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まだ肌寒いな。そんなことを感じながら風雅陽平は掛布団を手繰り寄せた。
春先とはいえまだ冷える。朝はしばらく布団の温もりに包まっていたいと思うのは、陽平でなくても当然といえよう。
微睡の中、ごろりと寝返りを打つ。腕がなにかに触れた。
なんだっけ。記憶の中に一致するものがないことを確認しながらそれを抱きしめると、それが陽平を抱きしめ返してきた。
「な、なんだとォぉぉぉおお!?」
奇声と共に掛布団を跳ね上げる。
「……んぅ、ようへい?」
腕の中にすっぽりと納まる形で寝ていたのは、先日から風雅家に居候している謎の少女こと翡翠だった。
「ようへい、おきた」
「あのな翡翠、朝の挨拶は『おはよう』だ」
「おはよう」
「うん、おはよう。──じゃなくて、なんで翡翠がここにいるンだよ!」
陽平の問に首を傾げる翡翠。
「ようへい、ひとりにしないって言ったから」
はい。確かに孤独からも守ると言いました。
「しかしなぁ、翡翠。夜這いは良くないぞ」
「よばい?」
「オッケェ、忘れてくれ。光海辺りに聞かれたら俺の命に係わる」
万が一彼女の耳に入れば、あのどこからでも狙い撃ちにしてくる弓矢で追いまわされるに違いない。
ただでさえあの腕。それに加え、先日の忍巨兵で見せた技の数々は、それはもう尻尾を巻いて逃げ出したくなるような光景だった。
わからないという風に小首を傾げる翡翠は、陽平の服の袖をチョンチョンと引っ張ってくる。
「とにかくさっさと起きて移動しねェと、誰かに見つかったら事だからな」
「ん」
「いや、翡翠さんや。起きると言ってるのに、なんでしがみついてくるかね」
不意に部屋の衾が小さく開けられ、その隙間から何かが投げ込まれるのを陽平は見逃さなかった。
ジュース缶のようなそれが煙を噴き出すと同時に翡翠を掛布団で簀巻きにすると、無造作に敷布団もまとめて被せておく。
さすがに犯人が犯人だけに、翡翠に影響が出るようなことまではしてこないはずだが、念には念を入れた結果だ。
窓に手をかけて開け放ち、煙の出口を作ってやると同時に、陽平の後頭部目掛けてクナイが投げられた。
首を捻ってそれを回避すると、足下のゴミ箱から拾い上げた団子の櫛を相手に向かって投げ返す。煙の向こうでタタタッと壁に突き刺さった音が聞こえた。
続けて頭上に気配。それを感じた陽平は獣王のクナイを構えると、煙の向こうにある気配目掛けて素早く切っ先を突き出した。
手に伝わる感触は人ではない。ましてや金属でもない。
確認するまでもなく、丸太に突き刺さっていたクナイを引き抜くと陽平は改めて煙を払う呪印を組む。
すぐに風の流れができあがり、煙は一斉に窓の外へとに流れ出る。
今頃近所では、また風雅家の仕業かとため息交じりに空を見上げているに違いない。
煙のカーテンが徐々に薄くなるにつれ、部屋の全容がハッキリとしていく。
襲撃者の気配はない。いや────
「そう何度も同じような手を食らうかよ!」
真横から突き出された切っ先を、上体を逸らして回避する。その腕をがっちりと掴まえて相手の首元にこちらの切っ先を突きつける。
勝負ありだ。
「どうよ。さすがの親父でも、まさか俺がここまで強くなってるとは夢にも思わなかっただろ」
「……そうだな」
そうため息交じりに答えたのは、陽平が掴まえているのとはまったく別の角度から聞こえた声。
慌ててそちらを振り返る。そこにあったのは簀巻きにされた翡翠がモゾモゾ動く横で、その翡翠に切っ先を向けている父、雅夫の姿だった。
「お前は彼女を守る戦をするはずだろう? ならこの勝負は襲撃者が一人だと勝手に判断したお前の負けというわけだ」
ちなみに陽平が掴まえたのは分身だと、ご丁寧に自らネタばらしをして煙のように消え失せる。
「いや、違わねェけど……これは」
「一度でも護衛対象から意識を放した時点で、お前は忍者失格だ」
言い放つと同時に動いた雅夫は、棒立ちになった陽平の胸元に強烈な掌打をお見舞いする。
いや、掌打ではなく、ただそっと陽平に手で触れただけだ。少なくとも打たれたような衝撃はなかった。
陽平自身が完全に油断していたこともあるが、雅夫の動きは完全に人の無意識内で完結していたため反応するどころの話ではなかった。
陽平の体はそうあることが自然だとでもいうかのように容易く吹っ飛ばされ、周りを傷つけることなく窓の外へと転がり落ちていく。
ちなみに陽平の部屋は二階にあるので、陽平は下の屋根伝いに転がって、さらに下へと転がり落ちていくことになる。
「ようへいおちた?」
陽平を追いかけて心配そうに窓の外を覗く翡翠に、雅夫は優しい笑みで頭を撫でる。
「なぁに、あれくらいで死にはせんよ。」
「そう?」
「そうさ。なにせあやつは、きみを守る忍者になるんだから」
だからこそ強くなってもらわねばならない。この謎の少女、翡翠のためにも。おそらくこの先に待つ風雅の戦のためにも。
陽平を吹っ飛ばした賦力を呪印ごと手を振って霧散させると、何事もなかったかのように翡翠の背を促す。
「丁度良い。香苗さんが朝食の支度をしている。そのまま手伝ってくるといい」
下の方でガタっと音が聞こえたのを返事と受け取り、雅夫は窓を閉める。
たしかに、忍巨兵の影響もあって以前より頑丈に、それに動きも良くなっているようだ。
少々手荒くしても壊れないところを見ると、どうやら本格的な修行を始めるのに、既に下準備は整っているらしい。
「自ら風雅の忍びを名乗ると決めた以上、無様は許さんよ」
呟く雅夫の瞳に冷たい光が宿るのは一瞬。次の瞬間には好々爺のような表情で翡翠の手を引き、朝食の準備が済んでいるであろう食卓へと足を向けるのだった。
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