソと布団に潜り込んだ水嶋は「何でもいいから帰れ」と呻いて丸くなってしまった。 何でもいいならいいだろう。仕事で頑張る分私生活がスカスカ。 何だか哀れに思えて生まれてしまった義務感に世話を焼かずにはおれない。 水嶋が散らかしたゴミ袋を拾って畳み、一枚を広げて片付けていった。 部屋中に散ったティッシュ、未開封のまま放置された郵便物、コンビニのビニール袋は綺麗に揃えて折り畳んだら売れそうなくらいの枚数がある。 初めは小物のゴミ袋にすればいいと溜めていたが途中で面倒になり全部捨てた。 部屋の隅に溜まったホコリは綿帽子になってるし、キッチンに折り重なったカップ麺の容器はきちんと潰さないと20リットルのゴミ袋からはみ出る。 水嶋は仕事の利便性だけを考え、ここに住んでいると言ったが、それは本当らしい。 他にも部屋があるみたいなのにベッドも仕事用の机もワンルームに収まってる。 他の部屋がどうなってるかまでは、見たり出来ないが脱衣所と風呂場は入らせてもらう。 「うわ……予想通り…凄え」 洗濯機を最後に回したのはいつなのか……洗ってない洗濯物が洗濯から溢れて本体が見えない。隅の方にキノコが生えていそうで怖いじゃないか。 水嶋がヨレたシャツを着ていることは無い、…と言う事は、多分着替えがなくなると買ってくるのだろう、あちこちに落ちてるワイシャツを集めると箱買いしてるのかと思う程何枚があった。 ちょっと片付け、簡単にお粥でも作って帰る。 ……なんて甘かった。 ゴミと物を片付けると掃除機に加えて雑巾でその辺を拭いて回りたい。 断っておきたいが、俺は「潔癖」でも「綺麗好き」でも「お人好し」でも「世話好き」でも無い。 どうせ一週間もすれば元の状態に戻るだろうと、簡単に予測できるのにあまりに酷くてムキになった。
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