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 なにはともあれ放課後、陽平(ようへい)はメモで指定された図書室へとやってきた。  相手が誰であれ、陽平に話があるというのだ。その内容を聞いてみてから身の振り方を考えたっていいはず。  期待半分、不安半分で図書室の扉を開ける。  どういうわけなのか人っ子一人いる気配はない。鍵は開いていたので、てっきり相手はもう来ているのだとばかり思ったのだが。  中へ入って後ろ手に扉を閉める。無人の部屋にガラガラっと引き戸の音が鳴り響いた。  目的もなく歩みを進め、視線をぐるりと巡らせる。  入ったことは何度もある場所だが、あまり勉強熱心とはいえない陽平にとって、図書室は馴染みのある場所ではない。  物珍しさから部屋の奥まで歩みを進めて、そこでピタリと停止した。 「来てくださったんですね、センパイ」  窓から差し込む日が表情を隠しているが、それでも喜んでいるような気配が感じ取れた。 「正直驚いた。まさか本当にお前だったなんて……」 「ここにいらしたということは、メモを読んでくださったんですよね?」  そう言って少し歩みを進めたのは、やはりというべきなのか、階段で出会った少女だった。  微笑を浮かべて一歩進むたびに揺れるそこに釘付けになりそうになるのを必死に堪えて、陽平は平静を装った。 「あのとき、階段でメモを入れたのか?」 「ふふ。モチロンです。センパイと、どうしても話がしてみたかったので、階段ではわざと転んでみたんですが」 「あンまり関心しねェな」 「すみません。でも、おかげでセンパイとこうしてお話することができました」  また一歩、歩みを進める少女に陽平の鼓動が早くなる。  一般よりも明らかに大きなそれについてはもちろんなのだが、この少女は立ち振る舞いそのものが艶やかなのだ。  足運び、腰のしなり、腕を動かす仕草、唇の動き、瞳の光、それらすべてが異性を惹きつけるフェロモンであるかのように陽平の目を放さない。  知らずゴクリと喉を鳴らしたことで我に返った陽平は、頭を振って少女に相対する。 「そ、それで話ってなんなんだよ」 「私、どうしても見てほしいんです。センパイに……」  ふわりとしなだれかかる少女を、陽平は反射的に受け止めていた。 「お、おいおい!」 「センパイ、私を見てください」  その言葉に思わず視線が少女の胸元に移動する。 「でかっ! いやいやいやいや、落ち着け! そうじゃねェうお、柔らけェでもなくて!」  大きすぎる少女の膨らみが胸板に押し付けられるたびに、陽平の思考が焼き切れそうになる。 「だぁぁあああ! やっぱだめ! ちょっと離れてくれ!」 「やン──」  小さく声をあげる少女の肩を強引に押し返し、陽平は必死に息を整える。  とても美味しい状況なのは間違いないのだが、さすがにこのまま流されるわけにはいかない。 「ちょっとタンマ。さすがにこれ以上はマズいって」  そんな陽平の心境を知ってか知らずか、少女は自らの腰に手を添える。 「センパイ、見てください」  パサっと音を立てて少女のスカートが足下に落ちた。  当然風よりも早く目を背けた陽平は、ついでに体ごと少女に背を向ける。 「ちょ、まっ……なにやってンだよ! それ、早く拾えって!」 「セーンパイ、後ろを向いてたら見えないじゃないですか」  見ていないはずなのに、少女の唇の動きが目に浮かぶ。 「セ ン パ イ」  一言ずつゆっくりと陽平を呼ぶ少女。  不意に背中に押し付けられた二つの感触に、背筋がゾクリと跳ね上がる。 「これ、なーんだ」  おっぱ──じゃなくて、見ちゃいけない。これは罠だ。トラップだ。誘惑だ。  しかしこのままでは好き勝手されてしまうのも事実。できるだけ下を見ないようそっと振り返る。 「これ……なーんだ」 「なっ、なンだって!?」  両手で開かれた少女の胸元、そのたわわに実った二つの果実の間に挟まれたものに陽平は思わず上ずった声を上げる。  見間違えるはずもない。それは陽平と忍巨兵(しのびきょへい) 獣王(じゅうおう)クロスを繋ぐ契約器であると同時に陽平が忍者である証の忍器(にんき)、獣王のクナイだ。 「返しやがれ!」  反射的に手を伸ばすが少女はひらりと身をかわす。同時に腕にひっかかりのようなものを感じ、陽平は思わず動きを止める。  陽の光で部分的に見えるそれは、陽平自身も良く知る忍び道具。 「鋼糸(こうし)……だと」  鋼糸。鋼線(こうせん)やそのまま糸などとも呼ばれる道具だ。  先端の小さな分銅や手裏剣などを使って対象に巻きつけたり、トラップなどに用いるそれは、暗殺用の道具としても非常に有名だ。  それが陽平の腕だけでなく、いつの間にか全身を絡め捕るように張り巡らされている。 「動かない方がいいですよ、センパイ。首が落ちてしまいますから」 「そんなことよりそいつを返しやがれ」 「ダメですよ。これをセンパイが持っている以上、私たちはセンパイに従わなくてはならないんです」 「なにを、言ってやがる」  会話を試みながらもなんとか鋼糸を解くことができないかと試行錯誤をしてみるが、さすがにここまで周到に張り巡らされていれば抵抗はできない。  さながら女忍者、クノイチといった手腕の少女に賛辞を送りつつ、あんな見え見えのお色気トラップにあっけなくハマッた自分の情けなさに涙がこぼれそうになる。 「それでは、これは頂いていきますね。センパイ」 「ま……ちやがれぇ」  強引に手を伸ばそうと皮膚が裂ける。どうやら相手も本気らしいということはわかったが、それではいそうですかと持っていかれていいものではない。  ただの武器ではない。約束がたくさん詰まった大切なものなのだ。 「動かない方が身のためですよ、センパイ。本当に首が落ちても知りませんから」 「だからって、行かせるわけには! いかねェンだよ!」  身体を賦力で強化して強引に鋼糸のトラップから抜け出そうと試みる。  だが次の瞬間、貫くような衝撃が陽平の後頭部に襲いかかる。  そのあまりに見事な一撃は正確に延髄を捉え、一瞬で陽平の意識を刈り取っていく。  だが意識を失う直前、辛うじて見えたその顔に陽平は小さく舌打ちする。 「ちくしょう……また、ぶんしんかよ」  そんな言葉を吐き捨てながら気絶する陽平にアカンベェをするのは、分身ではなく実態を伴った別人だった。 「(ひいらぎ)、余計なことをしないでもらえますか」 「力技で糸から抜け出そうだなんてムチャが過ぎるんだよ。荒業だったとはいえ助けてあげたんだから、文句言わないでほしいよネ」  糸を素早く斬り捨て陽平をそのまま図書室の床に転がすと、柊と呼ばれた少年はそっくりな顔の少女に白い目を向ける。 「勝手なことしてるのは(かえで)の方だろーが。椿姉(つばきね)ぇに文句言われてもオイラは知んないヨ」 「私にだって選ぶ権利はあります」 「椿姉ぇならそんなものはないって言いきるだろーね」 「せめて私が彼を試します。協力は不要です」  そう言い放つ少女、楓の冷ややかな瞳が、完全にのびている陽平を見下ろした。
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