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加速開始
弱い東からの日差しが、混雑したホームを照らしていた。薄く水色がかった空気は週明け特有の重みで、各停待ちの列にのしかかっている。
こうだから、月曜日は特に憂鬱だ。またあの話す相手もいない教室に行かなくちゃ。班わけでも昼ごはんの時も、私はひとりぼっち。人付き合いが苦手な私は自然にクラスで浮いていた。というより、いじめられていた。気づいたら消えるノート、上靴。クラスカースト上位のキラキラした女子に目をつけられたのが運のツキだった。憧れていた友情だの恋愛だのといったいわゆる青春というものは、私の高校生活には訪れてくれなかった。
起きがけに無理に口に詰めてきた食パンを吐き出しそうだ。嫌だ。ふと、電車の通過を示すアナウンスが耳に入ってくる。ああ、あの快速に飛び込んだら、学校に行かなくて、いいんだ。電車、止めちゃうな。でもいいよね、死んじゃったあとの世界なんか私には関係ないし。
ロキソニンが効かない頭痛と孤独に侵された思考で、私は点字ブロックの前に飛び出した。
頬に冷たいものが当たっている。望む望まざるに関わらず、意識の水面に向かっていく。天国なのか、地獄なのか、死に損ねたのかも掴めないまま、私は瞼を持ち上げた。
「ぁ……」
掌に砂利石がささっているのがわかる。頬に当たっているのは線路だった。ゆっくりと身体を起こす。痛みはないし血すら見えない。切り忘れている前髪が視界にかかる。ああ、死に損ねた。電車を止めて学校に遅刻して、最悪だ。居合わせた人達はきっと私を恨んでいることだろう。ふとホームを振り返ると、私の隣に並んでいたスーツのおじさんがあんぐりした表情のまま、
……文字通り固まっていた。
スマホを触っている男の人、経済新聞を読むキャリアウーマン、風が吹いてもそのスカートすらなびかない。戸惑って踏切の方を見やると、私を轢き殺していたはずの快速電車が、駅に入るすんでのところで止まっていた。理解が追いつかない私が立ち尽くしていると、快速電車から黒いもやのようなものが漂いはじめた。もやは濃度を上げて影の塊のようになると、私の方へぬるぬると伸びてくる。
「ひ、あ、」
影に舐められた雑草が煙をあげて一瞬で灰になる。足がすくんで動けない。さっきまで死にたがっていたくせに、本能が逃げなければいけない、と叫び続けている。あれに呑まれたら、どうなるんだろう。
「すまねえ!」
「きゃ!?」
私は突然後ろから抱え上げられた。迫り来る影を振り切ってなめらかに加速していく。おそるおそる見上げると、自分と同い年くらいの少年が精悍な顔つきで前を見据えていた。真っ直ぐな黒茶の髪は、太めの眉にかからない程度に切りそろえられている。日に焦げた肌には一滴の汗も浮かんでいない。私の視線に気づいたのか、彼は私の顔を覗き込む。
「ごめん、ビックリさせたよな」
通った鼻筋、幼さを残した真っ直ぐな瞳。制汗剤みたいなシトラスの匂いがする。彼は少し彫りの深い整った顔をくしゃっとして笑った。ああ、男女関わらず人気で、クラスの中心にいそうなタイプ。コミュ障でほとんど同級生と喋ったことがない――ましてや、異性となんて関わったこともなかった私は、感謝の言葉すら出せずに脂汗をかいていた。
「あとは俺に掴まってりゃ、大丈夫だから!」
再び前を向いた彼は大きく踏み込むと、私を抱えたままホームの屋根に飛び乗った。見とれてばかりいた私は、ようやく彼が常人ではないことに気がつく。
「ま、待って……、これ、あの、あ……どういう、こと、ですか」
必死の思いで押し出した声はか細く震えていた。ん、と短く応えると、彼は屋根の上にそっと私を座らせて向かい合うようにしゃがんだ。
「すまねえけど、話したら長くなりそうだから……ちょっと待っててもらっていい?」
くしゃっとした屈託のない笑顔とは対照的に、私の頭をぽんぽんと触る手は関節が太く、腕にかけてあざだらけだった。
「あ、あの、あなたは……」
「あー、俺?……こんなこと言ったって訳わかんねえと思うけど、」
長いまつげを伏せて照れくさそうにすると、彼は勢いよく立ち上がり背を向けた。
「『ヒーロー』、だよ」
振り返って得意げに笑ってから、彼は影の渦巻く線路へと飛び降りていった。
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