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目を開けて、生きるんだ
男性アンドロイドは、無表情にチヨリへ近寄ってきた。その手には、先ほどリアナが投げたナイフが握られている。
「チヨリ!」
チヨリの世界はゆっくりと進む。
(あ、僕もしかして、刺されるの?)
避けなければと、頭では分かっていたが、足がうまく動けない。
「っああっ」
刺される!
恐ろしさに、チヨリは呻いた。足がもつれて、転んでしまう。必死に這って逃げようとするが、無情にもチヨリの上で男性アンドロイドはナイフを振り上げた。
「チヨリっ、逃げるんじゃっ」
ポーノが男性アンドロイドに体当たりをするが、体格の良い彼はビクともしない。周囲の五体不満足のアンドロイド達も、チヨリの命令のせいで動けなかった。そのまま、チヨリに向かってナイフを突き刺した。チヨリは目を瞑った。
しかし、予想した痛みはなく、不思議に思い目を開けると父の姿があった。チヨリを庇う形で、チヨリの体に倒れかかっていた。
「っ父さん!」
父の背中にはナイフが刺さっていた。切れた服と皮膚の間から、金属が覗いている。
虚ろな瞳の父は、チヨリを見つめた。
「チヨリ、ーー生きるん、だ。何があっても」
それだけ口にすると、父はチヨリの体に覆いかぶさるように倒れた。そして、二度と動かなかった。
「父さん」
「ーー非常装置が発動したのですわ」
リアナが言う。鋭い視線をチヨリに向けながら、父に刺さっていたナイフを取った。
「マスターであるあなたを守るために、残っていた燃料で動いたのでしょう」
チヨリはリアナを見上げた。
「あなたは、かわいそうですね」
ゆっくり、子供に言い聞かすように。
「あなたはかわいそうだ」
チヨリは繰り返す。
リアナは微笑むと、手のナイフを男性アンドロイドに渡した。
「かわいそうなのは、これから亡くなるあなたでしてよ」
リアナは男性アンドロイドの背中を押す。促すように。
「チヨリ! アンドロイド達にこのお嬢さんを攻撃するよう命令するんじゃ!」
ポーノの声が聞こえる。
命令? どうして? 彼らは僕のしもべではないのに。
もう、良いよ。
今日の僕の勘は散々さ。ポーノさんを盗んだことも、リアナさんがいるこの屋敷を訪ねたことも。全てが裏目に出てしまった。
父さんもいないし、アーノもいない。もうどこにも行けやしないさ。
「構わないよ。僕はもう、この世界とさよならする」
チヨリは目を閉じた。それは恐怖からではなく、諦めて受け入れたからだ。
静かだった。目を閉じているチヨリには暗闇しか見えないはずだったが、急に明るくなった。目の前に、父の姿がある。アーノもいる。チヨリの少し先を歩いている。
そこは、いつか歩いた道。陽の当たる草原の道だった。
商人をしながら旅した。父からは、海の街を目指す、としか聞いていなかった。それも、反対方向へ行ったり、迂回したりして、真っ直ぐと目的地へ向かっていたとは言えない。その理由は分からなかったが、父と過ごした日々は暖かく幸せだった。
(ああ、僕は死んだんだね。これから、また一緒だね)
チヨリは喜びを噛み締めながら、父とアーノの隣に並ぼうとした。ふいに、父が振り向く。
「チヨリ」
父は優しい瞳でチヨリを見た。
「お前は、大きくなったね。あの方からお預かりした時は、ほんの赤ん坊だったのに。この姿で、お前を育てることは難義したけれど、戦後だったからね。色んな形の家族があったから、何とかやっていけた」
何の話をするのだろう。チヨリは不思議に思う。
「きっと、もうすぐ私の背を抜くだろうね。役目を果たせないことは済まないが、どうか、一人でも海の街へ向かって欲しい」
父は何を言っているのだろう。チヨリも死んだと言うのに。
チヨリは生きている時には聞かなかった、疑問を口にした。
「父さん、海の街には何があるの?」
父がチヨリのほおに手を伸ばす。優しく触れた。大切に、丁寧にその言葉を口にした。
「自由さ」
「自由?」
「そう」
「今の僕は自由ではないの? 誰にも拘束されてはいないよ」
「気付いているのだろう? お前には特別な力がある。そのせいで、私たちは追われていた」
追われていた? 一体何のこと? 特別な力ってーー。
「何を言ってるの? 魔力のこと? でも、他にも持っている人はいるじゃないか」
「そうだね。他にも持っている人はいる。でも、お前は、特別なんだ」
要領を得ない父の返答に、チヨリはしびれを切らした。
「っ何が特別なの?」
「ーー済まない。私からお前に伝えることは出来ない。その権限がない」
父の話はチヨリにとって全く意味がわからなかった。海の街など行けるはずがない。チヨリは死んだのだ。
「父さん。何を言いたいのかは分からないけど、別にいいよ。僕は死んだんだ。だから父さんとアーノと同じところにいる。そうだろう?」
チヨリはすがるように、父を見つめた。笑みを浮かべながら。
父は静かに首を振った。
「違う。お前はまだ生きている。私が目覚めないのは、死んだからではない。お前が魔力を持っていると、自覚したからだ。そうなった場合には、私は起動不可となるようプログラムされていた。今こうして話せているのも、そうプログラムされていたから。最後にお前と話せるようにと。今は頭の中に、お前の魔力を通じて直接伝えている。現実の私は、シャットダウンしたままだ。もう動くことはない」
「嘘だ! ここには、アーノだって、いるじゃないか! それもプログラムなの!?」
父は微笑んだ。
「お前が一番安らぐ空間を演出しているんだよ。こうして、お前とアーノと、何もない道でも、旅している時が楽しかったね」
「父さん! 僕は死んだんだ! 父さんと同じだ!」
「違うよ。お前は死んでなんかない。
そもそも、私には魂なんてないんだ。あの女が言っていただろう? ただの金属の塊さ。お前を守りきれなかった、ただの役ただずさ」
チヨリは、掠れた声で叫んだ。
「父さんは役立たずなんかじゃない! 僕が、僕がポーノさんを盗んだから、こんな屋敷に声をかけようなんて言ったから、僕、僕ーー」
うっうっ、と、チヨリは嗚咽をもらす。幼い子供をあやすように、父は頭を撫でた。
「お前の勘が間違っていたことなんてないさ。今回私とアーノをお前が失うことも、きっと必要なことなんだ。今は分からないだろうが、きっとわかる日がくる。
約束してくれ。海の街に向かうんだ。お前にも、自由な暮らしが待っている」
チヨリは涙を浮かべ、首を振った。
「父さん、生きるなら一緒に」
父は、チヨリを抱きしめた。
「出来ないんだ。済まない」
チヨリのほおを、涙が伝う。
「プログラムされていたからだけじゃない。私はお前が大切だった、愛していた」
父はチヨリの肩を抱き、優しく突き放した。
「生きてくれ、それだけが、私の願いだ」
「父さん」
チヨリは、父を見上げた。涙を拭い、笑った。
「僕も、僕も愛してたよ、父さん」
父も、笑い返す。
そこには、優しく笑う、少年型アンドロイドの姿があった。
「さあ、目を開けて、チヨリ。生きるんだ」
暖かい、その空間は、溶けるように消え去った。暗闇が広がる。父やアーノの姿はもう見えない。
(分かったよ、父さん。僕は生きる。生きて、海の街へ行ってみせる)
チヨリは目を開ける。現実の体も、涙を流していた。
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