3 水晶術

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3 水晶術

 頭の上におおいかぶさるのは、怪物の手のような、ねじ曲がり、何本にも分かれた、むき出しのナラの木の枝だ。その間からのぞいていた星の光は、すでに雲にかくされてしまった。足もとを照らす水晶玉がなければ、少年は一歩も進めなかっただろう。  今ロックは、ガーネットが持つ水晶玉から発せられる、オレンジ色のわずかな光にみちびかれて、都の北西の森の中を歩いている。  それより少し時間をさかのぼって、二人が地下倉庫を出た時のこと。都の中には、ガーネットを探す兵士がそこらじゅうにいた。  コリの国の都は、周りをかべで、ぐるりと囲まれている。その東西と南に開いた門の所では、特にたくさん兵士が集められているようだった。二人は三か所すべてをその目で見たのではなく、ガーネットがあやつる透明の白水晶を通して見たのだ。  相手の方も水晶玉でこちらを探しているようで、二人が物かげにかくれていても、やがては見つかって追われてしまうのだった。 「アメシストはのぞき見を防いでくれる。けど向こうの数が多すぎるわ」  ガーネットがそう言った。彼女が言うアメシストとは、紫水晶のことだ。彼女がいったい何をしたというのだろうか。連中は、ぜったいにあきらめそうになかった。  おとなの兵士相手ににげることができたのは、ピンク色の水晶、ローズクォーツの魔法のおかげだった。この、心地よい夢を思わせるような色の水晶は、地下倉庫の時のように他人に言うことを聞かせるだけでなく、自分に言うことを聞かせることもできるのだ。 「ぼくの両足に力がみなぎってくる。ぼくは兵士をぐんぐん引きはなして、馬のような速さで走れる……」  ガーネットに言われるがまま、ロックがローズクォーツをにぎりしめて、自分に言い聞かせた。するとおどろくべきことに、本当に馬のように、風のように速く走れるようになったのだ。せまい路地裏で待ちかまえる、兵士の腕さえ楽にかわして通りぬけられた。 「これが、ドワーフの水晶術よ」  ガーネットは走りながら、得意そうに言った。  が、魔法の効き目はそれほど長くは続かなかったし、門に集まった兵士の群れを切りぬけるのは、さすがにむずかしそうだった。ロックは、門がなく見張りが少ない、北側のかべを乗りこえるのはどうかと言ってみた。もともと、ドワーフのすみかは都の北西にあるらしかった。  しかし、乗りこえるなどと言ってみたものの、ロックにはうまくいく自信がなかった。都のかべは、三階立ての建物くらいの高さがあるからだ。けれどガーネットは平然として、言った。 「ふうん。なかなか悪くない考えね。じゃ、行きましょ」  そうして二人がやってきた北側のかべの周りには、たしかに兵士も人もほとんどいなかった。が、かべは間近で見るとロックの想像以上に高く、彼はとまどった。そんな彼に、ガーネットはローズクォーツをふりながら言った。 「ほら、さっきの応用よ」  ロックは少しためらってから、深呼吸をして、小声で言った。 「……やってみる。えっと、ぼくは……、ぼくの全身に、力がみなぎる。ぼくは、りすのようにとびはねて、軽がる、かべの上まで行ける……」  こつは、足もとの大地を感じて、できるふりをすること、とガーネットは言っていた。できるふりだけなら、できるかも……、そう思いながら、ロックはジャンプした。  とんだ先はかべの方ではなく、そばにある二階建ての家の屋根だ。  タンッ!  屋根に着地! かがんだいきおいのまま、続けてロックはかべに向かってとんだ。  トッ!  ロックは、かべのてっぺんの石の上に乗っていた。声を上げて喜びたくなったのをこらえて、すぐに一段下りてしゃがむ。かべは二重のようになっていて、間が通路になっているのだ。  ガーネットはまだ下にいて、ロックがのぞくと、彼の方を見て身ぶりで拍手をした。それから、彼女もジャンプした。ロックのようにではなく、かべにそってまっすぐ上にだ。  けれど、てっぺんまでは届きそうにない……、そうロックが感じた瞬間だった。彼女はかべの石のくぼみに指を引っかけ、片手をけんすいのように思いきり引っ張って、そのいきおいでさらにとび上がったのだ。  彼女はかべの高さをこえると、てっぺんの石にさわってふわりと前にはずみ、二重のかべをこえて、見えなくなった。  ロックがかべの上であっけに取られていると、わたされていた白水晶が軽く光った。 「何をぼやっとしてるの? 早くあんたも下りてきてよ」  水晶玉を通して、ガーネットがまくしたてていた。  それから二人は都の外の、北側の荒野を全速力でかけぬけ、北西にある広い森に入ったのだった。  追手の姿は見えなくなったが、水晶玉を通して見ると、この暗い森の中までやってくる兵士たちが、まだ何人かいるようだった。しかし、どこまでせまっているのか、くわしい位置は分からない。反対に向こうも、少年たちがどこにいるかは、分かっていないように思われた。 「ガーネット、そろそろ休まない? ぼく……」  ロックが、前を歩くガーネットに言った。もう真夜中のはずだ。ひょっとしてドワーフは眠らないのだろうか。 「今、寝る場所を探してるわ。あたしだって眠いもの。あんたもシトリンを使ってみて。光は弱めにね」  シトリンというのは、オレンジ色の、光と熱を出す水晶のことで、都では黄水晶と言っていた。 「あそこがいいわ!」  わたされた玉をロックが使ってみようと思った矢先に、ガーネットが言った。  左の方のくぼ地の、下り坂になった所が一部くずれていて、木の根がむきだしになりつつも、しっかりと土を支えている。へこんだ崖のようになっているので、そこにちぢこまっていれば、南側から来た者には姿が見えないだろう。二人はそこで一晩休むことにした。  が、気がぬけたのだろうか、体力がつきたのだろうか、ロックはくぼ地に下りようとして、足をすべらせた。 「うわっ!」  ズザザザッ……! 「ロック! ちょっと! 大丈夫?」  先に下りていたガーネットが、目を丸くして言った。ロックはしりもちをついたまま、彼女に答えた。 「いて……。でも大丈……」  痛い。これはまずい、とロックは思った。足首をひねったようだ。  言葉につまったロックの様子を、ドワーフの少女はじっくりと見て、言った。 「ねんざね。なら、問題ないわ」  問題ないって、なんで、とロックが声を荒らげて言おうとしたのをさえぎるように、ガーネットは腰のふくろから、また別の小さな水晶玉を取り出した。それは透明の水晶の中に、深い緑色の細かい結晶が、こけが育ったように満ちた、不思議な玉だった。 「ガーデンクォーツよ。じっとしてなさい」  ガーネットはひざをついて、両手でその玉を高く持ち上げて何かつぶやくと、ロックの痛む足首に、そっと当てた。  すると、水晶玉がやさしい緑色の光を放ち、ロックの体の中を心地よい風がふいた。 「痛みが、消えてく……。痛くない……。もう、動かしても痛くない。治った!」 「大げさなのよ、まったく」  ガーネットは大きく息をはいたが、それはため息とはちがって、安心したようだった。  ロックは緑色の水晶のことは聞いたことはあったが、それは医者か、貴族くらいしか持っていない、非常に貴重な品なのだ。彼は起き直ってガーデンクォーツをまじまじと見つめた。 「……あれ? よく見ると、ちょっと黒いのが混じってるね」  ロックがそう言ったのを聞いて、ガーネットは、少しばつが悪そうに答えた。 「目ざといわね。黒っぽいのはスモーキークォーツ、つまり煙水晶の成分ね。ガーデンクォーツは多少めずらしいから、混じり物があるまま加工したりするわ。もっといいやつも家にあるけど、父が持たせてくれなかったのよ」 「煙水晶だけだと、どんな魔法の力があるの?」  今までおさえられていた水晶への興味が、ロックからあふれている。が、ガーネットの答えは期待はずれだった。 「スモーキークォーツはよく出る水晶だけど、力は特に何もないの。煙を閉じこめたような落ち着いた姿が、かっこいいっていう以外は、ね」  魔法がないのは残念だが、ロックはその煙水晶も、一度は水晶玉の形で見てみたいと思った。  彼はここで、自分が今日見てきた水晶の種類を、あらためて指を折りながら数えてみた。  まずは、白水晶。透明な玉も、白くくもった玉も、すべてこうよんでいる。遠くを見通せる水晶だ。  次に、紫水晶。ガーネットはアメシストとよんでいる。病気や不運、そして他の水晶の魔法を防いでくれる、守りの水晶。  黄水晶。ガーネットはシトリンとよぶ。光と熱を出す、オレンジ色の、都でもそこらじゅうにある水晶だ。  そして、ロックが初めて目にしたピンク色の水晶、ローズクォーツ。ガーネットは一度、人間風に『紅水晶』と言ったが、これはドワーフしか持っていないのではなかろうか。他人の心をあやつって言うことを聞かせたり、自分の心をあやつって、すごい力を発揮させることができる。  五番目。緑の入った、けがを治す水晶、ガーデンクォーツ。都ではなんとよばれていたかは、ロックは知らない。うわさしか聞いたことがなかったからだ。  そして最後が、煙水晶、スモーキークォーツだ。  ロックが六種類の水晶に思いをめぐらせている間に、ガーネットは水晶玉をしまい、それから足をくずして、言った。 「さてと、これで、やっと落ち着けるわね。あんた、つかれたでしょう」  彼女が言う通りだった。ロックは朝から晩まで仕事をした後で、さらに真夜中まで走り回ったのだ。 「感謝してる、わ。しんぼう強いのね。水晶術も才能あるし、あんたドワーフに似てるわね。最初に町で見かけた時も、そう思って見てたのよ」 「ドワーフにぃ?」  ロックはあごの下で手を動かして、笑った。実を言うと、彼の祖父はひげをもじゃもじゃに伸ばしていたから、時どき人からドワーフだと言われることがあった。自分もひげが伸びたら、同じようになるのだろうか……。 「ドワーフって、なんなの?」  ロックが何気なく聞いた。が、ガーネットはいかにもあきれた様子になって、言った。 「あんたねえ、もしあんたが、『ヒトとは何か』なんて聞かれたら、答えられるわけ?」  ごもっともだ。ロックはちょっと頭をひねってから、人間を代表して聞き直した。 「えっと……、たいていの人は、ドワーフって、おとぎ話の中だけにいるんだと、思ってる。けど、本当は昔からドワーフは、人間の近くでずっと暮らしてたんだろ? なぜ、どうやって、ほとんど人間に知られずに、やってこられたの?」  ドワーフの少女は、満足そうにうなづいてから、答えた。 「かんたんよ。山に穴をほって暮らしてるもの。ヒトが木や石で家を建てるように。でもドワーフの穴は、ヒトには想像もできないくらい、長くて広いの。出てこなくても生きていけるし、入り口は水晶の魔法でかくされてる。それに……」  得意げだったガーネットは、少し声を落として続けた。 「数が、少ないのよ。ヒトが増え続けるのと反対に、ドワーフの人数は減り続けてるわ。家族以外の仲間を探すのが、むずかしいくらいに……。そのうち一人もいなくなっちゃうかも、ね」  彼女はおどけてみせたが、ロックにはさびしそうなのが分かった。彼は聞いた。 「数が少ないのは、人間の、せい?」  ガーネットは、首を横にふった。 「それはちょっと、うぬぼれじゃないかしら? これはあたしたち自身の問題。ドワーフはね、深く穴をほるにつれて、しだいに少しずつ、大地を忘れて、自分だけの、頭の中だけの世界に入っていくようになったの。外で何が起こっても、気にしなくなった。他の生きもののことを、気にしなくなった。他のドワーフの部族のことも、先祖のことも、子孫のことも、気にしなくなった。そうして自分だけで、自分だけが、なんでもできると思いこんで、一人で生きるようになってきたの。今では、家族のことも気にしなくなってきてるわ」  ロックは、何も言うことができなかった。罪の判決を言いわたされているような、暗い気持ちだった。  そんな彼を見かねてか、ドワーフの少女は、声を少し高くして言った。 「まあ、悲しんだってしかたないもの。あたしは少しは外を見ようと思って、ヒトの都に行ってみたわけ。けど、ついてないわね。ひどい言いがかりで、こんな目にあって。あやうくドワーフがもう一人減るとこだったわ」  ロックは聞きたいことがまだあった。が、体がもう休みたがったのだろう。言葉を考えているうちに、間もなく、座ったまま眠りに落ちてしまった。  冬の森の中だったが、彼は寒さは感じなかった。ガーネットが、黄水晶の力で温かくしたのだろう。彼がぐっすり眠れるように、他にも魔法をかけたのかもしれない。
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