女神から神器をもらった僕は彼女に告ることにした

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女神から神器をもらった僕は彼女に告ることにした

凪佐健翔、15歳。 僕は、今日告白することに決めた。 この苦しみ。 この熱。 のど、胃、心臓、どことも違う、胸元の不可知の内臓をわしづかみにされている感じ。 苦しくて息ができないようで、でもそれがひどく心地いい感じ。 味覚でたとえれば甘味。 医学でたとえれば疼痛。 それは一人の女性を思うときに最高潮に高まる。 これを恋と言うのだ。 僕の初恋だ!  僕は今恋をしているんだーーーーー!! 1   我ながらどうかしている。 気持ちが溢れて吠えてしまった。 この浮かれように一番近いのは、風邪を引いて熱が39度まで上がったときだ。 僕は今神社に参拝に来ている。 木佐間神社。 うちから10分ほどの近所の神社。 最近縁結びの神様としてインターネットで話題になり、先日とうとうテレビ局まで取材に来ていた。 僕が子供のころはただの地味な神社だったような気がするが、最近は縁結び商法でとても儲けているようだ。 おみくじがピンク色になり、お守りにキャラクターの刺繍が入り、神社の名前入りのキャンディーなどのスイーツが出来、巫女さんが皆きれいな若い女性になった。   とにかくうちから一番近い神社が縁結びの神様というのは、今の僕にぴったりだ。 この告白の成功は約束されていと思わざるを得ない。 参拝客が来る前に僕の大事なお祈りを済ませるため、登校より随分早くうちを自転車で出た。 着いた時には境内には朝もやがうっすらかかっていて、まだ明け方の湿気が残っているようだ。 よかった誰もいない。 一礼して鳥居をくぐる。 まっすぐ正面に拝殿。 大きな賽銭箱が目に入る。 そこで初めて誰もいない、は間違いだったことに気付いた。 賽銭箱の前で横たわっている人がいる。 肩肘を立て、薄い布をかぶっただけの姿。 床に這う長い黒髪。 見たこともな豊かな稜線を描く肩、胸、腰、脚。 それらが規則的に上下する。 その寝姿はさながら女神のようだった。 これは困った。 眠っている人を起こすわけにはかない。 でも、僕の初めての告白祈願を邪魔されるわけにもいかない。 しかし、その薄物は薄すぎて、薄すぎて。 僕が今まで見たくても見ることが出来なかったものが、ほとんどすべてが見えてしまっていた! 初恋よ、さようなら! いや、そんな訳ないだろ。 そう口走らせるに十分な魅力を彼女と彼女の裸身は湛えていたが、僕の彼女になるのはほかの人なのだ。 僕はほとんど裸の女性に、失礼にならない程度に距離を置いて、鳥居のところから声をかけた。 「すみませーん」 彼女はピクリとした。 「今から参拝したいんで、服着てもらっていいですかー?!」 幸いなことにその言葉は聞き届けられたようで、肩肘で支えられていた彼女の頭はゆっくりと持ち上がり、だるそうに立ち上がってふらふらと本殿の奥に消えていった。 「神社の人なのかな」 ともあれ、これでやっと神社の境内は無人になった。 僕は気を取り直して、手水舎で手と口をゆすぎ参道を進んだ。 気合いを入れてがらんがらんと鈴を鳴らし、二拝二柏手。 丹田にありったけの力を込め祈った。 「ふーん。お前わたしが見えるのか」 急に生あたたかく、吐き気のするような悪臭の混じった息が耳元にかかった。 「うわあっ」 僕はお参りの途中にも関わらず、後ずさりし参道の上にしりもちをついた。 見上げた先にいるのは、先程本殿に消えていった女性だった。 大柄で目も鼻も口もくっきりとした華やかな美女。 先程の薄物の上から貫頭衣のような服を着ていて目のやり場に困ることもなかったから、余計に顔の造作に目を奪われた。 「見えるのだな」 「見えますけど……、見えちゃいけないんですか? 」 「見えるはずがないからな、今の人間にわたしは。いや、以前は同じように見えていたのだが、我らと人は時とともに隔たっていったよ。お前、名はなんという?」 「……凪佐健翔」 「ナギサケント? 妙な名だな」 「いえ、ナギサ・ケントです」 「ケントか。わたしの姿が見える人間は久しぶりだ。まあ、立て」 あなたに転ばされたんですけど。 とは、かろうじて口に出さずに立ち上がった。 制服が砂ぼこりで真っ白だ。 「僕、お参りの途中だったんですけど」 「おお、そうらしいな。祈れ祈れ。わたしが聞いてやるぞ」 「聞いてやるって、あなた、誰なんですか? 」 「わたしか? わたしを知らないのか、わたしは……」 せっかく美女の自己紹介を聞けると思った矢先、本殿の奥から小さくて桃のような少女が転がるように駆けてきた。 「おねーさまーあー」 長い黒髪に、生まれてから一度も日に焼けたことのないような真っ白な肌の美少女。 「サクヤか。起きたのか」 「まだ眠いですのに、お姉さまがいらっしゃらないので起きてきましたのー」 もぎたての桃の実のような少女なのに、一言しゃべるごとに先の美女よりもっと強烈な悪臭が口から漂う。 「二日酔いですうー」 「しょうがないなあ。水でも飲んでこい。ここで待っててやるから。あ、ついでにわたしのも汲んできてくれ」 「はーーーい」 神社というロケーションに全くそぐわない、このやりとりの間、僕は何もかもが大きく豊かでかつ細くあるべきところはぎゅっと実の詰まった美女と、ふわふわとしたうぶ毛の生えた桃のような美少女が誰なのか、なんとなくわかっていた。 しかし僕は、彼女がこの神社に祀られている神様なのか、それとも神様が飲みすぎて二日酔いになることがあるのか、いったとどちらを先に質問すべきなのか、不覚にも悩んでしまっていた。 サクヤと呼ばれた女神が奥に戻ったので、話も元に戻った。 「さて、わたしの名だったかな」 「すみません、わかりました」 僕は右手を上げて話を簡略化した。 彼女はイワナガヒメ。 さっきの二日酔い美少女コノハナサクヤヒメの姉。 ここ木佐間神社はコノハナサクヤヒメを祀り、縁結びと安産の神社として昔からこの土地にあったのだ。 「ふん。知っていたか」 「近所ですから。でも妹さんの神社ですよね。なんであなたが」 「よい酒が奉納されたから、遊びに来いと呼ばれたのだ。で、二人ともこのざまだ」 イワナガヒメは可愛らしく見せようと舌をぺろりと出したが、そこから出たのは胃の中のすべてが咽喉の奥の門を割って外に出たようなすさまじい二日酔いの呼気だった。 これならヤマタノオロチも一撃で倒せるのじゃないか。 「で、お前はなにを祈りにきたのだ」 ようやく本題に戻った。 僕は目の前の美女が本当に女神かどうかいまだに疑わしく思っていたが、確認するよりまずは神社に来た目的を遂行することにした。 「僕には好きな人がいて、今日その人に告白しようと思ってるんです。で、告白が成功するようにお参りにきたんです」 女神はもっともらしく、うなづいた。 「なーるほど。目的は明確なようだ。だいたい神社に参るやつは今年も良い年になりますようにとか幸せな一年になりますようにとか、漠然としすぎでよくわからん」 「具体的なら叶えてくれるんですか」 「個人的な願いなど、いちいち叶える暇などないに決まっているだろう」 だと、思った。 「では率直に聞きますが」 「無理だ」 「はあ? 」 「告白が成功するかどうか聞きたいのだろう。本来わたしのような力を持つ者は人に言ってはいけないのだが、二日酔いで面倒くさいのではっきり言ってやる。お前は、誰かはよくわからんが、その女に告白しても振られるだけだ」 そう言って薄絹の袖をひらひらと振った。 まさかの縁結び神社でダメ出し。 「ぼっ、僕も彼女のことの知らないのにそんなこと言えるんですかっ」 「お前は成功するとでも思っているのか」 「僕は彼女のことが大好きです! 」 「そりゃ、そうだろう。で、その女の方はどうだ」 僕は言葉を失った。 彼女のことは何度も想像してきたけれど、いつも自分の妄想で終わってしまって、実のところ本当の姿はつかめない。 「その女はお前のことを知っているのか」 「どっ、おっ、同じクラスだから、知ってる、はず」 「ではその女は、お前の何を知っている? 」 なんだって? 彼女は僕の何を知っているかって?  ちょっと変わった「凪佐」という苗字とか、中間テストでは学年総合22位の成績だとか、クラスの身長は後ろから5番目だとか、体育会の100M競争では決勝の6位だったとか…… と、数え上げている横ではイワナガヒメはいびきをかいて寝ていた。 「ちょっと、寝ないでください。こっちは本気なんですよ」 「ああ、ああ、すまんすまん。聞いた、聞いていたよ、少年。ようするにその女の記憶に残るほどの男ではないということだな」 記憶に残るほどの男ではない。 記憶に残らない。 記憶に残ってすらいない。 うすうす感づいていたことだが、他人から聞くと強烈な衝撃。 僕はよろけてもう一度しりもちをつきそうになった。 そうだ。 彼女は僕のことなんて知らないのだ。 2 結局このことが僕の決心を根こそぎ奪い、本日の告白はなしになった。 僕の香しい初恋を、胃の中で酸化した酒の匂いがすべて消しさってしまった。 とても告白できる心持ではない。 参拝客がぼちぼちやってきたので、イワナガヒメにサヨナラを言うことも、サクヤヒメによろしくと伝えてもらうことも忘れたまま、僕はぼうぜんとして神社を後にした。 自転車をだらだらとこぎながら、僕は先程の謎の女神たちとの出会いを考えていた。 正直言って彼女たちが本当に有名な神話に出てくる女神なのかどうかはこの際どうでもいい。 妙な古代日本系女神コスプレの女性、というだけで十分だ。 問題は「彼女は僕のことを知らない」ということだ。 これは告白するという行為に舞い上がっていた僕の重大な見落しだった。 いや、今まで僕は彼女になんとか覚えてもらおうと努力はしていた。 まず朝はできるだけ毎朝彼女の席のそばに寄って「おはよう」と挨拶をする。 声が小さいから聞こえているかどうかわからないが。 それからプリント配布のときは積極的にその役目を買って出て、彼女に渡すときはできるだけ彼女とアイコンタクトを取りながら手渡すことを心掛ける。 もちろん「どうぞ」とやさしく一言つけくわえることを忘れずに。 もっとも彼女は人見知りなので、その視線をとらえることは5回に1回もなかったが。 それからそれから。 思い出すほどに、それらは僕の気持ちが彼女に一切伝わっていないことの証明になるようだった。 彼女。 三森朱珠(みもり しゅしゅ)。 その名の通り可愛らしい人。 控えめに結んだ黒く長い髪。 おもちのようにふんわりした頬。 古風な顔に似合わないモデルのようにすらりと長い手足。 胸元がすらりとしているのも僕の好みだ。 そうだ、僕の好みだ。 それは三中第2学年の中でも一番と言われる愛らしい姿だ。 でも彼女はその人見知りのせいで、いつも一緒にいる女子の友人たちの後ろに隠れている。 ついたあだ名が「御簾の中の姫君」 古典の授業中に平安時代の女性の説明を先生が行ったときに、クラスの誰かが言い出した。 姫君はもちろん三森さん。 御簾はいつも一緒にいる数名の女子という訳だ。 学校中の男子の注目を集めながら、いまだに彼氏ができたという話を聞かないのは、その女子の殻のせいだ。 自分たちがモテないから三森朱珠にも彼氏を作らせないように妨害しているのだ。 まあ、だから僕のようなものにも「告白しよう」と夢を見せてくれるのだが。 打ちのめされたまま、ぼんやりと昇降口で靴を履きかえていると、同じタイミングで三森さんも上履きに履き替えていた。 「お、おはよう」 僕を知ってほしい、そういう思いをこめて挨拶をした。 でもいつもの通り声が小さすぎてか掠れすぎている。 きっと彼女の耳には届いていない。 すぐに女子生徒の元気のいい「おはよう、朱珠」にかき消された。 彼女は僕を知らない。 それどころか、彼女に僕は見えてすらいない。 いないのと同じだ。 これじゃあ、告白なんて絶対成功しない。 3 夕方、帰宅時にもう一度木佐間神社へ寄った。 今朝のことを確認したい。 あの女神たちにまた会えるのか。 会えるのなら、どうやったら告白が成功するか聞きたかったからだ。 夕方だというのに、まだ参拝客がちらほらいる。 観光客の女性から近所のおばあちゃんまで。 その中に今朝の薄絹のままで、それどころか腰の帯までとった姿で女性が立っていた。 イワナガヒメだ。 彼女は僕に気付いたようで、にっこり笑って袖を振った。 同時に下腹部も足の付け根も丸見えになった。 僕は小さく「ぎゃっ」と叫んで鳥居から下がった。 するとその破廉恥な姿は見えなくなった。 不思議に思って、もう一度鳥居をくぐったら先程のほぼ全裸の姿のイワナガヒメが現れた。 もう一歩後ろへ。 消えた。 一歩前へ。 現れた。 不思議だ。 他の参拝客は変わらず境内の中に見えているのに、イワナガヒメだけが点いたり消えたりしている。 そしてその人たちは自分のすぐ横に全裸の女性が立っているなど考えもしないように神社をうろうろしている。 これはどうやら本当に自分だけにしか見えいないようだ。 でもどうして。 再度鳥居をくぐってイワナガヒメを見た。 今度はサクヤヒメが近くにいて例の貫頭衣を着るように促している。 イワナガヒメはいやいや貫頭衣に首を通した。 それから黙ったまま、二人は本殿の裏に手招きをした。 僕もまわりの人に変に思われないように黙ってついて行った。 木佐間神社の裏手に行くのは初めてだった。 本殿の脇を通り、ケヤキだかクスノキだかの木立を抜けて真裏へ出た。 そこには大きなかまくらのような岩があり、入り口はしめ縄で守られていた。 「これ、なんですか。もしかして天岩戸」 アマテラス伝説の有名なくだりが頭をよぎった。 スサノオに腹をたってたアマテラスが岩にこもって出てこなくなったため、天から日がささなくなった。 困った神様達はアメノウズメに踊りを踊らせ、アマテラスを再び岩から出した。 あれ、天の岩戸って九州に神社があったんじゃなかったっけ。 「うむ、よく知っているな。その通り。ここはあの岩戸とはまったく関係ない」 「なんだよそれ」 その説明はサクヤヒメがしてくれた。 「ここは200年くらい前に、ある女性が夫の浮気に怒って相手の女性を呪いながら岩戸に籠って火を放って死んだのだそうです。わたしも産屋に火を放って子を産みましたので、どうもそのことと岩戸のお話が混ざってしまって、今では神社の施設に一部になってしまっているようです。この岩戸はそういうところではないんですけどね」 信仰というよりは呪いの場ということか。 「まあ、ここまで人はめったに来ることはない。そのほうがお前も話しやすかろう。さ、サクヤ。酒を持って来い、肴が来たのだから飲むぞ」 「はーいー」 楽しそうにサクヤヒメは走って行った。 しばらくして朱塗りの盆に酒肴を一揃い乗せて、サクヤヒメが戻ってきた。神様というと白い陶器の酒器を想像するが、二人が使っていたのは重そうなガラスのグラスだった。 「これか、美しいだろう。バカラというらしい。最近のお気に入りだ」 「わたしはヴェネチアグラスが好きです。日に透かしているとお酒の味も変わっていくようで」 ええと、二人は日本の女神だよな。 「ナギサケントは酒はどうだ」 「僕は未成年ですから」 「なんだつまらん。しょうがない、水でも飲んでおけ」 サクヤヒメに注がれた水は冷たくて、なぜかすごくおいしく感じた。 「なんか甘いですね」 「手水舎のお水です。ただの水道水ですよ」 はあ、そうですか。 なんかどうでもよくなってきた。 「さて、酒の肴。例の女とはどうだ」 酒の肴とは僕のことらしい。 どうって、今朝あなたが記憶に残るほどの男ではないと言ったばかりじゃないですか。 「延期です。まず、三森さんに僕のことを知ってもらわないと」 イワナガヒメはあぐらをかいて、グラスの中身をぐいと飲み干した。 「ふん、当たり前だ。よく知らない男に思いを告げられても女は困るだけだ。だいたいなぜそんな状態で告白しようと思い至ったのかそこが理解出来ん」 「それは、自分の思いがどうしようもなくなったから……」 三森さんへの気持ちが自分の胸のキャパシティーを超えてしまって、目から口から溢れてしまいようにしまいそうになったから。苦しくて爆発しそうになったから。 「つまりお前は、その女に好きだと言って自分の気をやってしまいたかったのだな」 「気をやるとはどういうことですか? お姉さま」 ベネチアグラスを口につけたサクヤヒメが問いかけた。 「気をやるとは、つまりオーガズムのことだ。この男は自分の好きな女に好きと打ち明けることでオーガズムを得ようとしたのさ」 はあーーーー?? 「それともナギサケントは、女の前でオナニーをする趣味でもあるのか?」 これは自分の初恋へのとんでもない侮辱。 三森さんへの侮辱。 でも怒りよりなぜか落胆の方が大きかった。 それは僕自身に対する落胆。 僕はコップを地面に置いて下を向いた。 「どうした、ケント」 「そうかも、しれません」 「それは自分が変態だと認めるのか」 「そうじゃないです。でも彼女は僕を知らないし、僕も彼女を知らない。まずは僕のことを知ってもらわないといけないと改めて思っただけです。それから僕は変態じゃない」 僕の初恋はいつの間にか彼女の存在を無視していたのだ。 確かにそんなの恋じゃない。 そんな僕を見てイワナガヒメはニヤニヤして聞いた。 「ふうん。ところでお前をそれほど変態にさせる女はいったいどんな女なのだ」 僕はカバンからスマートフォンを取り出して、とっておきの一枚を表示させた。 「この写真の左から2番目が三森さんです」 中学の修学旅行時の写真を知り合いのつてを頼って頼って手に入れた逸品だ。 「なんだか小さいですねえ」 「これじゃあよくわからんなあ」 実際その写真では彼女の顔は5ミリ程度の大きさだ。 「でも、僕にはちゃんときれいに見えるんです!」 「お前、やっぱり変態だな」 「なんでですか!!」 「まあまあ。でもきれいな人だというのはわかりますよ」 サクヤヒメがなぐさめる。 これ以上、二人のぺースに乗せられていてもしょうがない。 僕のお願いを聞いてもらおう。 「で、お二人に相談なのですが、どうやったら三森さんに好きになってもらって付き合えるようになるのでしょう」 「そうだなあ、わたしらの時代とは状況が違いすぎるからなあ」 女神でしょ。 自分の体験からアドバイスしなくていいから。 「そうですねえ、わたしもニニギさまとは一度お会いしただけで結婚が決まったのでした」 「そうだったなあ、わたしにいたってはあの軟弱ものに初めてあったのは父に結婚相手として引き合わされた時だったしな」 イワナガヒメは少し困ったような顔をした。 おや、古事記でのここ辺りののエピソードってどうだったっけ。 「まあ、あれだ。なんとか顔と名前を覚えてもらえ。話はそれからだ」 「それはわかってるんですってば。どうやって顔と名前を覚えてもらえるかなんですよ。教えてほしいのは」 イワナガヒメは困った顔のままグラスをぐいと干した。 サクヤヒメがお代わりを注ぐ。 「ケント」 「はい」 真面目な顔。 初めて見た。 夕日を背にして、とても美しい。 「3日後だ。お前の学校の裏庭へ行け。時間は16時頃だ」 やけに具体的だ。 これは待ちに待った女神様としての特別な力による予言なのか。 僕を助けてくれるのか。 「そそそその時間に裏庭に行ったら、ななななにが起こるんですか」 興奮して口がまわらない。 「行けばわかる。行けばな」 「ケントさん、気を付けて」 「は、はい」 このとき僕はすっかり舞い上がっていて、サクヤヒメとイワナガヒメが妙に神妙な顔をしてこちらを見ていることには全く気付かなかった。 もっとも気付いたところで、3日後裏庭へ行くことを止めたりはしなかっただろうが。 4 3日後の金曜日。 とうとうやってきた。 冷静を保つため、ここまでの話をまとめることにする。 木佐間神社で僕にしか見えない女神さまに出会って、女神さまに初恋の成就を願い、その女神さまから今日の16時の裏庭へ行けと言われた。 以上。 まとめると短いものだ。 過度の期待は禁物だが、同時に過度の期待をするなというのも無理な話だ。 しかも女神は丁寧にお札一枚くれた。 これは僕の願いをかなえるなんらかの手助けと考えなければ、僕はただの夢幻を見ていただけということになる。 今は数学のノートの一番後ろに大事にはさんでスクールバッグに入れてある。 問題は16時、裏庭。 ここに三森さんがやってくる。 さて、僕はどうしたらいいんだ? イワナガヒメはそこまで教えてくれなかったし、僕もそこまで聞かなかった。 聞くべきだったが興奮しすぎていた。 もし、三森さんが本当に裏庭へやってきたとしても、高確率で友達が周りを取り囲んでいるだろう。 そこに声をかけるのなんてとてもできない。 気付いてもらうために物を落とす? 転んでみる? どっちにしても取り巻きの方が先に気付いてしまうだろう。 もしももしも、三森さんが一人で来たとしたら、なんて声をかけよう。 まずは名前から「三森さん」それから「いい天気だね」 だめだ、近所のおばちゃんみたいだ。 「この間のテストどうだった」 そんなこと言えるほど親しくない。 「昨日なにしてた」「昨日のテレビなに見てた」 だめだだめだ。 僕はなんてつまらない会話しかできないやつなんだ。 なんの策も思いつかずに呆然と裏庭へ続く南校舎の非常口に立っていると、なんと向こうから三森さんが豊かな黒髪を揺らしながら歩いてきた。 手に持っているのは大きな園芸用のじょうろ。 そうか、三森さんは環境委員だ。 裏庭には花壇に水をやりに来たのだ。 これならなんとか会話になりそうだ。 重そうだね、手伝おうか、とか言っちゃって…… 次の瞬間、三森さんの背中に向かって大きなものが飛んできたのが見えた。 するどい目をしていて二枚の翼があり大きく羽ばたいている。 異様な白い影。 三森さんは気付いていないようだった。 強い風が吹いたくらいにしか感じていない。 頭上を見渡して「?」な顔をしている。 影は旋回してもう一度接近してくる。 今度はもっと地面に近いところからまっすぐ彼女に近づいてくる。 「あぶない!」 たぶんこいつは女神と同様、僕にしか見えないようなものなんだろう。 でもこのまま放っておいて三森さんが傷つきでもしたら大変だ。 僕はとっさに影の進行方向に向かって三森さんの盾になるように体を入れた。 「痛!」 影が通り過ぎる瞬間、頬に激痛が走った。 くちばしのようなものがかすったらしい。 正面から見たところ相手はカモメのような鳥で、裏庭の幅を覆うほどの巨大さだ。 気持ちの悪い黄色い目がすさまじい勢いで飛び去っていく。 「だ、大丈夫? 」 僕は三森さんを振り返った。 案の定彼女は怪訝そうな顔で僕を見ていた。 「な、なんなの? 」 「ごめん。ちょっとこれには訳があって……」 「あ、血が出てる……」 頬の血に気付いた彼女の顔は少し緩んで心配顔になった。 なんてやさしい人だ。 「大丈夫、これくらい……ぅぶっ」 またしても襲撃をくらった。 今度は鳥の羽が僕の胸をかすった。 それだけでもすごい重圧だ。 僕と三森さんは後ろにふっとばされ、砂地に投げ出された。 「痛い! なんなのよ、もう! 」 僕じゃないってば、と弁明したいがそれどころじゃない。 弁明は彼女を守ってからだ。 もうすぐ次の襲撃がくる。 「ごめん、三森さん。後で説明するからしばらくそのままでいてくれないかな」 「このままって、あ、後ろ……」 空気の猛烈な圧迫感。 カモメに似た鳥は高速で空から僕らに向けて急降下してくる。 今まではきっと間合いを計っていただけ。 次がヤツの本気の攻撃だ。 イワナガヒメ。 あのお札は僕と三森さんを結びつけるためのものじゃなかったんですね。 こいつが襲ってくるのをわかって、そのために渡してくれたんだ。 ちょっとでも喜んだ僕がばかだった。 いや、そんなことどうでもいい。 今、三森さんを助けられるなら。 巨大な鳥はまっすぐこちらへ向かってくる。 槍のようなくちばし。 まがまがしい黄色い目。 僕は背中で三森さんを隠すように立って、スクールバッグを両手で持ち上げた。 どん、と両腕に重い物が落ちてきたような衝撃。 衝突の一瞬目をつぶっていたのを、おそるおそる開けてみる。 僕のスクバの向こうで鳥が震えている。 しびれたようにぶるぶるとなり、次の瞬間水で流したように消え去った。 「消えた……」 僕は呆然と立ちすくんだ。今のはいったいなんだったのか。 「あの、凪佐くん」 凪佐くん。 三森さんが僕の名前を呼んでいる。 「はい、はい、三森さん。凪佐です。大丈夫ですか? 」 地面にへたりこんでいる三森さん。 こんなときに申し訳ないが、ものすごく可愛らしい。 「大丈夫。それより今の、何? 」 「今の、ということは見えたの? あれ」 「大きい鳥みたいな、怪獣? よくわからなかったけど」 もちろん僕もわからない。 帰りにイワナガヒメに聞かなきゃ。 「僕もまだよくわからないんだ」 「そう。とにかく、ありがとう。凪佐くん、助けてくれたんだよね」 今日2度目の凪佐くん。 「いや、三森さんが無事でよかった」 「凪佐くんは? 大丈夫? 頬とスクバ」 スクバ? 僕は自分が持っているスクールバッグを確認した。 「あーーーー! 」 スクールバッグには鳥のくちばしに開けられた大きな穴が開き、それは数学のノートまで達し、お札のところで止まっていた。 「やぶれちゃったね」 「まあ、買い替えるよ。うん」 結構大事に使っていたのに。 まあ、これで三森さんを救えて、名前を覚えてもらったのだから安いものだ。 そのあと、三森さんの水やりを手伝い、友達と合流するまで見送った。 帰り際、彼女は僕と目を合わせて「バイバイ」と言ってくれた。 御簾の向こうから小さく振られる手。 今日僕は死にそうな目にあっていたのだが、そんなことはどうでもよくなるほどの幸せ。 天にも上るとはこのことだ。 僕は自転車の上でスキップしそうな勢いで、天の代わりに木佐間神社まで走った。 5 「連れてきていないだとーーー?! 」 鳥居で待ち構えていたらしいイワナガヒメの第一声がこれだ。いつもよりきれいに貫頭衣を着ているのはいいが、二日酔いの悪臭はいつも通りだ。 「連れてきてないって、誰をですか」 僕は目の前を扇ぐようにしながらきいた。 「お前が言っていたあの娘に決まっているだろうが。今日奴が襲ってきただろう。こうやって意気揚々と自転車をこいでお前がやってくるということは、無事に撃退できたのだろう。なのにどうして当の娘と一緒にこないのだ!」 ああ、そうか。あの後神社に誘ってもう少し2人の時間を作ればもっと仲良くなれたのかも。 「でも友達が向かえに来てたし、あんなものに襲われた後だから彼女も早く家に帰った方がいいと思って」 イワナガヒメは脱力した様子で無言の手招きをし、境内の裏へ行った。そこではサクヤヒメと酒肴の用意がしてあった。 「ケントさん。おつかれさまでした」 サクヤヒメからきれいな水の入ったグラスを手渡された。グラスなのになぜかメモリがついていて、どこかで見たことがあると思ったら、理科室によく置いてある実験用のメートルグラスだった。 「いただきます」 水道水だと言われても、やっぱりサクヤヒメの入れてくれた水はどこかほんのりあまくておいしい。 「だからあの娘をだな」 「ストップ。イワナガヒメ。先に僕に質問させてください。今日のあれはいったいなんなんですか。あなた達は当然知ってて僕をあそこに行かせたんですよね」 僕の剣幕にイワナガヒメとサクヤヒメは顔を見交わした。どことなくバツが悪いようだ。 「頬に傷がついたし、スクバも、見てください。穴開いちゃったんですよ。かなりマジで被害にあってるんですけど、説明はないんですか」 イワナガヒメはグラスの中身を空けながら言った。 「すまなかったよ。さきに言ってお前が奴に対峙することはできそうもないと思ってな」 言い返そうと思って息を吸ったが、吐く息は声にならなかった。 もし先に教えられていたら。 巨大な鳥型の化け物が三森さんを襲って来るからお前はこのお札一枚で撃退しろと言われていたら。 僕はあの場所に行くことすら出来なかったかもしれない。 僕は今まで三森さんに話しかけることもできないような臆病な男だったのだから。 「わかりました。言わなかったことに関しては納得します。だけど……」 次に例の巨鳥のことを聞こうとしたとき、イワナガヒメの手が頬に触れた。 「怪我を負わせたな。すまない」 あたたかい手のひら。 傷の線が一瞬痛くなって熱くなって、かゆくなって。 「これで治った」 手で触れてみると、さっきまであった血の塊がなくなっていた。 イワナガヒメの慈愛の掌。 「あ、ありがとうございます」 そうか、彼女は女神だった。 酒臭いけど。 「さて、もう一つだったな。奴が何者か」 サクヤヒメが注いだ酒をまた一口で飲み干す。 「お前にはどんな風に見えた」 「どんなって、ものすごく大きい鳥に見えました。目が黄色くてすごく怖くて、羽は白いような黒いような。でも実態がある感じじゃなかった。確かにくちばしや腹が当たったところは痛いんだけど、突風みたいな空気の圧力が襲ってきた感じだった」 「ふむ。人間にはまだそう感じるのだな。あれは本来人の代には現れないものだ。わたし達は幻獣などと適当に呼んでいるが、地球の外の世界からやってきて適当に地球を餌場にし、またどこかに去っていく。まあ、今までは人には害のないものだったよ」 人の代、幻獣、地球を餌場。 ということは。 「SFですか」 「そういうことばで理解できるのならそれでもよい。さあ、ここまでで質問は」 「はいはい、先生」 「どうぞ」 「まず人の代ってどういうことですか? 」 「人の代というのは、今お前が生きている場所のことだ。神の代はわたし達の世界だな。本来このふたつは行き来もできないし、まったく違う……えーと、この間ニニギがなんと言ってたかな」 横に座ってにニコニコしながら静かに酒を飲んでいたサクヤヒメは答えた。 「レイヤーと」 「そうそう、レイヤーだ。違うレイヤーで、幻獣どもは神の代のレイヤーのものたちだった。だけどどうもここ最近人の代に姿を現すようになってきている」 「どうしてですか」 「ニニギによると、幻獣たちが人を餌と認知したからではないか、と。神の代を餌場にするより人の代の方がエネルギー効率が良いと思い、そのありようを変化させたのではないかと言っている。高天原もおおむねその意見に同意している」 神の世界の化け物が人の代に攻めてきているということか。それは人の代の脅威ではないのか! 「まあ、そう言えるだろうな 」 なんか、緊張感のないお言葉。 そういえばイワナガヒメもかわいらしいサクヤヒメも頬も目の周りも赤く染めて楽しそうだ。 「いや、あの、幻獣が来るって人間界の危機でははないんですか?」 「人間界の危機? そんなもの神は知らんわ」 イワナガヒメは豪快に笑い飛ばした。 ああ、そうだった。彼女らは僕らとは違う世界の人なのだ。 「まあ、人の子よ。絶望するな。我らはもはや鳥居の外にも出られぬ古い神で、人にこの代を明け渡してもう長いこと経つ。だから、本来は幻獣退治もお前たちで勝手にしろ、と言いたいところだが」 「そんなあ」 「それもあまりに無責任だろうということで、わたしとサクヤがこの地にやってきたのだ。酒を飲むついでだがな」 そういえば古事記や日本書紀には化け物的な登場キャラがいたような。たしか…… 「さあさ、ケントさん。おひとつ」 サクヤヒメは透明の瓶からグラスに水を注ぎいれた。 さっきよりもっと甘くていい香りがする。 「これ、お酒じゃないですよね」 「お水ですよ」 頬を桃色に染めた美少女はにっこりわらった。 6 3日後だ。とイワナガヒメは言いグラスを掲げた。 三森さんが襲われる日を正確にいい当てたのだから、次の襲撃の予告に違いない。あと3日。 「それまで僕はなにかできないんですか。三森さんを助けるために。今日みたいにお札とかもらえないんですか」 「ない。3日後を待て」 イワナガヒメはそれだけ言って、本格的に酒を飲みだした。 「大丈夫ですよ。お疲れでしょう。本日はお帰りください」 サクヤヒメも大きいグラスに持ち替えていた。  一応、うちに帰ってからインターネットで神話の時代の化け物について調べてみたが、あいつらを倒したのはみんな神様だ。 そんなとんでもない化け物が今度は人間の世界に降りてきたとして、いったい僕一人になにができるんだろう。 今日大丈夫だったように、3日後もイワナガヒメとサクヤヒメの言うことを信じてその瞬間が来るのを待つしかないのか。 せめて三森さんに伝えるとか。 そういえばあの幻獣の姿が見えたと言っていた。 ちゃんと説明すればわかってもらえるかも。 でもちゃんと説明ってできるのか、僕に。 3日後。 今日遭遇した巨大なかもめのような姿の幻獣。 あんなのがまたやってくる。 今更のように体のあちこちに受けた痛みがよみがえる。 そういえばと思い、幻獣がぶつかった胸や腹を服をめくって確認してみる。 そこには傷も打ち身もなかった。 ここはイワナガヒメに癒してもらっていないのに。 確か殴られたような衝撃を受けたのに。 やはり相手はこの代のものではないからなのか。 でも穴のあいた数学のノートとスクバ。あれだけは本当だ。 次の日、三森さんとはちらちらと目が合うが、友達の殻に阻まれて直接は話せそうになかった。 彼女もまた昨日のことを詳しく聞きたいのだろうが、友達の殻を飛び出すところまでいかないようだ。 あの殻は厚い。 今までも何人もの男子が三森さんに告白しようとしたが、本人よりまず彼女らの総攻撃にあい、今までそこから先に到達したものはいないと聞く。 「あんた三森に告白したいんだって」 「鏡見たことあんの?」 「中間試験の順位何位だったっけ? たいしたことなかったよねえ」 「サッカー部? バスケ部? なに、あんた帰宅部なの? 論外」 「とにかくあんたは朱珠に似合わない」 オーディションを勝手に開催され、盛大に落選させられる。 納得のいかない志願者は直接三森さんにと話そうと、家の前にで待ち伏せなどしたら、今度は三森さん自身に怖がられて、それこそ告白どころではなくなる。 おっとりとして上品な美少女のふたつ名が「御簾の中の姫君」とつけられた所以だ。 そして僕もあの分厚い御簾のから三森さんを連れ出す勇気のない小心者だ。 とりあえず3日後、彼女を守りぬくこと。 僕がやることはそれだけだ。 なにも教えてくれない飲んだくれの女神はもう当てにせず、自分でできることを考える。 幸いこの間のお札は破れていなかったので、新しいノートに挟みなおして破れたカバンの側面に貼り付ける。 カバンを振り回してぶつけてやってもいい。 それならいっそ竹刀とかもっと直接武器になりそうなものの方がいいのか。 竹刀にお札を貼ればかっこよく幻獣を倒すこともできるのではないか。 そうすれば三森さんももっと僕のことを気にしてくれるのではないか。 その時あの圧倒的な空気圧を思い出した。胸に押し付けられる圧力。 まがまがしい黄色い目。 僕の足から一気に力が抜けた。 武器なんてとんでもない。 この間だってカバンを盾にするのが精いっぱいだったじゃないか。 僕に必要なのは竹刀ではなく盾だ。 警察用の透明の防護盾でも買ってこようか。 いや相手は幻獣だ。そんなもので守れるものじゃない。 僕には結局穴の開いたカバンと使い古したお札しかないのだ。 肝心の情報も、前回同様直前、あるいはすべてが終わった後でやっと女神たちが教えてくれるのだろう。 7 月曜日。 今気が付いたことだが、今回は何時にどこへということは一切教えてもらっていない。 いったいこの広い校内でどうやって彼女を守れというのか。 1時間は体育。 いきなり男女別だ。 女子は体育館。 男子は校庭。 2時間目、休憩を挟んで3時間目、4時間目。 気になって授業にならない。 友達からも不審がられるが、体調が悪いなどと適当なことを言って、その場を取り繕う。 昼食を取って、昼休み。 そろそろ気にするのにも疲れてきた。 本当に今日なにかあるんだろうか。 日にち間違えたんじゃないの。 5時間目、6時間目。 ようやく授業が全部終わったとき、女子の会話が耳に入った。 「ねえねえ、朱珠どこにいったか知らない?」 「知らないよ。トイレにでもいったんじゃない」 「行ってみたけどいなかったよ。職員室も図書室もいなくって」 「変だねえ。なにも言わずにいなくなるような子じゃないのに」 クラスの隅がざわつく。 いつも殻になっている女子たちが肝心の守るものを見失っている。 これは、もしかして。 僕はカバンを持ってあわてて靴を履き替え、昇降口を出た。 するとそこには知らない男性が一人立っていた。 無精ひげを生やしてTシャツとデニム。 学校に不似合いな自由な感じのする人だった。 「凪佐健翔くん?」 「はい」 僕の名前を呼ばれた。 イワナガヒメやサクヤヒメのような適当な呼び方じゃない。 「君が健翔くんだね。急いで。彼女が掴まった」 掴まった! 「掴まったって、いつ、どこで、えーと、あなたは?!」 「それは全部後。彼女の行き先はわかってる。僕は先に行っているから急いで来なさい。いいね」 優しいけれどあらがえない強さ。 僕は思わずうなずいてしまった。 僕は全力で自転車を走らせた。 行き先は木佐間神社。 結局あそこなのか。 それならそうとあらかじめ言ってくれればいいのに!! 汗を吹き飛ばして自転車をこいだ。 ギを掛けるのももどかしく、鳥居の前で自転車を倒したまま、神社へ飛び込む。 裏手からはもうもうと煙が上がっている。 あれは、女の人が自殺したとかいっていた岩の方からか。 走って神社の裏へ回る。 かまくらのような形をした丸い岩。 真ん中にくりぬいたような穴があり、先日まではそこにしめ縄がかかっていたのだが、今は切られて石のふたがしてある。 そして火の元は岩の上の林だ。 ぱちぱちとやたら威勢の良い音がしている。 そしてその火の中にあの黄色い目をした凶鳥が座っていた。 この中に三森さんがいるのか?! 「来たか、ケント」 イワナガヒメとサクヤヒメ、そして僕をここに呼んだ男性。 不自然なほど冷静な3人。 「あんたたち神様でしょう。火くらい消せないんですか!」 「だめだ。あれは人の代の火だ。わたし達にはもはや手がだせない。消すのはお前だ、ケント」 僕が? どうやって?! 「あの岩屋の中にはお前が言っていたあの女が閉じ込められている」 「なんだって?」 「お前が助けろ」 「はあ?」 「あの幻獣を退治するのだ」 「だからどうやって!」 お札もカバンもボロボロだ。 僕ひとりでいったい何ができるんだ。 「お前は武器を持っている」 「どこに」 「名に負うているだろう」 名前? なんのことだよ、もう。 このままじゃ三森さんが三森さんが。 しかしイワナガヒメは依然として冷静だった。 「お前の名前を言ってみろ」 「僕の? 凪佐健翔ですよ」 「そうだナギサケン……あれ?」 横でサクヤヒメも首をかしげた。 「あら」 「サナギケン……か」 「お姉さま、クが足りません」 「そうだな、クがないな」 ク? 何のことを言っているのか。 「訳わからないこと言ってないで。早くしないと三森さんが死んじゃうんですよ!」 イワナガヒメは笑った。 「そうだそうだ、早くしなければな。ケント。わかるか、お前がケンなのだ」 「ケン? 僕はケントですけど」 サクヤヒメもうなづいた。 「そうですよ。ケントさんのお名前を並び替えみててください」 ナギサケントを並び替え…… 「サナギ? ケン? なんか弱そうな剣ですね」 「クが足りないからだ。もっと苦労しろということだ」 クって、苦労のクかよ。 「わかりましたよ。僕が剣だとして、いったいどうすればいいんですか」 「もちろんあの幻獣を叩き切るのだろう、剣ならばな」 まったくわからない。 なにをどうやって、どうすれば、僕は剣になるのか。 「大丈夫です。力はあなたに注いであります。あとはあなたが剣となるだけです」 力。 もしかしてあのおいしい水のことか。 「早くしろ。あの岩戸は完全に外気を遮断している。高温の火であぶられ続ければ中は窯のようになり、女は中で蒸し焼きになるだろう。ピザのように焼かれるのはさぞかし苦痛な死だろうな」 なんてことを言うんだ。 そんなのだめに決まってるじゃないか。 僕は一歩前に出た。 そうだ、前はスクバとお札だけで幻獣に向かっていったじゃないか。 今も同じことをすればいい。 ただスクバとお札が僕の体になっただけだ。 あのするどいくちばしを僕の体でうけとめ、それから、それから。 わからないけど、とりあえずそこまではやってみるしかないだろう。 三森さんが蒸し焼きなんて、そんなこと絶対にさせない。 僕はさらに一歩、一歩と前に出ていった。 もうすぐあの大きな鳥は僕に気付く。 もう一歩、もう一歩。 火の中に座っていた鳥がとうとう僕に気が付いた。 黄色い目がぎろりと光った。 大きな白い翼が上下に動き、飛び立つ態勢をとった。 もう逃げられない。 あとはついこの間会ったばかりの、僕にしか見えない変な女神たちのことを信じるだけだ。 僕は両腕を広げ腰を下げた。 相手は風圧だ。 受け止めてやる! 一度高く飛んだ鳥は僕めがけて急降下してきた。 思わず目をつぶった。 鳥は頭すれすれのとこを飛び去った。 髪の毛と一緒に皮膚も逆立った。 ふ、ふん。 相変わらず精度の低い奴め。 僕は何とか平静を保とうとした。 でも次はきっと直撃がくる。 僕はもう一度手を広げようとした。 その時、体の芯が急に熱くなり、なぜが両腕を広げるより目の前で合わせほうがいいような感じがした。 そしてその通りに手を前に出すと、熱は腕を通り手のひらに伝わり、ずしりと熱く重たくなった。 そうか、これが! 僕は手のひらの重みをしっかり握った。 そして目の前に迫った黄色い目を睨み返した。 「ぃやーーーーーーっ!」 無意識に腹の奥から声を絞り出し、両腕を上段から振りかぶった。 墨を水で流したように幻獣の姿は消えた。 8 「三森さん!」 僕は走って岩戸を開けようとしたが、戸は焼けて手で触れることもできなかった。 「あつっ」 「あぶないあぶない、そこどいてー」 背後から緊迫感のない声が聞こえたと思ったら、水がぶっかけられた。 「はい、もう一杯」 「次」 「もひとつ要りますか」 計4回。 僕はシャツから下着まで水浸しになった。 でもこれなら岩戸を開けられる。 戸に手を当てたら、自然に内側に倒れていった。 僕は岩を乗り越えて穴の中に入り、蒸気のないサウナのようになった岩の中で、ぐったりしている三森さんを抱えて外に引きずり出した。 「三森さん、三森さん!」 僕は彼女の体をゆすった。 でも目を覚まさない。 「はーい、もういっちょいくよー」 さっきの緊迫感のない声から、5回目の水責め。 頭頂部から僕と三森さんに水がかけられた。 「ぅ、ううん……」 「三森さん!」 「……なぎさくん」 僕を見上げる三森さんの目。 うつろで血走っていて、でもすごくきれいだ。 「うむ、大丈夫そうだね」 背後で男性の声。 「そのようだ」 続いてイワナガヒメ。 「ではケントさん。ちょっとそこをどいていただけますか」 「はい? 」 とどめのサクヤヒメのことばに、僕は一瞬怒りを感じた。 「彼女はずぶ濡れだ。着替えが必要だろう」 イワナガヒメのことばで気が付いた。 三森さんは水に濡れて、制服のブラウスから下着が透けて見えて…… 「ぅわああああ、ごめんなさい!」  僕は慌てて背を向けた。 するとまわりの神様たちはなぜか大笑いだ。 「おお、いい反応だ」 「若い命っていいですね」 「僕だったらもうちょっと確認してから見なかったことにするけどなあ」 こんな下種な神様たちにずっと手を合わせていたとは。 賽銭返せ。 じきに神社には消防車が呼ばれ、ようやく消火活動が開始された。 サクヤヒメは本殿に三森さんを着替えに連れていき、もう一人の男の人は酒の用意をすると言ってどこかに行った。 僕とイワナガヒメは消火の邪魔にならないように、裏庭からもっと奥まった舞殿の裏へと移動した。 「イワナガヒメ」 「なんだ」 「なんだかよくわからないけど、ありがとうございました」 相手は神様。 お礼を言う。 「わたしはなにもしていない。お前の力を補い、どこに幻獣がやってくるか教えるのが精いっぱいだ。あれを倒したのはお前の力だよ」 そう言われて思い出す。 実態のない不思議なもの相手に、自分の体が剣そのものになったような感覚。 ぶち当たった時の圧力と圧力。そして、その直後雲散霧消する鳥。 「あれが、幻獣」 「何度も言うが、人の代に姿を見せる幻獣はもはやわたしたちの手には負えない。だから剣を名に負うお前を呼び、力を補ったのだ」 「さなぎの剣でしょ。なんか弱そうな名前ですねえ」 「はっはっはっ。まあ、しっかり苦労しろということだよ」 ということは、まだまだ幻獣は現れるということか。 これ以上危険な目には会いたくないんだけど。 「それから、もう一つ」 「なんだ」 「あの男の人のことなんですけど」 と言うと、予想通りイワナガヒメの眉間がくもった。 「あれはニニギノミコトなんですよね」 イワナガヒメとサクヤヒメの父親彼女らをニニギノミコトに嫁がせようとしたが、イワナガヒメだけ返された、というのが先日ネットで検索した神話の中身だ。 「ふむ、そこは神話でも有名なくだりだな。天から下ったニニギがサクヤと出会い結婚しようとしたら、我らの父がわたしも一緒に娶らせようとしたが、ニニギはわたしの容姿を嫌って、サクヤヒメだけを妻にしたと。なあ、ケント。わたしはそんなにみにくいか?」 イワナガヒメは僕の前にぬっと顔を突き出した。 大きくてきらきらした目。 筋の通った鼻。 ふっくらとした大きな唇。 神話にはたしかに容姿が良くないせいでイワナガヒメと結婚しなかったとあるが、目の前にある顔はとんでもない、女神と呼ぶにふさわしい、神々しい美しさだ。 「そうであろう! ケント! そうよ、神話は人が後で適当に作り替えたのだ。わたしは美しく、胸も腰も太ももも豊かで生命力にあふれている! ニニギはこの溢れる力に恐れを抱いてか弱いサクヤのみをめとったのだ。あいつはただの弱虫だったのよ」 そう言って鼻で笑うイワナガヒメは、どこか悲しそうに見えないこともない。 「でも、振られたってことなんですよね」 「私が傷ついたと思っているのだな。前にも言ったが、わたし達は古い神だ。かつてこころにどんなとげが刺さろうとそれはもうすでに自分の一部で、もはや二度と痛むことなどないのだよ。わかるか、少年」 急に子供扱い。 それでもとげはとげなのだ。 イワナガヒメの横顔はそう言いたげだったが、僕は黙っていることにした。 しばらくしてサクヤヒメと三森さんが戻ってきた。 ヒメたちと同じような貫頭衣を着てくるのかとおもったら、なぜか毛玉のついたグレーの大きなトレーナーを着せられていた。 もしかして神主さんの私物ではないのか。 その後ニニギさんが酒肴の用意をして戻ってきた。 盆の上にはなぜかピザがある。 「かんぱーーーい!」 それぞれの手にグラスを持って、前に差し出した。 実はまだ現状を受け止めれていない。 でもとにかくよかった。 僕の横には御簾の中から出ていた姫君が座っている。 そして、僕の名前を呼んでお礼を言ってくれた。 これはもう夢でも文句は言えない展開だ。 「三森さん、大丈夫? やけどとか痛いところとかない?」 「う、うん。少しやけどがあったのだけど、サクヤヒメに治してもらったから」 「そう、よかった。そういえば、三森さんもあの人たちのこと見えるんだね」 最初は普通の神社の人と思っていたけど、やけどを直してもらったり、お水を飲ましてもらいながら幻獣の話をしてもらううちに、何者かが納得いったらしい。 「凪佐くんがなんで助けてくれたかも、教えてもらったよ。あの神様に言われたからなんだね、ありがとう」 いや、待て。それじゃちょっと誤解がある。 「違うよ。僕は三森さんだから助けたんだよ」 「え、じゃあ他の人だったら助けなかったの?」 「いえ、いや、そういう訳でもないけど」 そこへ、酒の瓶を振り回しながらイワナガヒメが割って入った。 「まあまあ、面倒くさいことはいいではないか。ケントが助けてシュシュは助けられた。それだけで十分だろ」 たまには酔っぱらいも役に立つ。 サクヤヒメもニニギノミコトもにっこり笑った。 僕と三森さんもとりあえず細かいことは後にして、おいしい水に入ったグラスをカチンとあてた。 その水は今まで飲んだ中で一番おいしかった。 終  
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