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[2]
それがどこにあるか誰も知らず、そこに何者がいるのかを知ることもない。
巨大なコンサートホールのような広間には調度品などは一つとしてなく、ただひとつだけ椅子が最奥に据えられている。
それは玉座。そこに座る者がこの場の王であることを示し、疑うことは決してない。
たとえそれが、何百年経とうとも。
今まで無人であったはずの玉座に人影が現れる。
黒光りする南蛮甲冑に、血のように赤いマント。兜の隙間に燐光が灯り、そこに初めて意志のようなものが宿る。
風もないのにマントが広がり、玉座から薄明かりが部屋中に伝っていく。
西洋風の謁見の間に、南蛮甲冑。一見するとちぐはぐに見えなくもない取り合わせだが、まるで墓場のように重い場の空気は何者にも疑問を挟む余地を与えない。
「我が意の体現者たちよ、ここへ」
ただ一言。南蛮甲冑の王から発せられた一言が、圧倒的な力となってホール内に響き渡る。
最初に現れたのは、鈴の音と共に闇に浮かび上がる細身の少年。
薄い緑の着物は女性向けのそれではあるものの、少年の中性的な顔立ちが決して違和感にも嫌味にもしていない。
鈴の音は、どうやら手にした薙刀についたものが鳴っているらしい。
「一の翼、泡沫の武将 蓬莱。御身の前に」
朱が塗られた唇が妖しく言葉を紡ぐ。恭しく頭を下げながら少年が跪く様は、さながら舞を見ているかのよう。
続くのは足音。カチャカチャと金属音を立てて姿を見せたのは、銀色の日本甲冑。
長大な大太刀を背負う姿は、ゆうに2メートル半は越える長身で、先の少年と比べると文字通り大人と子供のよう。
「二の翼、鉄の武将 オウロボロス。参りました」
少年に続き、首を垂れながら跪く。
武人らしい堂に入った姿は、跪いてなおその巨体をさらに大きく感じさせる。
この者が数刻前に、風雅陽平と獣王クロスフウガに敗れたのは記憶に新しい。
その隣に音もなく現れたのは、聖職者のような黒衣をマントのように翻す長身。
いや、マントに見えたそれは翼だ。マントを翻すように蝙蝠のような翼を広げる姿はさながら貴族のよう。
翼とは対称的に真っ白な髪が印象的なその者は、背負っていた大きな十字架を下ろしながら首を垂れた。
「三の翼、血の武将 イーコール。ここに」
複数の足音が近づいてくる。
暗闇から姿を見せたのは、野性味のある風貌の男と色気を振りまく女の二人。
男は虎のような毛皮を身に着け、立ち姿はふらふらとだらしがない。女は蛇のような色味を身に纏う美女。どちらにも共通して言えることは到底人とは思えない獣に近い顔をしているということだ。
「四の翼、双の武将 ソーマ。寝起きはイマイチ調子出ませんがねぇ……戦なら喜んで行かせてもらいますぜ」
「五の翼、双の武将 アムリタ。なんや呼ばれたんはウチらだけちゃうなんて、ちょっとショックやわ」
欠伸に泣き真似。どちらも主人に対する行動とは思えないが、咎められる様子がないのもいつものこと。
そしていつの間にそこに現れたのか、蓬莱よりも小柄で、どこか猿にも似た風貌の男が一歩出てから大仰に頭を下げる。
「六の翼、偽の武将 西方より馳せ参じました、サルめはここに。御館様の召集を心待ちにしておりました」
「御館様ぁ、ウチもめっちゃ会いたかったぁ~」
蓬莱の薙刀が床を突く音と共に鈴の音が鳴り響く。
「黙りなさいアムリタ。信長様、我ら魔王六翼、改めて御身の前に揃いましてございます」
アムリタがなにやら抗議の声を漏らしているが、意に介さず蓬莱は場をまとめにかかる。
「……よく集まった。貴公ら我が元を離れて400年余り。それぞれの報せを逐一聞きたいところだが、儂が気になっておるのはオウロボロス、其方の報せだ」
椅子の腕置きに肘を乗せ頬杖をつく南蛮甲冑。
瞳など見えはしないはずが、今から聞ける話が楽しみで仕方がないという欲が溢れ出しているのがわかる。
「負けた……と耳にしたが」
鋭く光る眼光に、それまで堂々としていたオウロボロスが声を詰まらせる。
僅かな静寂。問い詰められるオウロボロスを冷たく見据える者、嘲笑う者、ただ言葉を待つ者の視線が入り交じる。
「め、面目ございません。やつを────」
「オウロボロス、御館様への釈明は面を上げて行うべきではないですか?」
蓬莱の言葉にオウロボロスがたどたどしく顔を上げる。
「面目ございません。やつを、忍巨兵を侮った某の不徳の致すところ」
「忍巨兵……あれか」
「ご存知でございましたか」
オウロボロスの問いに、甲冑の隙間からどこか楽しげな笑い声がこぼれ出す。
「ふ……ふはは、貴公もしてやられたか。儂もあれがおらねば今頃このような場所に引きこもってなどおらぬものを」
とてもその外見からは想像がつかないような笑い声に、一同が困惑の表情を見せる。
「忍巨兵、本能寺ではその炎で寺ごと儂を焼き払い、儂が生き延びたと知るやすぐにこの安土の城ごと儂を"歴史の外"に追いやる奇怪な術を使いおった。"歴史の王"に選ばれたこの儂を、その歴史から排除するほどの力があるとは儂でさえ思わなんだわ」
主の言葉に家臣たちが戸惑いの声をもらす。
無理もない。歴史に選ばれ、その時代を左右するほどの絶対的な力を有するはずの主を封じ込めた存在がいるというのだ。にわかに信じがたい話ではあるが、それを語るのがその主人であるからこその困惑。
だが、オウロボロスは一人脂汗を流しながら再び首を垂れた。
「お許しを、お許しを! そもそも忍巨兵がこの日の本にあることこそが某の失態にございます」
「ほう……申せ」
「御館様の命で旅立った某が最初に見つけたのは、異界へ通じる“門”でした」
実際には門というよりは光の壁だったのだが、潜ることができた以上は門でも間違いではなかったのだろう。
見るからに普通ではないそれは、まるでオウロボロスを目的の場所、主に命じられた不死の探求へ誘っているかのようであった。
僅かな迷いの後それを潜ったオウロボロスは、やはり見ず知らずの場所に辿り着いていた。
「その地の名は、雷雅。リードと呼ばれた地に存在する鄕のひとつでした」
オウロボロスを招き入れた雷雅の者はこう言った。
『我々の知らぬ地よりの来訪者よ、その知恵と力を提供してくれれば、対価としてそなたの求めるものを与えよう』
オウロボロスは応えた。ならば不死の秘宝をと。
『ならばちょうど良い。このリードには“生命の秘法”と呼ばれる伝承がある。雷雅にはそれを研究する機関が存在するので、その研究成果を進呈しよう』
「対して某は、雷雅の一族に某の識る錬金の術と、御館様より賜った兵隊を貸し与えました」
時間にして100年以上は滞在していたと記憶しているが、正確なことはわからない。そもそも時間の流れが同じなのかさえよくわかっていなかったのだ。
その間にオウロボロスは、雷雅と敵対する郷、風雅への諜報活動も行った。
神の知識を得た一族というだけあって、その技術は実に興味深いものだった。
生命の秘法は当然のこと。
彼らの扱う賦力と呼ばれる力。
それを自在に操る忍者と呼ばれた戦士と巫女の存在。
神獣と呼ばれる存在。
神獣を元に生まれた忍巨兵と呼ばれる十体の巨大兵器。
そしてその忍巨兵を祀る城の建造計画。
到底人のそれとは思えない強大な力の数々。こんな辺境の地で終わらせるにはあまりに惜しい。そうさこの力、御館様にこそ相応しいではないか。
オウロボロスは時を待った。そして忍巨兵の城が完成した時点で行動を起こした。
雷雅の技術とオウロボロスの錬金術で生み出した忍邪兵と名付けた巨大兵器200体でリード全域を襲い、雷雅の"門"をまんまと手中に収める。
これを起動して忍巨兵の城を日の本へと送り出し、リードの民を皆殺しにして後顧の憂いを断った後、自らも主の下に戻る。そのつもりだった。
「某の誤算の一つ目は、風雅が十一番目の忍巨兵を作っていたこと」
かの地で出陣した兵隊たちの忍邪兵200体を全滅させ、オウロボロスの駆る忍邪兵と互角以上に切り結び、果ては倒して見せたあの黒い獅子の忍巨兵。
やはりあれは先の戦いで刃を交えた獣王なる忍巨兵なのだろうか。
「某は、その黒い忍巨兵めに敗れた後、“門”を潜る異様な力を追いかけました。おそらくそれこそが風雅どもの秘法であるという確信めいたものがありました。しかし辿り着いたのは随分と時間のズレが起きたこの地……」
「その“門”とやらは、空間だけならず時間をも超えるものであったわけか」
つまり、オウロボロスが忍巨兵の城を主に届けようとしなければ、その主が敗れることはなく、未だ歴史の王としてこの地に君臨していたということになる。
皮肉なものだと誰かが呟いた。
「御館様、某にどうか罰をお与えください」
「ふむ。確かにそれは罰を与えねばならん。しかしお前がもたらしたものが有用なのもまた事実」
突いていた肘をおろし、南蛮甲冑が立ち上がる。
赤いマントを翻し、オウロボロスの前へと歩み寄る。
凄まじいまでの存在感と威圧感に、オウロボロス以外の者が僅かに後ずさる。
「ならばオウロボロスよ。お前は自らが手に入れたものが優れたものであると儂と、他の六翼たちに証明するため、それを以て風雅なる者どもを打ち滅ぼして見せよ!」
「ははっ、このオウロボロスの命に代えましても成し遂げてみせます。そして御館様をこの地より解放することをお約束いたします」
「よく言った。ならば貴公の武勇、しかと見せてもらうぞ」
信長の手にどこからともなく現れる火縄銃。いや形こそ火縄銃のそれだが、秘めた力はそんな生易しいものではないことはこの場にいる誰もが知っている。
それを頭上へと突き上げ、信長は高らかに宣言する。
「聞け、我が六翼、そして従僕共よ! 儂は今日このときを以て信長の名を捨て、王雅を名乗る。我こそがこの時代の真なる王であることを世に示すのだ!」
どこからともなく湧き上がる歓声。城中にいる僕という僕たちが、王雅の宣言に対して歓喜の声で湧き上がる。
「この歴史の"正しき王"、王雅。まさに御館様にふさわしき御名かと」
サルと名乗った小柄な将が口の端をつり上げる。
「真なる歴史の王、王雅様!」
蓬莱の声に続き、アムリタも声を上げる。
「時代の理を統べる王の中の王、王雅様」
六翼たちが王雅に向かって一斉に首を垂れる。
「我らが偉大なる御館様、王雅様に忠誠を!」
掲げた銃の引き金に指をかけ、赤黒い光を天に向けて撃ち放つ。
足下が窪み、天守を吹き飛ばすほどの力が放たれたというのに、南蛮甲冑姿の王雅は反動を受けるどころか微動だにしない。
封じられてなおこの力。
この場の誰もが王雅の勝利を疑うことなくその身を捧げる。
「我が名、王雅を再び歴史に刻むため、その命を捧げよ!」
高らかに宣言する王雅の背後に黒い翼の影が大きく広がった。
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