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6 おそろしい力
何も見えず、何も聞こえず、何も感じない真っ暗な時間が、ただすぎていったように、ロックは思った。
自分の体がどこにあるかも分からず、考えることも、何かをしたいと思うこともできなかった。
ただ、ガーネットを死なせてしまったという思いだけが、くり返し自分を責める。
そんな時間が永久に続くかと思われた。
けれどもやがて、ロックは闇の中で、かすかに何か聞こえるような気がしてきた。周りの人の声のようだ。あれは……。
「ロック……。あんた、ずっと眠ったままでいるつもりなの……? なんとか言いなさいよ……」
ガーネットの声だ。聞こえる。まぼろしじゃない。自分の耳を通して聞こえる。手をにぎられているのも感じる。ガーネットが生きている!
ロックがぱっちりと目を開いた。
石でできた天井が見える。ガーネットがすぐ横にいて、真っ赤な目になみだをうかべながら、ロックの顔を見ていた。
「ガーネット、無事、みたいだね……」
ロックがそう言い終わるやいなや、おおいかぶさるようにして、彼女はロックに抱きついた。
「ロック! 無事よ! 無事なのね! あんたのおかげよ! あたしのために、あたしのせいで、あんた……」
「ちょっと、ガーネット……!」
ロックは耳まで赤くなった。自分とガーネットが生きていて、この上なくうれしいが、彼女がこんな風に取り乱すとは思わなかった。それに、何を言っているのか分からない。いったい何が起こったのだろう。
ロックは、水晶玉屋の地下倉庫くらいの広さの、石づくりの部屋のベッドの上にいた。部屋にはちょっとした家具もあり、テーブルの上の黄水晶が明るく光っていた。
「気がつかれたのですね、ヒトの少年よ……」
知らない女の人の、落ち着いた声が聞こえた。そのとたん、ガーネットはガバッと起き上がり、服のそででゴシゴシとなみだをふいた。ロックもゆっくりと体を起こした。
ドアのない部屋の入り口に現れたのは、ガーネットによく似た女性と、白い髪とひげのずんぐりした小人、つまりドワーフの男女だった。ガーネットはそちらをちらっと見てすぐにロックに向き直り、言った。
「ええっと……、そう。ロック、あたしの母よ。それから、父。ここは、あたしのうちよ」
ガーネットの母は、やはりその娘と同じように、身長は低いがすらりと手足が長く、それはゆったりしたひとつながりのローブを着ていても分かるほどだった。瞳は赤く、肌は青白いほどに白かった。髪は首の後ろで結っていて、真っ赤な中に少し白いものが混じっていた。
ガーネットの父は、髪も、もじゃもじゃのひげも真っ白で、同じように真っ白なまゆ毛は、目がかくれるほどに伸びていた。紫水晶が付いたつえを持っていたが、腰は曲がってはおらず、手足は太くて、たくましかった。
ガーネットの両親はロックに向かって、深く頭を下げた。やがて、とまどうロックが何か言おうと思ったころ、ようやく二人は頭を上げ、それから母親の方が口を開いた。
「あなたは娘を、瀕死の重傷から救ってくださりました。本当に、感謝しても、しきれません……。しかし、そのために、あなた自身が死のふちに、おちいることになってしまったのです……」
ガーネットの母はていねいに言ったが、ロックはまだ起こったことが飲みこめない。
「お母さん、あれ、出して」
ガーネットが母親に手を差し出すと、ガーネットの母は夫の方を見た。ガーネットの父がだまってうなづく。それから、母親は自分のふところから水晶玉を取り出して、娘にわたした。それは、ガーデンクォーツだった。
ガーネットがきびしい表情でロックに言う。
「これのせいなの」
ロックは彼女の言い方が気になった。
「これの、せい? ガーデンクォーツが、きみの命を救ってくれた……、最後の最後に……。そういうことじゃ、ないの?」
ガーネットは首を横にふってから、水晶玉をロックの目の前に突き出して、言った。
「ちがうの。ガーデンクォーツじゃないわ。この水晶玉の中の、もう一つの成分。分かるわね? スモーキークォーツよ」
ロックはその名前を聞いて、目の前の水晶玉をのぞきこんだ。ガーネットのあの玉のようだ。森で最初に見せてもらった時と同じく、緑のこけの中に黒っぽい影が、うっすらとだが、たしかにある。またの名を煙水晶と言っていた。それから……。
「スモーキークォーツには、なんの力もないんじゃ……?」
ロックはそう言いながら、いやな予感がしていた。気を失う直前の、暗くおそろしいもののことがなぜか思い出され、彼は目をふせた。
ガーネットは水晶玉を手もとにもどし、かがんでロックの顔をのぞきこんでから、言った。
「あたしたちは知らなかったの。この黒い煙には、魔力はあった。おそろしい力が……。それは、生きるものの魂を吸い取り、それを他へ移す力。魂をあやつる力よ。ロック、あんたは自分で自分の魂を吸い取り、それをほとんど全部あたしにつぎこんだのよ」
ロックはすぐには信じられなかった。が、一方で心当たりもあった。あの時、自分がガーデンクォーツに、なんと願ったか……。
「ぼく……、その玉に、言った……。きみを、助けてくれるように。ぼくの、全部を、差し出すから、って……」
みんなが息をのんだのが分かった。ロック自身が水晶の魔法を、知らずに使った結果だったのだ。魂をあやつる魔法を……。
ふいに、ガーネットの母がよろめいた。今にも後ろにたおれそうになったところを、ガーネットの父が支えた。ロックが心配して声をかける。
「大丈夫、ですか……? もしかして……」
ガーネットの父は妻をいすにかけさせた。ロックは、原因が分かった気がした。彼女は辛そうにして答えなかったが、代わりにガーネットがロックに言った。
「大広間でたおれたあたしたちのこと、母がたまたま水晶であたしの様子を見ようとして、気づいたの。それから父がここまで運んでくれたわ。あたしはそのうち目を覚ましたんだけど、あんたは死にかけてて……。母は、ほとんど丸二日、あんたの魂をもどそうと、必死で手をつくしてくれたの」
ガーネットの母は胸をおさえて息を切らしている。ロックがおそるおそる声をかけた。
「あの……。ありがとうございます……。すみません……、こんな……」
なんとのべたらいいのか、分からなかった。ガーネットを助けられたのは、うれしい。ロックはそのためなら、自分の命と引きかえにしてもいいと、あの時、強く思ったのだ。けれども、そんな自分のために、また他のだれかが苦しむ……。ガーネットは、おそろしい力と言った。ロックは、あの黒い光が忘れられなかった。
ガーネットの母親は顔を上げ、ロックの方を見て静かにほほえんだが、ロックはいたたまれなくなって顔をふせた。それを見て、ガーネットがふたたび立ち上がって言った。
「あんたが気を落とすことないわ。このあたしの命を救ってくれたんだから、胸を張りなさいよ。いけないのは、うちの父だわ。スモーキークォーツにこんなあぶない力があるなんて、一度も教えてくれなかったんだから」
そう言われて、ガーネットの父は、その白い髪とひげでほとんどかくれた顔を、少しこわばらせたように見えた。彼は、ロックの前に現れてから初めて口を開いた。
「それは、わしも、すまなかったと思っておる」
それからしばらく沈黙が続き、ロックは彼の話は終わりかと思った。が、年老いたドワーフはふたたび口を開いた。
「本来はありえぬことなのじゃ。ただのスモーキークォーツ、それも他の水晶に混じったほんの少しの成分から、それと知らずに魔力を引き出すなどということは、な。純粋な結晶ならば今回のようなこともありうるが、そんな水晶はもはや見なくなって久しい。じゃから、教えるだけ意味のないことと思っていたのじゃ」
ガーネットの父の声はぶっきらぼうだったが、その頭はうなだれていて、後悔しているようだった。
それを見て、ガーネットは少しわざとらしく鼻からため息をついて、言った。
「そういうこともあるってことよね。だから、昔の話は大事なのよ。でも、変じゃないかしら。スモーキークォーツの結晶なんて、いくらでもさわってるけど、魔法なんて、気配すら感じないわよ?」
ガーネットの父は、少しの間を置いてから、娘の疑問に答えた。
「お前が見てきたスモーキークォーツの玉は、純粋な結晶とはよべぬ。真に純粋なスモーキークォーツの結晶は、その灰色の煙が幾重にも凝り固まったもので、闇のように黒く、どんな光も通さぬと言われておる。名を、モリオンと言う」
ロックは、真っ黒な水晶玉が、人の魂を、命を自由にあやつるところを想像した。すると、彼は何かおそろしい直感におそわれた。それに似た水晶を、どこかで見たことがあるような気がしたのだ……。
「あっ!」
ロックが小さくさけんだ。彼は、おそろしい考えにうちふるえながら、声をふりしぼるようにして、ガーネットに言った。
「ガーネット……、もしかして……、白水晶で見た、あれ……、摂政が、用意してた水晶玉って……」
ガーネットが大きく目を見開いた。それから左手をロックの方に突き出し、右手を自分のひたいに当てて、目をつぶりながら言った。
「ちょっと待って。そういえばあたし、あの悪だくみの場面を見てて、思ったことがあったわ。あいつが箱を持って来させて……、開けた時。箱の中の、品物そのものの色は分からないのに、中にしいてある布は、紫だ、ってちゃんと分かったの。その時はただ歯がゆく思っただけだったけど……」
「どういうこと?」
ロックがたずねた。ガーネットは目を開いて、ロックの顔を見すえ、言った。
「いい? あたしたち、暗くかげになってて水晶の色が分からない、って思いこんでた。透明なのか紫なのかピンクなのか、って。けど、同じように箱の中にある布の色は、見えたわけ。つまり、ね、水晶の色は最初から、見えてたんじゃない? 暗くて分からないんじゃなくて。……あんたの考えは、多分合ってる。あれは……、黒い水晶玉、モリオンなのよ」
ロックは言葉が出なかった。あの白水晶がうばわれた今となってはたしかめられないが、ガーネットの感じた印象ははっきりしている。ロックの直感も同じ理由だったのだろう。パイライト摂政は、命をあやつる危険な水晶玉を持っていたのだ。
ガーネットの父は、静かにつぶやいた。
「まさか、今や失われしモリオンを、ヒトが手にしようとは……」
ロックはふたたびあの光景を思い出してみた。あの時、摂政は高らかに笑っていた。今の推理が正しければ、彼は、そのおそろしい魔力を目の前にしながら、笑っていたということだ。どうしてそんなことができるのか、ロックには分からなかった。彼は、みけんにしわを寄せてつぶやいた。
「あれがモリオンだとするなら、パイライトは、その力で何をしようとしてるんだろう……。ばれるのをおそれて、ぼくらをつかまえようとしたくらいだから、悪事にちがいないだろうけど」
ガーネットがそれに答えた。
「魂を吸い取るんでしょ。政敵、つまり反対派の貴族とかだれかの。死にかけの人を助けようってのは、考えにくいし。早い話が、暗殺、ね」
「暗殺……。ばれないように邪魔者を死なせて、それで権力をもっと強くして、好き勝手やるわけか……。ひどい。なんてきたないんだ」
その時、いすに座っていたガーネットの母が、ゆっくりと顔を上げ、少年と少女に向かって言った。
「それだけでは、ないはずです……。ガーネットの記憶が正しければ、摂政は、『水晶を通して力を発揮する』と、言っていたそうですね……?」
「そう、よ」
ガーネットがまだ体調の悪そうな母に答え、それからロックの方を見て軽くうなづいた。彼女の両親には話してあるようだ。母親が続けた。
「ガーデンクォーツやローズクォーツは、二つのクォーツ、つまり白水晶があれば、はなれた相手をいやしたり、あやつったりできます。おそらく、モリオンでも……」
そう言ってガーネットの母は、その夫の方を見た。老ドワーフはだまってうなづいた。つまり、はなれた相手の命を、モリオンで吸い取ることができるのだ。ロックはたまらず口をはさんだ。
「はなれた相手を? それって、ひょっとして、ドワーフたち? ドワーフたちを攻撃するってこと?」
摂政はことあるごとにドワーフを敵あつかいしてきた。とうとう本気でドワーフをほろぼそうというだろうか。
しかし、ガーネットの母は静かに言った。
「ヒトの少年よ。私たちの心配には、およびません。あの男は、ドワーフという名前を利用しているに、すぎないのですよ。それに、白水晶はあくまで相手が見ていなければ、魔法をかけることはできませんから。……それよりも、心配すべきはあなたがた、ヒトのことです。私は、『あと数日で』と摂政が言っていたというのが、気になるのですが……」
ロックは日にちを頭に思いうかべた。水晶玉のあの光景は、ロックとガーネットが出会った日の、夕食の時刻だ。それから……。
「今日は新年の二日目よ。穴に入ったのが大みそか。それからあんたはほぼ二日寝てたって言ったでしょ?」
ガーネットが、ロックに助け舟を出した。自分は意識のないまま新年をむかえてしまったのか、とロックは少し残念に思ったが、すぐに今はどうでもいいことだと思い直して、ガーネットに聞いた。
「昨日の、一月一日は、何もなかった?」
「ええ、多分。都の様子はちょっと見てみたわ。お祭りしてるみたいだったけど」
彼女が答えた。実際に、都では一月一日を真ん中にして七日間、たいていの人が仕事を休み、前半の三日間は静かにすごして、後半の四日間はみんなが新年の祭りを楽しむのだ。
「一日に何もなかったのなら……、あとは四日目の、祭りがもり上がった最後とか……。あっ!」
ロックは自分の考えに、心臓をつかまれるような思いがした。すべてのなぞが、つながったのだ。彼は、ふるえながら言った。
「四日目の、祭りの最後に、摂政が、あいさつをする……。ほんとは王様がするらしいんだけど、まだ若いから、って。それで、そのあいさつは、みんなが見る。多分、国中の人間が……。みんながみんな、水晶玉を通して摂政を見るんだ……!」
ガーネットがさけんだ。
「なんてやつ! じゃああの摂政は、国中のヒトの魂をいっぺんに吸い取って、全部自分のものにするつもり? 信じられないわ。国民がいなくなったら自分が困るじゃないの!」
彼女の言う通りだ。町や畑で毎日働いている人びとがいなくなったら、貴族だけで生きてゆけるはずがない。
「いや……」
ガーネットの父が口を開いた。
「それが、そうとは限らぬのじゃ……。モリオンで、魂を何人分も吸い取れば、その者は、生けるものの道理をこえた存在になると言われておる。神か魔物のように、な。もはや食べることも休むことも必要としなくなり、天地をゆるがすようなおそろしき魔力を手にするのじゃ」
ガーネットはそれを聞いてくちびるをかみ、ロックはふるえた。ガーネットの父はさらに続けた。
「また、すべて吸いつくさずとも、悪をなすことはできる。魂を半分も吸い取れば、吸い取られた者は気力も感覚もなくなるという。ローズクォーツの魔法とは比べものにならぬ、永遠に術者の意のままに動く、あやつり人形となるのじゃ」
ロックは、これを聞いて、さらにおそろしくなった。老ドワーフの表現は、ロックが気を失ってから闇の中で感じた、あのむなしさを思い出させたからだ。
部屋は重苦しい沈黙で満たされた。心なしか、明かりさえ暗くなったように、ロックは感じた。パイライト摂政は、暗黒の水晶玉で、人びとの命をうばおうとしている。それは、もう間もなくなのだ。
「止めなきゃ……」
少年がベッドの上で、うつむいたままつぶやいた。ドワーフの親子らは、息を止めて彼を見た。ロックは早口になって、続けた。
「『すべてを飲みほす』ってのは、そういうことだったんだ。もし見当ちがいなら、それでいい。けどもしぼくらの予想が合ってるなら、そんなことぜったい、させられない。なんとかしないと……!」
ロックはそう言って、ベッドから足を下ろし、そばにあった自分のくつをはき始めた。間近にいたガーネットはそれを見下ろすようにして、声を荒らげて言った。
「あんた、本気なの? ついさっきまで意識もなかったのに! どうするつもり? 無茶よ!」
ロックは、くつをはき終え、ゆっくり立ち上がって、すぐ近くにあるガーネットの顔を見て、言った。
「体力だけは、自信あるから……。ぼく、城まで行って、摂政を止めるよ。モリオンを壊すか、それができないなら、見てる人たちの邪魔だけでも。……くやしいけど、証拠のあの水晶玉がなくちゃ、ここからだれかに話かけても、みんな信じてくれないと思うし……」
ガーネットは何か言おうと、口と手を動かしかけては止め、また動かしかけてから、言った。
「なぜなの? はっきり言うけどあんた、あそこで、ろくなあつかいじゃなかったんでしょ? ここにいればいいじゃない。だってあんたは……」
ガーネットはそこで口をつぐんだが、ロックには、彼女が何を言おうとしたのかが分かった気がした。
ロックにはおそらく、ドワーフの血が流れている。ドワーフの仲間だ、だから一緒にここにいろ、と。
ドワーフのことを知るにつれて、ロックは少しずつ、その考えを強めていた。自分も知らなかった水晶術の才能。それに、初めて見た男のドワーフ、つまりガーネットの父は、自分の祖父に、どことなく似ていた。おそらく祖父の家系に、ドワーフの血が混ざっているのだろう。
そして今、ロックの頭には、その祖父のことが思い出された。彼は少しうつむいて、小さな声で話し始めた。
「……小さいころ、近所で火事があったんだ……。けっこう火のいきおいが強くて、町の人がみんな出てって消火した。ぼくははなれた所で見てたんだけど、こわくなって、じいちゃんをよんだ。けど、じいちゃんはいなかった……。見回すと、じいちゃんは、だれよりも前に出て火に水をかけてたんだ。ぼくにはそれが意外で……」
ガーネットとその両親は静かに耳をかたむけていた。ロックは続けた。
「じいちゃんは、ふだん、町の人と、ほとんどかかわろうとしなかったから。だから後で、どうして手伝ったのか聞いてみたんだ。じいちゃんは、しばらくだまってから、言った……」
ロックは顔を上げた。
「やらなきゃならんと思ったからじゃ、って」
そう言って、少年は少し気まずそうな表情をしたが、その目は、あかがね色に澄んでいた。
ガーネットの父は大きく息をつき、その妻は目をぬぐったように見えた。そしてガーネットは、小さくふるえた後、固まったように動かなくなって、目だけ大きく開いてロックを見ていた。その目にはなみだがたまっていた。
彼女はやがて、ふし目がちになって、やや早口で言った。
「しかたないわ。ほんとにしかたないんだから……」
そして彼女は顔を上げた。
「あたしも行く。あんただけじゃ、そうよ、あんた一人じゃ、この山の外にだって出られないんだから!」
ガーネットは言い終わると、腕組みをして、そっぽを向いてしまった。ロックは言った。
「ごめん……。ありがとう」
ガーネットが怒っているのではないことは、ロックには分かっていた。が、あやまらずにはいられなかった。そして、言葉では言い表せないほどに感謝していた。
ガーネットの両親は、おたがいに体を寄せ合い、娘を見つめていた。
「ああ……、ガーネット……」
ガーネットの母が声をもらした。ガーネットの父はそれに対して、ため息まじりに言った。
「止めてもむだじゃよ、この娘は。まったく、おふくろにそっくりじゃ……。これ、ガーネット」
すでに身じたくのために部屋を出ようとしていたガーネットを、父親がよび止めた。
「お前たちだけでは、さすがに行かせられん。かと言って母さんは力を使いはたしておるし、わしは目が見えぬ。アルマンディンを連れていきなさい」
「お兄ちゃん? ……オリックの放牧に行ってるんじゃないの?」
ガーネットはいぶかしそうにたずねた。彼女には、成人した兄がいるとのことだった。父親が答えて言った。
「帰ってきたのじゃ。今、となりにおる」
「となりに!」
ガーネットがさけんだ。これにはロックも少しおどろいた。この部屋での今までのやりとりを聞いていたら、途中で姿を見せてもよさそうなものだ。ガーネットが父親に言った。
「一応、たのんでみる、わ」
ガーネットは部屋を出た。ロックは自分のしたくをしながら、となりの様子に聞き耳を立てた。
ガーネットが兄にぎこちなくあいさつをした後、かいつまんで事情を説明し、言った。
「でね、お父さんが言ったんだけど、もしよかったら、お兄ちゃんも一緒に来てくれると、あたしたちも、助かるんだけど……」
少し間を置いて、男の、低く太い声が答えた。
「……なぜそんなことをしなくちゃならない。おれは、お前がたおれたからもどって来いと、親父がうるさく言うから、わざわざ帰ってきたんだ」
「だから、そのあたしの命の恩人が、その、ヒトの子なんだってば。お母さんだって、ふらふらになるまでその子のめんどう見たのよ?」
ガーネットがいらいらしかけているのが、声の調子だけで分かった。が、相手のドワーフはかまわぬ様子で、答えた。
「それで、もう無事なんだろ? なら、それでいいじゃないか。そもそも、おれには関係ないことだ」
不穏な沈黙が少しの間続き、それから、出しぬけにガーネットの大声が聞こえた。
「ばか! お兄ちゃんみたいなドワーフが、ドワーフをだめにしたのよ!」
返事はなかった。すぐに一人分のかけ足の音と、それから家具をひっかき回すさわがしい音が聞こえてきた。そして、ふたたびガーネットが、マントとふくろを持って部屋の入り口に現れた。
「二人で行くわ。心配しないで、お父さんお母さん。あぶなくなったら引き返すから。ロック、いいわね? あぶなくなったらあんたも、魔法かけてでも帰らせるからね」
ロックはだまってうなづき、ガーネットの両親は目を閉じてため息をついた。ガーネットが続けた。
「じゃ、行くならもう行かなきゃ。時間がないわ。お祭りが終わるまで、あと二日ちょっと。来る時は三日近くかかってるんだから」
ロックは、そう言われて初めて時間のことに気がつき、手おくれかと思ってうろたえた。が、ガーネットはいつもの調子で、言った。
「ロック、ひょっとして考えてなかったの? ま、なんとかなるわ。ぎりぎり、ね。来る時は追手を気にして遠回りもしたし、気持ちがつかれたもの。……今は、進むだけだわ。さ、身じたくよ」
少年と少女は別の部屋で、食べ物などを最低限ふくろにつめこんだ。ロックは周りをうかがったが、ガーネットの兄は、もういなくなっていた。ロックはつぶやいた。
「ほんとに、お兄さんもいてくれたら、心強かったのにな……。あぁ、こんな時、水晶玉で未来が見られたら……」
ガーネットは、ふくろを腰と背中に身に付けながら、言った。
「言ったでしょ? 未来は見えない。今あるのは、今だけ。今できることをやらなくちゃ」
ロックもふくろを背中に身に付けると、それを少しゆすってから、言った。
「うん……。今できること、は……、このふくろのひもを、どうやって調節するのか、きみに教えてもらうこと、かな」
少年と少女は、笑った。それから二人で身じたくを完ぺきに整えると、彼らはマントを手に取り、同時に、いきおいよくはおった。
そうしてドワーフの家の玄関で(ロックには家の中と外のどうくつのちがいは分からなかったが)、二人はガーネットの両親にあいさつをした。
母親は、見送りの言葉の口調こそ静かだったが、最後まで二人を心配して、心を乱しているようだった。父親の老ドワーフはあまりしゃべらなかったが、最後に二人の肩に手を置いて、おごそかに、こう言った。
「大地の加護があらんことを」
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