5 ドワーフの穴

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5 ドワーフの穴

 二人は、丸二日以上歩き続けていた。水晶玉の魔法のおかげで道に迷うことはなかったが、いまだにあきらめない数人の追手を出しぬくため、二人は何度も回り道をしたり、走ったりしなければならなかった。  山が近づくにつれ、上り下りも増え、足もとも荒れてきた。ローズクォーツの力で足腰を強くしていなければ、ロックはとっくに力つきていただろう。  しかし、体は持ちこたえていても、追われながらの旅は、二人の心をすり減らした。道中の会話も、めっきり少なくなっていた。今、彼らはもくもくと岩山をかきわけ、ドワーフの穴の入り口に向かおうとしている。大みそかの昼だった。 「……ねえ、ガーネット、まだなの?」  ロックは久しぶりに口を開いたが、この質問は、これで四回目だった。  ガーネットは、後ろにいる彼の顔をちらりと見てから、立ち止まって周りを見回した。それから前に向き直り、ふたたび歩きだしてから、質問に答えた。 「何度聞いたって、時間が短くなるわけじゃないわ。もう少しのしんぼうよ」 「少し、って……」  ロックはひとりごとのようにつぶやいたが、ガーネットにはしっかり聞こえたらしい。いきおいよくふり返ると、赤い瞳でロックをにらみつけた。ロックは彼女を怒らせてしまったと気づいて、ちぢこまった。  が、ガーネットは、急にいたずらっぽくほほえむと、言った。 「なぁんて、ね。今、着いたわ。ほら!」  彼女は自分の後ろの、そそり立つような岩かべを指した。が、岩かべは岩かべだ。ロックはまゆをひそめ、首をかしげた。ガーネットは続けた。 「だから、着いたのよ。ドワーフの穴の入り口に。見てなさい」  そう言って彼女は岩かべの方へ、後ろ向きにゆっくり近づくと、背中を岩肌にくっつけ、それから……、煙のように消えた。 「えっ、あれっ? ガーネット!」  ロックはあわてて岩かべにかけ寄った。彼が岩をたたこうとして手を突き出した、その時、岩からぬっと細い手が生え、ロックの手首をつかんで引っ張った。  次の瞬間、ロックの目の前にはガーネットの小さな顔があった。彼女はにやにや笑っている。  二人はどうくつの中に立っているようだ。ロックが混乱したまま後ろをふり返ると、どうくつは出口になっていて、今歩いてきた山の斜面が見える……。 「種明かしね。上を見て」  ガーネットに言われるがままロックが上を見ると、二つの紫水晶と一つのローズクォーツを組み合わせたかざりが、どうくつの天井からぶら下がっていた。 「これが、まぼろしの岩かべを見せてるの。どうくつの入り口を、よそ者からかくしてくれるってわけ。おどろいた?」  ロックは返事はせず、あえてわざとらしく大きなため息をついた。が、ガーネットはおかまいなしで、黄水晶を出して明かりをつけ、言った。 「ようこそ、ドワーフの穴へ。家族がいる所まではもう少しかかるわ。だいたい五時間ってとこかしら」  ドワーフのどうくつは、岩をくりぬいてできていた。入り口こそ二人がやっと並んで通れるほどの幅と高さだったが、しだいに広くなってゆき、右に左に現れる分かれ道を、何度も曲がることになった。さらに、しばしば上り下りの階段があり、ロックは、自分たちが入り口から見てどのあたりにいるのか、まったく見当もつかなくなった。ガーネットは、水晶玉の明かり一つを手にして、そんな迷路をすいすい進んでいく。  一時間ほど歩いたころ、どうくつの中にぽっかりと、まるでくじらの胃ぶくろのように開けた空間があった。ガーネットが明かりをそちらに向けると、紫色にかがやく植物のようなものが、地面にもかべにも天井にも、一面に生えていた。  ロックが腰を落としてよく見ると、それらはすべて、えんぴつのような形に伸びてとがった、紫水晶の結晶だった。ロックは、その美しさと興味深さに心を打たれて、ため息をついてから、言った。 「すごいな……。水晶ってのは、もともとこんな風になってたのか。こういうのを、神秘的って言うんだろうか……」 「すてきでしょ? このアメシストは一つ一つが小さいから、取って魔法の水晶玉にはしないんだけどね。その代わり、こうしてここに、ずっといてくれるってわけ」  ガーネットがロックに言った。ロックは、目をかがやかせて、彼女に質問した。 「大きい水晶と小さい水晶のちがいは何? こういう小さいのが大きくなるの? そもそも水晶は、どうやってできるの?」  それに対して、ガーネットが得意げに答えた。 「この水晶はもう大きくはならないわ。水晶はね、大地に閉じこめられて、水につかっている間に、ゆっくりと伸びて大きくなるの。塩と同じなのよ」 「塩……? 料理に使う、あの塩?」 「そうよ。塩水をかわかすと、塩のつぶができるでしょ? うまくくり返せば、塩のつぶも大きな結晶になる。それと同じよ」  なるほど、塩のかたまりも水晶も、見た目は似ている。が、ロックはなっとくできず、彼女にたずねた。 「……でも、水晶は水に、とけないよね?」  ガーネットは、少しむっとして、言った。 「そうだけど……。知らないわ。そう言われてるの。最初は、とけてるんじゃないの?」  ロックは頭をひねってみたが、人間よりずっと昔から水晶をあつかってきたドワーフに、かなうわけがない。彼女たちの考えは、たしかめるのがむずかしいだけで、多分正しいのだろう。  さて、彼らはふたたび歩き続けたが、どうくつの中には二人の他は、だれも見当たらなかった。  しかし途中ところどころに、開けて部屋のようになった場所があり、物がたくさん置いてあった。それはかまどやテーブル、戸棚などの家具や、荷車や金づち、つるはしといった工具、あるいは、ロックには何に使うのか見当も付かないような道具など、実にさまざまだった。  ガーネットによれば、そういう開けた場所は、昔まだドワーフが多かったころの、彼らの家や工場のあとらしい。そういう所でロックたちが休憩する時、ガーネットは、それぞれの場所の意味や、そこにまつわる古い歴史を教えてくれるのだった。  進むにつれて、ロックはいつの間にか、周りのかべや床が、きっちりと平らになっていることに気がついた。それはしばらく続き、やがて、前方に広間があるらしいのが見えてきた。その入り口にさしかかって、ロックはその広間の天井が、想像以上の高さであることに気がついた。  ガーネットが明かりを強めた。そこは、大木のように太く長い四本の柱に支えられ、貴族の館が九つもおさまるほどの、巨大な大広間だった。  広間の中央は丘のように小高くなっていて、その上に台座のようなものが見える。その周り、広間全体のそこかしこに、小屋や彫刻のざんがいがあり、たおれた樹木さえ見つけられた。 「散らかっててごめんなさいね。これでも少しずつ片づけてるんだけど」  ガーネットはじょうだんっぽく言ったが、ロックにはそれどころではなかった。彼は天井を見上げ、深いため息をついてから、言った。 「おどろいた……。山の中にこんな場所があったなんて。こんな場所を作れるなんて。ドワーフってなんてすごいんだろう。ねえ、ガーネット、ここは、どういう場所なの?」  ロックは興奮気味にドワーフの少女にたずねた。が、返ってきた答えは意外だった。 「知らないわ。家族のだれに聞いても、ここのことは、分からないの。祖母でさえ、よく知らなかったわ。きざまれた文字もあるけど、今の字とはちがってるし……。ただ、ドワーフにとって大事な場所だったことは、たしか、ね。感じるもの」  ロックは、静かにうなづいた。 「あっ、オリック!」  ガーネットのだしぬけの声が大広間にひびいた。彼女の視線の先をロックが見ると、これまた見たことのない四つ足の生きものが、一匹でうろうろしていた。  それはいのししより少し小さいけもので、灰色の長い毛に顔までおおわれていた。ぶたのように胴が太く足は短いが、そのひづめはおそろしいほど大きかった。顔もぶたに似ているが、もっと先が細くなっていて、耳は扇のように大きい。時どき長い舌を出して地面をなめていた。 「群れからはぐれたのね。おお、よしよし、おいで。ロック、これがあたしたちが飼ってるけもの、オリックよ」  ドワーフの少女はその奇妙な生きものをゆっくりむかえると、さも大事そうになでてから、その足を持ち上げてじっくりと調べた。 「けがはなし、と。何? ロック、こわいのかしら」 「うっ、いや、まさか……! こわく、ないよ。こわくない」 「大丈夫よ。とってもおとなしいんだから。それじゃ、そこでちょっと休憩しましょ」  ガーネットが指し示したのは、くずれてほとんど形のなくなった建物のあとだったが、その中に、ちょうどテーブルといすのような並びで、四角い石が転がっていた。  二人がそちらに向かうと、オリックなる生きものもついてきた。たしかに動きはゆっくりでおとなしく、その姿はこっけいなのだが、ロックはなかなか慣れない。  ガーネットは席に着くと、明かりの黄水晶を、テーブル代わりの石の上に置いた。それから彼女はチーズを出して、まずけものにやった。 「はい、どうぞ」  それから彼女はロックにもチーズを差し出した。 「はい、どうぞ」  まったく同じ仕草だった。わざとなのか気づいていないのか、ガーネットは、笑顔で自分もチーズをほおばりつつ、ロックに言った。 「オリックの主食は、アリなんだけどね」  彼女がなんと言ったのか、ロックは分からず、首をかしげた。ガーネットは、はっきり言い直した。 「アリよ、アリ。虫の。でもこの子はまだ、うまくとれないみたい」  そのけものは、前足でチーズのかたまりをおさえながら、長い舌でせっせとそれをなめていた。ドワーフの身の回りは、おどろくことだらけだ。ガーネットは続けた。 「多分、兄のオリックね。気にしてないのかしら。まだ子供なのに。あ、子供なのは、このオリックね。兄はもうおとなよ?」  ロックは、おとぎ話に出てくるドワーフの姿を思いうかべた。おとなの男のドワーフなら、話の通りに、ひげがもじゃもじゃだろう。人間であるロックを、こころよくむかえてくれるだろうか。おとぎ話では、ドワーフは気むずかしいことが多いのだ。 「兄は、会おうとしないかもしれないわね」  ガーネットが言った。 「ほら、言ったでしょ? 自分のことしか考えなくなったドワーフ。兄はまさにそんな感じなの」  ロックは、森での最初の夜に聞いた話を思い出した。ドワーフは、自分だけの世界に入りこんで、姿を消していったという。 「昔は、こんな大広間も作れるくらいだったのに……」  ロックがつぶやいた。ドワーフが変わってしまう前と後の両方を、目の前の光景が表しているような気がした。  ガーネットはしばらく何も言わなかったが、にわかにオリックの背をわしゃわしゃとなでて、言った。オリックは少しおどろいたようだった。 「過去は過去、よ。もちろん歴史は大事よ?  でも大事だけれど、今あるのは、今だけだもの。おばあちゃんもよく言ってたわ。今できることをやりなさい、って。だれかに追われてる時は特に、だわ」  ロックは少し笑ったが、彼女の言葉で追手のことを思い出して、言った。 「やつらはまだ追ってきてるんだろうか。ぼくら、どうくつに入ってからは、安心してあまり気にしてなかったけど」 「あら、あたしはちゃんと気にしてたわ。けど、たしかにね。見てみるわ。穴に入るところは見られてなかったし、ヒトが入ったら迷うだけだと思うけど、ね」  そう言ってガーネットが白水晶を出そうとすると、今までふせていたオリックが急に立ち上がり、彼女が声をかける間もなく、広間の奥を目がけて走っていってしまった。  ガーネットがロックの方を向いて、いぶかしそうな表情で口を開いた。が、言葉が出るより先に、彼女の顔が凍りついた。 「ロック後ろ!」  彼女がさけんだ。同時に腰のふくろにすばやく手を伸ばすのが分かった。ロックがふり向くと、後ろに都の兵士がいた。あの剣士だ。剣をふりかぶって走ってくる。ロックが立ち上がってローズクォーツをつかみ、頭に動きを思いえがく。すばやく敵の攻撃をかわしつつ、反撃のこぶしを食らわせてやる。そうロックは水晶に念じた。  が、敵の剣はロックの頭上をすどおりし、ロックの攻撃も敵のわき腹をかすめただけだった。剣士が体の向きを変えたのだ。彼のねらいはロックではなく、奥からかけ寄ろうとしているガーネットだった。彼女はロックの助けに入ろうとばかり思っていたのだろう。反応が一瞬おくれた。剣士はロックの攻撃でよろめいたが突進を止めず、たおれざまに少女の胴体を切りつけた。  ザンッ! 「ガーネット!」  ロックがさけんだ。ガーネットは床に打ちつけられた。白水晶とローズクォーツがその手からこぼれる。剣士がはいつくばって白水晶を追い、つかみとって、よろけながら起き上がった。その姿を、黄水晶の明かりが照らしている。 「フ、フハハ……、フハハハハッ! やったぞ、魔女め! この玉だ。これでパイライト様は安泰だ!」  剣士は目をぎらぎら光らせながら、ガーネットの白水晶をたしかめた。おぞましい笑い声が大広間にひびきわたり、ロックは耳をふさぎたかったが、それどころではなかった。ガーネットの体から、真っ赤な血があふれてきている。 「ガーネット! ガーネット!」  ロックはなだれこむようにしてガーネットにかけ寄ったが、彼女は返事をしなかった。代わりに彼に声をかけたのは剣士だ。 「その出血、助かるまい。言っただろう。摂政殿下に、わが国に害をなす者は、その報いを受けるのだ。ドワーフが、手こずらせおって」  剣士はひきつった笑みをうかべてそう言うと、うばった白水晶をふところに入れ、剣をむき出しに持ったまま、ロックの方を注意しながら大広間の出口へ向かった。ロックは今にも剣士にとびかかりたかったが、必死でこらえてガーネットの方に向き直った。  ガーデンクォーツがある。けがを治す緑の水晶。ロックはガーネットの腰のふくろを探った。彼女はかすかに息をしている。ロックがガーデンクォーツを見つけてにぎりしめた。  森でガーネットが使った時のことを思い出そうとする。彼女は玉を持ち上げて、何かつぶやいていた。ロックはあせった。もしも何か秘密の言葉だったのなら、彼には分からない。  だが、やってみるしかない。大地を感じて、できるふりをするんだ。  ロックは水晶玉を両手で高くかかげ、声をふりしぼるようにして、言った。 「ガーデンクォーツ……、いやしの水晶よ……! この、ドワーフの少女ガーネットの傷を、どうか治してください……!」  彼はふるえる手で水晶玉を下ろし、ガーネットの胸に、そっとおし当てた。血まみれになった毛皮の服の下から、おそろしい傷口が見えている。彼は目をつぶった。  すると、閉じたまぶたを通しても分かるほどの強い光が、ガーデンクォーツから放たれた。ロックは目を細く開いた。森の時と同じ緑色の光だが、かがやきは一段とはげしい。ガーネットの傷がみるみるふさがっていくのが分かる。胸だけではなく、体をかばってできたであろう、腕の傷も治っていく。やがて、水晶の光はおさまり、傷はすべてふさがったように見えた。  が、ガーネットの体にふれているロックに、おそれが走った。彼女の体が、冷えてきているのだ。息づかいも、ほとんど分からなくなっている。目も閉じたままだった。 「ガーネット! けがは治ったよ! ほら、目を覚まして!」  ロックは右手を水晶玉からはなしてガーネットの手を取り、ゆすった。 「ガーネット! ガーネット!」  彼は泣きながら、何度も何度も彼女の名前をよんだ。  ロックの声も希望も枯れ始めたその時、少女のまぶたが、ゆっくりと開いた。  彼女はかたわらにいるロックに気がつくと、くちびるをふるわせながら、弱よわしく言葉を発した。 「暗い顔……、ね、ロック……」 「ガーネット! 気がついた! けがは治したよ! 敵もいない。もう大丈夫だよね? だってぼく……」  ロックはそう言ってガーネットの手をにぎりしめたが、彼女の手は今なお冷たくなっていく。ロックは声にならない痛ましいうめきをもらした。  一方でガーネットは、静かにほほえんでから、かすかな声で言った。 「ありがとう、ロック……。あたし、楽しかった、わ……。ごめんね……、料理、作れなく、て……」  彼女は目を閉じ、それ以上言葉を発しなかった。時が止まったかのような静けさが、一瞬おとずれた。 「だめだ! ガーネット! 死んじゃだめだ! 起きて! どうすればいい? 教えてよ! お、お願いだ、ガーデンクォーツ!」  ロックはさけびながら、緑の水晶玉をふたたび両手でにぎりしめた。 「助けて! この子を助けてあげて! なんでもする! ガーネットが助かるなら、ぼくはいい! ぼくは何もいらないから! ぼくの、全部を差し出すから!」  そう言った瞬間、黒い光が、ガーデンクォーツから発せられた。それはロックの体をとらえ、包みこみ、おそろしくゆううつな感覚が彼の心を突きさした。  そして突然、目の前が真っ暗になった。少年は意識を失い、少女の体の上に、おおいかぶさるようにしてドサリとたおれた。  大広間に、動くものは何一つなくなった。石の上の黄水晶の明かりも、しだいに弱くなっている。やがて、闇がおとずれるだろう。
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