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 かきあげた前髪の下、つまりはおでこに絆創膏を貼られながら陽平は苛立ちを隠せずにいた。 「ちっくしょぉ……親父のやつめ……あ、痛っ」 「痛いのは生きている証。あれだけ騒いでこれで済んでいるならかわいいものよ」 「母さん、あの……もうちょっと優しく……」 「そういうのは別の母さんに任せておくわ」 「いや、俺の母さんあんただろっ」  一瞬悩んだ素振りを見せつつも「そうだったわね」と何事もなかったかのように治療を続ける母── 香苗(かなえ)── に、陽平はガクッと項垂れるしかなかった。 「手首……捻ってみなさい」 「こう……痛っ」  右手を内側に捻った瞬間、走る痛みに顔をしかめる。 「放っておくと長引くわね。待ってなさい」  長い黒髪を纏めるでもなく、自由にさせてなお不潔とは感じさせない香苗の立ち姿は、見る者が男性でなくともため息が出る美しさだ。  息子の陽平からしても間違いなく自慢の母なので、マイナス要因となるキツい目付きとぶっきらぼうな口調をなんとかしてほしい。せめてもう少し笑顔を見せてほしいと日々願っているのだが、父── 雅夫(まさお) ── の話では出会って一度も見たことがないらしいので、おそらく今後も秘匿され続けるのだろう。 「手、かしなさい」  戻った母に言われるままに、右手を差し出す。  庭から持ってきただろう小さな鉢植えを足元に置くと、それに右手の指先でそっと触れる。 「少しだけあなたの元気をもらうわ」  その気でいなければ聴き逃していただろう声量の呟きと共に、香苗の左手が淡い光を帯びていく。  痛みのある陽平の右手首に触れた母の手は人肌よりもやや温かい。例えるなら、まるで温泉にでもつけられているかのような心地良さがある。  そのまま右手首に触れられること数十秒。母の手が離れた瞬間には、もう手首に痛みは残っていなかった。 「いつ見ても不思議だよな。母さんの実家の(まじな)いだっけ。ほとんど魔法だよな」 「バカ言わない。魔法なんて現実にあるわけないでしょう」 「お、おう……」  いい加減見慣れた陽平でさえそう思うのだが、母は頑なにそれを魔法とは口にしない。曰く「古くから母さんの実家に伝わる治癒のお(まじな)い」らしい。  この “お呪い” が “いたいのいたいのとんでいけ” レベルだとはどうしても思えないわけだが、追求するのもはばかられるのでいつも有耶無耶になってしまう。それこそ記憶と一緒で、機会があれば知ることができるだろう程度に考えるようにしていた。 「陽平、これはいつまで続くのかしら」  これ、とはおそらく父お手製のアスレチックのことだ。  どこか元気をなくしたように見える鉢植えを抱えた母の問いに、陽平は少し考えてみる。 「そりゃ、俺が親父をギャフンと言わせるまで……かな」 「無理だからやめておきなさい。あの人は最も強い忍者、勝てる道理がないわ」 「いや最強とか……」  そもそも忍者など今の時代に何人もいてもらっては困る。そんなの嬉しくなってしまうではないか。 「陽平、ニヤけてるわよ」 「おっといけね。っていうか、そもそも勝てないから回数重ねてるわけで、すんなり勝てる相手ならハナから喧嘩ふっかけたりしねぇよ」  息子は父親の背を見て育つというが、どうやら母にはそれが心配でならないようだ。  小さくため息をつく香苗に、陽平は心配ないと腕を叩いて見せる。 「すーぐに親父のこと追い抜いてやっからさ。そうしたら母さんの心配の種もなくなるさ」 「そのお気楽思考は誰に似たのかしら」 「母さんじゃねぇのは確かだよな」 「そうね。……いいわ、あなたがもう少し強くなれば、あの人の強さがわかるはず。そうしたら諦めもつくはずよ」  普通は強くなることで実力差が埋まり、逆に諦めがつかなくなりそうなものだが、それほどに強者だというのだろうか、あの親父が。  陽平の知る限りの姿からでは、到底そう思えないのだが。
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