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 陽平の家には道場はない。  それこそ父 雅夫(まさお)の経歴を考えれば一番ありそうな家なのにだ。  疑問に思って尋ねてみたことはあったが、どうしても道場が使いたければご近所まで行けばいいだろうという、あまりにもあんまりな意見の前に返り討ちにあった。  親子三人で住むには少し広すぎるくらいの純和製の屋敷。庭もそれなりに運動できるくらいに広く、小さいながら池もある。田舎ならではの土地の使い方といえばそれまでだが、昔から違和感をおぼえるくらいには歪な気がしている。 「まるで、村長とかの屋敷みたいな印象なんだよな。ほかの家よりもちっとだけ立派、みてェな……」  もちろん陽平の父母は村長ではないし、祖父母がそうであったとは聞いていない。  島のまとめ役かと言われると、どことなくそんな立場であるような気がしなくもないが、実際には役場もあるし村長も別にいる。  結局は陽平の思い過ごしということで、この件はカタはついていた。  光海の家から徒歩で数分、風雅の屋敷は見えてくる。  家が近所ということもあって、昔からこうしてよく登下校が一緒になるのだが、ある理由から光海は陽平の家にはあまり近づきたがらない。  陽平としてもわからなくはないので、とくにそれを追求することはないのだが。 「ただいまー…………ぁ?」  開けっ放しの門を潜り、玄関まで直行しようと前に出した足を陽平はゆっくりと戻していく。  夕焼けに照らされて一瞬見えた光の正体に気づき、陽平は眉間に皺を寄せた。 「ピアノ線……あのクソ親父め」  いわゆるブービートラップ。これに引っかかれば何かしらの罠が作動して襲いかかってくるに違いない。  雅夫はそれが趣味だと言わんばかりに、結構な頻度でこういうことをする人物だ。  もちろん光海が近づきたがらない理由もこれである。曰く、巻き込まれたらたまらない。だそうだ。  こんなことに何年も付き合い続けた結果、陽平はどことなく忍者っぽい勘や、動きを身につけるに至ったが、なかなかどうして、未だに父の思惑を外れた試しがない。  つまる話、一度として勝ったことがないのだ。  息子にとって男親なんていうものは、いつかは超えるべきものだという認識こそあるが、少なくとも今日明日でどうにかなるレベル差じゃないのも理解はしている。  だが……  陽平はぺろりと唇をひと舐めすると、口元に挑戦的な笑みを浮かべた。 「……今日こそは、あの親父の鼻を明かしてやる」  向こうが挑戦する舞台を整えてくれているのだ。ならばそれに乗るのが挑戦者の在り方だ。  おそらく玄関まで無事にたどり着ければ陽平の勝ち。  一見大した距離ではないが、一足飛びで行けるような距離というわけでもない。全力で駆け抜けても数秒。 「この短い中にどれだけの罠があるのか……」  大きく深呼吸をする。  たまにシャレにならない殺傷力の罠が混じっているので、一瞬たりとも気を抜くわけにはいかない。  心臓の鼓動を頼りにタイミングを測り、スタートの合図に手裏剣で足下のピアノ線を切断する。 「勝負ッ!」  開幕直後に走り出そうと腰を低くした瞬間、目の前の石畳がめくれ上がる。  おそらくこれがピアノ線のトラップなのだろう。  気づかずに顔面から突撃、などということはなく、陽平は石畳の壁に足をかけると、一息でそれを跳び越えていく。 「左右に避けりゃぜってェ罠がある。だけど宙には罠ははれねぇよな!」  得意気に語ってみせる陽平は、次の罠に備えて視線を巡らせる。  父のことだ。陽平が初手を避けるなどお見通しのはず。罠は二段構え以上になっているはずなのだ。  着地点にトラバサミが設置されているのが見えるが、馬鹿正直にそこに着地することもないと、陽平は背にした石畳を蹴って着地点を変更する。 「ヌルいぜ、親父」  捨て台詞を吐いて体重を感じさせない軽い着地を決める。  この器用すぎる重心移動や運動能力も、日々行われるイタズラによるものだと思うと悲しいものがあるが、より忍者らしくなっていくという一点において考えることを止めていた。 「さぁ、お次の罠は……」  余裕を見せた陽平が次の行動を起こすよりも早く、足下が一気に崩れ落ちる。  着地点を変更することさえ読んだ上での落とし穴。  大慌てで飛び退く瞬間、落とし穴の中に無数の竹槍が見えたことで、陽平の顔からサーッと血の気が引いていく。 「いくらなんでもそれは死ぬってェの!」  飛び退いた勢いを足で殺しながら後ろ向きに滑る。  巻き上げた砂埃が落ち着くのを、息を呑んで待つ。 「次は…………」  どこから来る。と続けるよりも早く、陽平の後頭部を吊り丸太が強打した。  程よく意識を刈り取る一撃を尻目に、丸太に書かれた文字とラクガキのようなイラストが陽平の悔しさを何倍にも跳ねあげる。 「── 未熟者め by父 ── だとォ……くそ……おやじ……め」  また負けた。  陽平の危機察知能力をぎりぎり超えるくらいの速度に調整された罠の数々。遊ばれていたのは明らかだ。  余談であるが、雅夫はこの仕掛けを一晩で片付ける謎技能を有しており、未だかつてこの家に修理の大工が来たことは一度もない。  今回もおそらく、陽平が見事に引っかかった罠を面白おかしく思い返しながら片付けに勤しむのだろう。  悔しさに沈む陽平は、目幅の涙を流しながら意識を手放した。
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