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束の間の休日に本当にあった、出来事を話したいと思う。
営業という仕事柄、ほぼ毎日車で走りまわっている。
一日に、だいたい三百キロ前後になるだろう。まあ、俺の割り振りがド田舎ということもあって、ほとんど信号も民家もないような山道を三県にまたがって行ったり来たりすることが多い。
いつも行き来する道は一応、国道ということにはなっているが、片道百キロ以上の道程はほとんど山の中だと言っていい。
少し脇道に入って市街地まで行けばもう少し気の利いた店はあるのだろうが、道沿いということになると休憩できるような箇所は、コンビニが二軒、軽食が取れるような所が数軒程度だ。
道の駅は、近頃ようやく増えてきた。にしても、これまた三軒程度なんだが。
お盆休みはたったの四日しかない。
そんな中の一日、俺はいつもの三県越えの国道で車を走らせていた。
しかも、女友達をひとり誘って。
さすがにオフの時だから、もっと目新しい場所に行きたい気はあった。いつも山しか見ていないから、海岸線とかね。しかもそれなりにカワイイ連れもいるし。
なのに、どうしていつも営業で走り回る道に来たか、って?
高速道路がどこも混んでいる、とか、海辺には人が多いからとかそんな理由でここを走っているわけではない。
ちょっとした、訳があった。
助手席の奈津実はすでにあくび混じりだ。コンビニのシフトが今朝五時までだった、というから仕方がないんだが、それでもあまりにも山しか見えない道に、飽きがきているようだ。
「ねえ、あっちゃん、まだぁ?」
「あと二〇キロくらい、すぐ着くから」
「にじっきろぉぉ?」
「このペースだったら」俺はスピードを確認する。「一五分くらいだから」
「はいはい」
奈津実は正確に言えば、カノジョではない。幼稚園から中学までの同級生、ぶっちゃけ、幼馴染みの友人、というところで今回、無理を言ってついてきてもらったのだ。
長い間、疑問に思っていた『アレ』を確認するために。
営業で回る時、どうしても決まって休憩に立ち寄る場所が出来てくる。
俺の場合は、二軒のコンビニで一服。個人経営の蕎麦屋で昼食と一服。そして、なぜかいつもトイレ休憩に寄る道の駅――仮にA駅としておこう――できてから二年は経っていない、比較的新しい場所だ。
元々あったドライブインの場所を潰して、まるっきり新しい施設にしたようだ。おおまかには、土産物を扱う建物、寄り添うように持ち帰りが主になっている軽食の店、少し離して観光案内パンフを置いた休憩所とトイレとがついた建物の三つに分かれている。
付近は案外と標高がある。千メートルに少し欠けるくらいだろう。しかし、周りにはもっと大きな山があるようで、A駅から道路をはさんだ反対側は、うっそうとした杉林の山が覆いかぶさっている。
標高のせいなのか、地形のせいなのか、訪れるたびに霧がかっているということも一度や二度ではなかった。
駅の裏手にもそれなりの山が続いていて、なぜか敷地近くの道路沿いに古びた石碑まで立っていた。
石碑の近く、黒っぽい細かそうな土で覆われた地面の片隅に、ご丁寧に石のベンチもしつらえてあるのだが、多分誰も座ったことはないだろう。
ベンチはびっしりと深緑色の苔に覆われていて、通りかかるたびにちらりと目にするのだが、人影なぞ、見かけたことはなかったからだ。
問題は、A駅のトイレだった。
まず最初に困ったことに、俺はいつもこの近くで腹が痛くなる。よって、A駅のトイレ、しかも個室のかなりの愛用者だった。
次に困ったこと。
それこそ、今回、幼馴染以上恋人未満のナツについて来てもらった理由だった。
「で、何すればいいんだっけ?」
ナツは脳天気な口調で、あくびを挟みながらこう訊いてきた。
「とりあえず、トイレに入って……女子トイレってどうせ個室でしょ?」
「よく知ってるね、ヘンタイ」
「つうか……他に何があるんだよ」
「化粧コーナーとかもあるけどね」
「……とりあえず個室に入って」
「はいはい」
ナツは余裕の表情で、昼前に塗ったというネイルを眺めている。俺の方が緊張してきた。
「でさー、『アレ』出たらラインすればいいの?」
「できたら動画を撮ってほしい」
「映るかなー」
「……映らないと思うけど、万が一のためにさ」
「はいはい」
ナツのあくびが増えてきた頃、ようやくA駅の姿がみえてきた。
到着寸前、駅のある右側道路脇に目をやって、ナツが
「あ」
珍しく真顔で座席に起き上がる姿勢になった。
「何?」すでに右折のウィンカーを出していた俺が訊ねると
「……」長い沈黙の後、ナツがぽつりとつぶやいてまた座席に寄りかかった。
「やっぱ、あっちゃんの言う通りかもねー」
道の駅の温度表示は『29』とあったにもかかわらず、いっしゅん、二の腕に鳥肌がたった。
しかも、よくしたもので腹も痛くなってきた。
先にソフトクリーム食べたいなー、とつぶやくナツに、いいから後にして、いくらでもおごるから、と俺はせっついて、背中を押すようにトイレに誘導した。
本気で腹が痛い。
男子トイレに駈けこんで個室に入ってベルトをはずし、Gパンを下ろして座ったとたん、やっぱりいつもの大きなヤツに見舞われた。
これは想定内なので、俺はつつしんで腹が収まるのを待つ。
とたんに、ラインが来た。
『個室入ったよー、キレイなトイレじゃん?』
そりゃそうだ、まだできたばかりだからね。
俺は心の中で応え、ナツのトークには既読だけつけて、自身の欲求が収まるのをひたすら待つ。
座っていて、ようやく本題が気になり出した。
果たして、今日も『アレ』が出るのか。
『いつまで入っていればいいの?』質問がきたので仕方なく
『とりあえず、ノックされるまで』
そう答える。
男性用トイレは、他に誰もいないようだ。
駐車場は、お盆休みなのにかなり空いていたから、人は少ないのだろう。
人の多い少ないに関わらず、『アレ』は出ることがあるようだ。
実際、この駅に寄って何度か、トイレから悲鳴が聞こえてきたり、青い顔をして慌てて手出てくる人を見たこともあった。
俺も、実際経験した時には心臓が縮みあがった。しかも、一回や二回ではなかったのだ。
小さい頃、ばあちゃんに言われたことがあった。
「アンタは、呼びやすいから気を付けた方がいいでな」と。
ナツは、昔から霊感があった。
少なくとも、俺が全然感じていない場所でも
「何かいる」
だの
「見られてる」
とさらりと言って周囲を怖がらせたものだった。
今回、彼女にも実際見えているのか、そこを確認したかったのだ。
個室に入ってしばらくして、そろそろ腹もおさまってきたという頃。
かっ
軽く、ドアをこする音がした。俺は下着も上げない状態で、思わず身をこわばらせる。
とんとんとん
続いて、ノックの音が響いた。
なんだ、と肩の力を抜く。入口が開いた音は気付かなかったが、誰か入ってきたようだった。男性用の個室はひとつしかないので、ノックは当然のことだろう。
俺は尻を拭いて、レバーに手をかけた。
とんとんとんとん
ノックが止まない。俺は少しばかりむっとして、内側から軽くドアを叩いてみせた。
すぐ出るから待ってろよ、そんなつもりで軽くたたいたのだが、急にぞっとした。
とんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとんとん……
ノックの音が止まない、しかもますます速くなっていく。
とんとんとんとんとんとんとんとんととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととととと
急に、音が止まった。
ドアの外に、誰かいる。
急いでズボンを上げた、が、急にまた腹が痛くなってあわてて便座に座りなおした。
気配が去らない。
以前にも、似たようなことがあったのだ。
個室の外に、誰かがいる、気配がある。
そして。
どす、
ドアが揺れる。俺は便座に腰かけたまま後ずさりした。
どす、どす、
また急に音が止んで、ほっとしたのも束の間。
「ひぃ」
思わず、声が上がる。
ドアの上部、ふちに手がかかっている。白くて小さな手が。
続いてすぐ、ひょい、と頭の先がみえた。
黒く切りそろえた髪がふわりとなびき、手に力が入った様子がみえた。
「誰だ?」
声がふるえないようにするのが、精一杯だ。
今までに何度かあったのは、ドアの前の気配くらいだった。
しかし、こんなモノまで見たのは、初めてだ。
「誰だ?」
まだ、手がかかっていた。小さな手。
ぷくりと節ごとに膨らんで、小さな爪にみっちりと詰まっているのは、どうやら黒い土のようだった。
「だれだ??」
思わず大声になる。
急にラインが鳴って、文字通り飛び上がった。
短くナツから
『もう出る』
それだけの文面に急に震えが止まらなくなって、俺は痛い腹を無視して急いで紙を使い、下着とGパンを上げた。
それでも、完全に立ち上がることができなかった。少しでもドアから遠い場所に、少しでも小さな手から離れた場所に、居たかった。
小さな手にまた力が入ったようだ。また、黒い髪がふわりと踊るのが垣間見えて、くすくすと笑う声まで聴こえてきた。
ラインが来た。『出て、すぐに』
俺は中途半端に画面とドアの上とに目を泳がせていたが、思い切ってがん! とドアを蹴り飛ばした。
鍵がかかっていなかったかのように、ドアが外側にはじき飛んだ。
そして、
案の定、誰もいなかった。
ただ、ドアの外側には、明らかに黒い土の跡があった。
蛇が這ったような、所どころ消えそうな跡が床からドア上部のふちまで続いている。
俺は手も洗わずに外に飛び出した。
「あっちゃんさあ」
ソフトクリーム、もちろん俺のおごりのデラックスソフトを舐めながら、ナツが呆れたようにこう言った。
「あっちゃん、ホンキでダイベンしてたの? あの危機的状況で」
つい大人げなく俺は反論する。
「生理的欲求はどうしようもねーんだよ! ならお前はどうなんだよ、トイレ入って何もせず出てきたのか?」
「ああー」ナツは薄く笑った。
「対決時に、わざわざパンツ下ろして待ってるアホはいないっしょ?」
「……すみませんねぇ」
ふと思い出して訊ねる。「動画は?」
ナツはふん、と鼻を鳴らした。「何も、映らなかった」
その後に続けたことばに俺の背筋が凍る。
「……てことにしてよ。もう消しちゃったしね」
ナツの方にも、出たそうだ。
個室に入って間もなく、こちらはノックもなく、ドアの下に影がさし、いきなり、上部の縁を白く細い手が掴んだのだそうだ。
「石碑のとこと同じ、土がついてたねー。爪の中いっぱいにさ」
「……俺のもだよ。子どもの手だった」
「こっちは大人みたいだったね。でも気配だけみたら、すごい数だったよ。仕方ないからさー」
ナツは美味そうにコーンを齧りながら言った。
「お店のスタッフさん呼んでさ、『トイレの中、土がついてますよ』って教えたら」
「……つうか、その前に伝えることあるだろ?」
「でもさ、お店の人、ああ、分かりましたーってすぐモップ持って入っていったよ」
諦め顔だったらしい。
「つうかさ」
ナツは呆れたようにつぶやく。
「新しいタテモノってさぁ、何かと無視してるからね……方角とか、念とか、流れとか。昔からの言い伝えとかって、案外参考になるのにねー。いろいろと出るに決まってるっしょ」
お盆という時期も良くなかったようだ。
そして石碑は、いったいいつからどんな由来であそこにあるのか、石碑の場所に確認に行こうと思った俺をまた珍しく
「やめた方がいいよ」
マリンブルーのネイルの手は、思いのほか力が強かった。
ナツは真顔で言った。
「知らなくていいことも、あるって」
「……なのか? 今後怖い目に遭う奴らもいるんじゃないのか? だったらちゃんと」
「まあ、その時はその時で仕方ないじゃん?」
けろりとそう言い放ってから、ナツはまたこちらに目を据えた。
「それからさ……あっちゃんもかなり見えるみたいだし、今後ここに寄らない方がいいかもよ」
それから本当に、俺はあそこには一度も寄っていない。
どんなに腹が痛くなっても。
俺の行動範囲を知ってるヤツらには、だいたいピンときただろう。
詳しい場所を知りたい奴は、個別に連絡くれれば教えてもいい。
ただし、
近くの石碑には、絶対に近づくな。
(了)
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