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白い犬
普段は商品と一緒に荷車の中にいて出てこないチヨリだが、その日はほんの気まぐれで外に出ていた。癖のある深緑の髪を、ふわふわと揺らしながら歩く。まあるい金に近い瞳を、キョロキョロと動かした。
チヨリは父と二人で、旅商人をしている。各地で名産品を買い付け、別の町で売りさばくという算法だ。まあ、売り、さばけるということは、中々ないのだけれど。
「あ」
その日はC市という、周囲を森に囲まれた街に来ていた。滞在許可証で中に入ることは出来たものの、市場の隅の方で商いを始めたが、他の商人に追い出された。売れ残った商品を馬の引く荷車に乗せ、父と子はとぼとぼ市街を歩いていた。
「父さん、ここ、空き家っぽい」
ある家屋を指差し、チヨリは小声で父に伝える。
「本当か、チヨリ」
「うん」
チヨリの指差す家屋は、元は店舗のようであった。窓ガラスは汚れて曇っており、中の様子はみえないが、チヨリは一目見ただけで空き家だと自信満々に言う。
チヨリには昔から不思議な力があって、様々なものを察知することに長けていた。例えば人の感情や気配だったり、物の目利きも得意だ。商いや買い付けの際には、父は必ずチヨリを連れて行った。
「魔法関係の店らしい」
父は家屋の看板を見ながら言う。かろうじて魔力アンドロイド取扱店、と読める。
「売り物になるもの、あるかな」
チヨリは忍び込むことを考えていた。空き家とは言え、中に入れば不法侵入、物を取れば泥棒だ。
それでも、生きていくためには必要だ。
「暗くなったら、もう一度来るか」
父の言葉に、チヨリはかぶりを振る。
「この周辺空き家みたい。近くを人が歩いている気配もない。僕、忍び込んで見るよ」
言うや否や、チヨリは堂々と家屋の扉に手をかけた。空き家だと鍵がかかっていないことも多々ある。この家屋も無施錠だった。
「お、入れる」
チヨリはそろりと、中へ侵入した。
「気をつけろよ」
背後から父の声がする。はいはいと、心の中で返事をすると、チヨリは家屋の中を見渡した。
(きった、ないな〜)
足の踏み場もないくらい、乱雑に物が置かれている。元は商品だったものだろうか。埃がかぶり、踏まれて壊れているものある。
(金目のものはないかな。魔力アンドロイドの部品がないかと思ったのだけど。今は中々市場に出回らないから、金持ち相手に高く売れるーーゔっ!?)
チヨリは鼻を抑えた。奥から異臭がする。これ以上先へ進まない方が良いと、直感的に感じた。
何か、ある。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん」
「いっ!?」
思わず叫びそうになる寸前で、口を手で押さえた。
(なんだ? 人の気配はないのに、声がする。まずい、空き家ではなかったか?)
「あれ? 聞こえないのかな? お嬢ちゃんたら」
「は、はい、お店の方ですか? 勝手に入ってすみません」
窃盗に入った、とは言えない。適当に言って早く立ち去ろう。
「そうじゃったか、実はこの店はもう閉店していてな。お嬢ちゃんに売れるものはないんじゃよ」
「そうですか」
声はするが、やはり気配がない。妙だ。この家の中に生きているものは、いないはず。
(まさか、ゆうれい、とか?)
自分の発想に馬鹿馬鹿しいと思いながら、チヨリは声の主を探した。さっさと立ち去るべきだったが、自分に見つからない人間がいることが不快だった。
キョロキョロしている様子が見えたのか、声の主はこう話し出した。
「ワシはここじゃよ、少し足元を見てみい」
その言葉にチヨリが素直に下を見ると、犬がいた。毛は白くて、耳は片方は立っていてもう片方は折れている。中型犬、と呼ばれるサイズだろう。まあるいつぶらな黒い瞳と、視線が合った。
「い、いぬ?」
「そうじゃよ。ワシがこの店の主人のポーノじゃ」
目の前の白い犬は、チヨリに向かってはっきりと言った。
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