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おもちゃの世界
チヨリが目を開けると、父の身体が側にあった。チヨリは父を優しく横に置いた。すると、それが見えた。
リアナと男性アンドロイドが抱き合っている、ように見えた。次の瞬間、リアナは、力なく、その身体を落下させた。
「なん、で」
見れば、リアナの胸には、ナイフが刺さっていた。
「もう終わりにしましょう。リアナ様」
男性アンドロイドはそう言うと、リアナに刺さっているナイフを差し抜き、もう一度違う場所に突き刺した。
「うっ」
リアナは短く声をあげた。
「ど、どういうことなんだ?」
「わからん」
チヨリの独り言のような疑問に答えたのは、同じく驚いた様子のポーノだった。
「チヨリが気絶している間、あのアンドロイドが、お嬢さんを抱きしめ始めたと思ったら、彼女が大声をあげて、そうしたら」
ナイフが、刺さっていた。
「な、にするの?」
か細い声をあげ、リアナは男を見上げた。深い青色の髪に、褐色の肌。髪と同じ、深い空の色。
老夫婦と、同じ。
「あ」
あの日、老夫婦が亡くなった時、この男は葬式にやってきた。夫婦に遅く産まれた子供で、十七の時に家出したと言う。訃報を聞いて、帰ってきたのだと。
リアナは、葬式後もこの男と過ごした。いつしか、まるで夫婦のように、二人は過ごし始めた。戦争の不安の中で、リアナにとって彼との生活は暖かく頼もしかった。
本当は分かっていた。あの音がした時から、兄と同じになったのに、こんなことをしてはいけないと。
だが一方で期待していた。兄が戦死すれば、ずっとこの男といられる。そんな、酷いことを夢見た。
しかし戦争が終わって、兄は帰ってきた。
ーこの男は誰ですか? リアナ。
ーそうですか。おじい様とおばあ様の。
ーリアナ、彼の食事にこれを混ぜなさい。
ー殺さないでほしい? なぜ?
ーそうですか、ならば、あなた専用のアンドロイドにしてあげましょう。
ー魔力を使わずとも、下僕は作れるのです。ずっと一緒にいられますよ。良かったですね、リアナ。
もう一度、パチンと、頭の中で鳴る音を聞いた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
リアナは、声の限り叫んだ。口から血が出た。腹に激痛が走るのも構わず、絞り出すように叫び続けた。
そうだ、彼を、兄とともに、調教、した。彼が、アンドロイドになるように。私と一緒にいられるように。彼から、名前も奪った。
そう、彼の名はーー。
「ラ、グロ」
リアナは、その唇で囁いた。ラグロは、リアナに近付くと、その身体を抱きかかえた。
「リアナ」
リアナの唇を、ラグロは優しくなぞった。
「君を愛していた、リアナ。心を痛めながら、兄と同じであろうとする君の姿を見るのは辛かった。もう」
リアナは、ラグロを見つめていた。その紅い瞳に、もう命は宿っていなかった。ラグロは静かに、その瞼を閉じてやった。
「楽に、なって良いんだ。リアナ」
ラグロは涙を流さなかった。アンドロイドとして過ごしていた期間が、彼の人間らしい感情を殆ど奪い取っていた。
リアナを救ってやりたいという、想い以外は。
リアナの兄、グランの葬式の日は、朝から雨が降っていた。軍の関係者や、軍学校時代の同級生たち、沢山の人が集まった。軍の幹部候補だったこともあり、首都から王族の使いも来た。黒い衣装に身を包んだ彼女は、粛々と葬式を遂行した。
その姿には、悲しみといったものはあまり感じられなかった。
その頃ラグロは、少しずつだが感情を取り戻しつつあった。首都警備の仕事に就いてから、グランがあまり屋敷に顔を出さなくなったからだ。おもちゃ遊び、と称されるグランによる拷問がなくなり、ラグロの心と体は回復していった。リアナは、グランがいない時はラグロを拷問したりしなかった。アンドロイドへの虐待も殆ど行なっていなかった。全て、グランのスペアになるために、していたことだ。
(彼女が過ちを認め、理不尽なアンドロイドへの虐待をやめてくれれば)
もう一度、二人で暮らしたい。もう兄はいないのだ。今度こそ幸せにーー。
そう願い待っていた。リアナが気付くのを待っていた。彼女は兄のスペアなどではないということを。
兄が亡くなった時も、リアナは特別悲しむ様子もなかった。きっと、元に、出会った頃のように戻ると、信じていた。
しかし、兄の死によって、リアナはスペアとしての意識を強く持ってしまった。兄が亡くなってからの数日、リアナは自身の感情を消し、粛々と新たに購入した魔力アンドロイドの破壊を遂行していた。
そして、チヨリ達が来た。アンドロイドだけでなく、人間にまで手をかけようとするリアナを、そのままにすることは出来なかった。
そして、ラグロは気付いてしまったのだ。チヨリに薬草を盛るところを見て、この屋敷にある薬草は、兄だけでなく妹も使えると。戦時中に亡くなったラグロの両親と共にいたのは、妹の方だったと言うことも。
「これ以上、罪を重ねて欲しくないんだ。
救ってやれなくて、すまない。リアナ」
(そんな、顔をしないで、ラグロ)
リアナは、死ぬ前のその一瞬、夢を見た。
ずっと、遠い昔の、ある夜。
「ねぇ、内緒よ」
グランがこの家に帰ってくる前、リアナが赤い唇を緩ませ、話した。
「私、魔法が使えるの」
そう言って、リアナはラグロをないしょの部屋へ案内した。半壊のアンドロイドが所狭しと並べてあり、彼は面食らった。
「ごめんなさい、驚かないで。兄が魔力アンドロイドが嫌いでこうやって壊していたの。でも、ほら」
リアナがパチンと指を鳴らすと、それらは立ち上がり楽しそうにダンスを始めた。手足のどこかのないアンドロイドが踊る様は奇妙だったが、嬉しそうなリアナの表情につられ、ラグロも笑う。
「この子達は、私の言うことしか、聞かないのよ。私がマスターなの。兄には絶対、ーー絶対バレてはいけないのだけど」
一瞬、リアナに暗い影が宿る。心配そうにラグロが覗きこむと、リアナは優しく微笑んだ。
「兄がいない時に、こうやってこの子達と一緒に遊んでいたの。この子達は兄のおもちゃなんかじゃないわ」
リアナはアンドロイドの手を取り、一緒に踊り始めた。
「私の、大切なおもちゃよ」
そう言って、リアナはラグロに手を伸ばす。ラグロはその手を取り、朝が来るまで一緒にダンスをした。
グランのいない、そこはないしょの、おもちゃとリアナ達の世界だった。
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