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気づけば私は叫んでいた。お腹から声を出したのは、何年ぶりだろうか。私の声に素直に反応した彼はバックステップで前進していた勢いを殺した。刹那、彼が潜り込んでいたであろうカマキリの腹部を裂いて無数の触手が伸びてきた。あのまま加速を続けていれば、間違いなく彼は身体ごと呑まれていただろう。しかし触手はしつこくスニーカーを履いた足首にまとわりつこうとする。
《お前の、能力、加速だけ――捕らえて、しまえば、おしまいだ》
「ああ、そうだな」
彼は絡もうとする触手を踏みつけると歯をみせた。
「だけど――たとえば、お前を構成している分子の熱運動を『加速』させたとしたら、どうなる?」
《ぐ、ァ、》
触手が煙をあげて怯む。オレンジの光がちらちらと動いている。おそらく――燃えている。彼の『能力』は自身と触れたものを加速させるというものなのだろう。それを応用してカマキリの触手を加熱し、焼き切ったようだ。
《寄、るな!》
触手の奥から大きく振るわれた鎌を彼はたやすく避けた。ほっとしたのも束の間、妙な寒気を感じる。
――ここにいちゃいけない。
なら、どこへ?ほんのりとした違和感よりも直感を信じて、私は屋根の上を走り出した。
次の瞬間、金属の屋根を裂いて、触手が私のさっきまでいた場所を貫いた。
《クソ、殺気は、消していた、は、ず》
屋根の上に到達した触手が一直線に私に伸びてくる。全速力で走っていたつもりだったが、彼のようにはいかない。すぐに息も切れてくる。
「今行く!」
彼は屋根に飛び乗ると再び私を抱えて走り出した。触手を避けたり焼き切ったりして捌く。
「一本一本は大したことねえけどキリねえな」
影はおそらく、足でまといの私も計算の上で彼を消耗させる方向に転換したのだろう。この状況を変えるには、何か大ダメージを与えるしかない。彼の能力は、自身の加速、触れたものの加熱。
「あ、……あの、」
「ん、どした?」
一つアイデアを伝えるのにも、コミュ障は上手くいかない。変にあがってまとまらない言葉を、彼は触手を躱しながら真剣に聞いてくれた。
「あー、それ思いつかなかった! ありがと、やってみる」
彼は目を細めて笑うと、私を抱えたまま動きを止めた。
《!?》
抱きかかえられたままでも分かるくらい、熱気が上がってきていた。金属で出来た屋根を這っていた触手が苦しそうに灼かれていく。
「屋根ごと加熱するなんて思いつかなかったよなー。俺も、お前も」
《あ、が、》
屋根の上の触手を焼き尽くしたあと、彼は線路の上に飛び降りた。
「お前も色々頑張ったとは思うけど、やっぱ俺には勝てないんだよ」
《ほざ、くな》
二本のレールを左右の足で踏みつけた彼は、不敵な笑みを浮かべた。
「すまねえけど、俺は強いんだ。だって俺は『ヒーロー』なんだから」
《ア゛ァ゛ア!!!》
レールを伝わった熱がカマキリ本体へ到達し、断末魔を上げさせる。
「ちょっと待ってて、片付けてくるから」
私をホームの下に下ろすと、彼はそのまま走り出した。それからはひどく短く感じられた。日曜日の朝によくやっているヒーローものの番組を見ている気分だった。
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