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「ふぅん、朝からそんなことがあったんだ」  横でお腹を抑えたままぐったりしている陽平(ようへい)を見下ろす制服姿の光海(みつみ)は、ため息交じりにそんな感想を呟いた。 「おかげさまで朝から随分ハードな意識改革を植え付けられちまったってわけだ」  ついでに強烈な一撃をもらったために、朝食もまともに喉を通らなかった。 「でも、そうよね。翡翠(ひすい)ちゃんを守って戦わなくちゃいけないなら、そういう戦い方を覚えるべきよね」 「いや、おめェはそのまんまでいいんじゃねぇか?」  そうかな? と首を傾げる幼馴染をよそに陽平は考える。  実際、陽平は今の今まで守る戦いなんていうものを想定したことは一度もなかった。  ずっと忍者に憧れていたとはいえ、それは表面上の姿に過ぎなかったのだと思い知らされた気分だった。 「とにかく船が着いたら起こしてあげるから、ヨーヘーしばらく横になってたら?」 「遠慮なくそうさせてもらう」  そう言ってその場で横になる陽平に、光海は仕方ないとばかりに頭の下にハンカチを挟んでやる。  本当に小さな気遣いも忘れない幼馴染だ。  そんな二人が通う時非(ときじく)学園は本州側にあるため、通うには島から出ている定期便の船に乗る必要がある。  船を降りるとあとはただひたすら歩くだけ。途中にベンチがあるだけの公園なんかも挟んで、ようやく学園の校舎が見えてくる。  校舎は初等部側と、中等部と高等部が合わさった側の二か所に分かれており、先に述べた公園で別れ、それぞれを目指すことになる。  少々面倒な通学方法ではあるが、時非島民である以上は仕方のないことだと陽平も光海も初等部時代に既に諦めている。  潮風に吹かれながら今朝のことを反芻していた陽平は、心地よい微睡の中で重たい瞼を持ち上げる。  とくに注意して見たわけではない。偶然目に入っただけにすぎないが、これから陽平たちが向かう船着き場よりもずっと急な崖になった辺りに立っている人影が見える。  やや小柄ながら陽平たちと同じ制服の少女、その顔には陽平も見覚えがある。 「あまぎ……?」  陽平の声につられて光海もそちらを伺う。 「本当だ。天城(あまぎ) 瑪瑙(めのう)さん、だよね。うちのクラスの」  なにしてるんだろう。そんな光海の言葉を聞き流し、陽平は崖の上で微動だにしない少女の姿を観察する。  それ以上進むわけでもなく、ただ立っているだけ。本当に海を見ているだけなのだろう。とび込んだりしようというわけでもなさそうだ。 「海が好きなんだろ」  雑に理由をでっちあげて光海に答えると、陽平は体を起こして崖の上の少女を見上げる。  賦力(ふりょく)で強化した視力でも辛うじて見えるという位置だが、その表情を読み取るには充分な距離だった。 「でも、あんまり好きなものを見てますって顔はしてないよね」  光海も同じように視力を強化して見ていたのだろう。その言葉は陽平が内心思ったままの言葉だった。 「まぁ、とび込むわけでもねェなら余計なおせっかいはしないさ」 「でも、困ってそうなら放っておかないんでしょ?」 「困ってるってェならな」  だがあの表情は困っているというよりも、今にも泣きだしそうで、とても気軽に話を聞きに行く気にはなれなかった。  そうこうしている内に船は船着き場に到着し、陽平と光海は他の生徒に混じって足早に船を降りていく。  階段を上って崖の上まで出た陽平は、最後にもう一度だけ天城 瑪瑙を振り返ってみるが、彼女はもうすでにそこを離れた後だった。 「ねぇ、ヨーヘー。ヨーヘーはおじさまとその修行とかするの?」 「ん? そうだな。一番身近な上に、一番強ェらしいからな」  今朝の父の身のこなし。影衣を纏っていなかったとはいえ、忍巨兵に情報を上書きされた陽平でさえも完全に掌の上だった。  できるだけ早くあの強さに到達しなければ、翡翠を守るどころではなく自分が先に命を落としかねない。  もちろん、守ると決めた翡翠のために命を投げ出す覚悟はできている。そのときになって実際動けるかはわからないが、少くともそのつもりではいる。だが、なんの役にも立たないまま殺されるのでは意味がない。  陽平に歩調を合わせながら、光海も隣で考え込んでいるようだった。 「私にもそういう人がいてくれたらいいんだけど」 「海原(うなばら)のおじさんとかは?」  桔梗(ききょう) 海原(うなばら)。なにを隠そう光海の父親のことだ。  光海に弓を教えた張本人で元軍人。今はわけ合って退役した後、外国に行ってどこぞで弓の指南役をやっているらしい。 「だめ。お父さんぜんぜん連絡つかないんだもん」 「じゃあ、光洋(みつひろ)さんは?」 「お兄ちゃんの方が忙しくしてるわよ。軍で働いてるんだから」  桔梗(ききょう) 光洋(みつひろ)。光海の兄で、今は国連軍で軍人をやっているらしい。  かなりきつい目と物言いのせいで、小学生時分の陽平は光洋に対して随分と苦手意識を感じていたものだ。  ちなみに光海の母親、桔梗(ききょう) (みお)さんは弓どころか運動オンチらしく、この話題でカウントされることはまずないそうだ。 「さすがに実戦で学べってわけにもいかねェからな。とりあえずは部活で精度を上げるとかでいいンじゃねェか?」 「うん。とりあえずはそうしてみるけど」  本人は不承不承といった感じではあるが、実際のところ陽平の知る限り光海に弓を教えられるのは先に上がった二人くらいだ。  裏を返せば光海の技術はそれほど卓越したものであり、陽平が今まで雅夫とやってきたトラップ遊びなどよりよほど実戦的なのだ。  なにせ光海の父、海原さんは軍人だった頃に任務で赴いた紛争地域に装備なしで取り残されたところ、現地で手に入れた材料で作った弓矢だけで無事に生還したというほどの人物だ。  正直、この話陽平は半信半疑なのだが、雅夫と海原さんが語っていたのを聞かされたのでたぶん本当にあったことなのだろう。  そんな学生らしからぬ会話をしつつ校門を潜り、昇降口へ。教室も同じなので特に分かれることなく光海と階段に差し掛かる。 「あ」  そんな声が上から聞こえ、陽平は視線を階段の上に向ける。  一瞬見えたのはタイツに包まれたほどよく肉付きのいい二本の脚──を持った女生徒の姿。美脚美人と言って差し支えない。  だが次の瞬間、足を滑らせた女生徒は、陽平目掛けて落ちてきたのだ。  とっさのことだが体勢を入れ替え受け止めに入るのは容易。そう思ったのも束の間、少女の足と絡み合ったことでバランスを崩し、陽平は半ば女生徒に押し倒されるような形で転倒した。  完全に体重を預けられたことで押し付けられた胸が、陽平の腹部をむにゅぅんっと撫で上げる。  痛みに耐えながら体を起こす女生徒に手を貸し、陽平は改めてその顔を確認する。  でかい! しかも美人!  それ以上の説明は不要だといわんばかりの脳内語彙力に陽平は頭を振る。  眼鏡をして長い髪を三つ編みにまとめているその容姿は、美人であると同時に真面目という印象が強い。強いて言うなら委員長タイプというやつだ。 「大丈夫だった? 怪我とかない?」 「大丈夫です。すみませんでした、私の不注意でこんな……」  光海の言葉に何度も頭を下げる女生徒は、陽平の顔を見ると抱き着いたのが恥ずかしかったのか顔を真っ赤にしてその場を逃げ出していく。  女生徒の後ろ姿を見送りながら、陽平はふと懐に違和感を覚え手を差し込んでみる。  そこにあったのは織り込まれた一枚の紙。少なくともそんなものを自分で入れた覚えはない。  なんとなく光海にはバレないようにそれをしまい込み、改めて階段を上り始める。 「……こっちが本命か?」 「なにが?」 「いや、こっちの話だよ」  今の紙にはなにが書かれているのだろうか。楽しみ半分、怖さ半分といった感じで陽平はこっそりとため息をついた。
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