やさしい男

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 タイミング悪いことに喫煙席側には他の客がいない。だから、余計に遠慮なく声出しちゃってんだろう。仕方なく俺は自分の足につまづいて豪快に転んでみせた。 「うおっと……わぁぁぁぁっ!」  グラスが割れないように転ぶって難しい。トレーを支えつつ、大げさに転び、四つのグラスを床に転がした。サーッと床に広がる氷と水。四人がギョッとした顔で振り返った。 「な、何やってんだあいつ」 「あ、すみません。すみません」 「大丈夫!? 宮田くん!」  店長がビックリした顔で走ってきた。他のバイトもワラワラと集まってくる。コウキ君の胸ぐらを掴んでいた男は手を離すと「チッ」と舌打ちした。そしてソファに座ったまま顔を手で覆ってる女の子に向かって言った。 「おい、エリ。あんまフラフラしてっと本当に捨てるぞ」 「な、なんで……もう別れたんでしょ?」 「おい、もう行こうぜ」  他の三人がキレてる男を囲むようにこちらにやってきた。俺も含めて全員が後ずさる。四人が店から出て行って、みんなでホッと胸を撫で下ろした。店長がコウキ君に「お怪我はございませんか」と声を掛けてたけど、コウキ君は心ここにあらずって感じ。放心状態だった。 「あ、いいっす。大丈夫っす」  小さく頭を下げると、隣で俯いてる女の子を心配している様子だった。俺は店長からゴタゴタを長引かせないで四人をアッサリ退散させたことに感謝されて、特別ボーナスとして来月から時給五十円アップを言い渡された。  やはり何かのイベントがあったのだろう。客はそれからも途切れることが無かった。四人が退散してから三十分くらい経って、コウキ君達が会計に現れた。もう最初に入ってきた時とは雰囲気が全然違ってる。コウキ君は無表情だし、「エリちゃん」と呼ばれた女の子は涙目で化粧も取れかかっていた。
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