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序章
そこは戦火に包まれていた。
自然に恵まれた穏やかな土地。そんな理想郷のような姿はどこを探したところで見つかりはしない。
一面に広がるのは夜の闇さえも煌々と照らし出す炎の赤色。
そんな炎の中心にそびえ立つは、人間が住まうには不釣り合いな山ほどの大きさがある巨大な城。
その城の周囲を警戒するように飛行する影が1つ。
鳥ではない。もしも鳥なのだとしたら、人間の数十倍はあるであろう巨躯をもった鳥ということになる。
それは人と同じ形をしていた。しかし背には翼のようなものもあり宙を自在に飛び回っている。しかも鳥などのよりもずっと速くだ。
それは兵器だった。
人型をした巨大な機動兵器。戦うための機械には不釣り合いな獅子を象った胸部を持つ兵器。
搭乗者の男は、城周辺を忙しく見回していく。
上空から確認できた敵影は8つ。
周囲の雲を振り払い、男は自らの駆る人型兵器を高速で垂直に降下させる。
地面に激突するまで僅か数秒といった速度の中、急旋回して地面すれすれを勢いを殺すことなく飛翔する。
風になったような気分だった。
並び立つ敵影の間を通り抜ける瞬間に後腰から抜き放った刀を翻す。
笠と同時に跳ね飛ばされた頭部が無機質に落下すると同時に、2つの人型がガクッと崩れ落ちる。
「二つ」
味方がやられたことに気づいた敵影が4つ。振り返ると同時に手にした長槍を構えられ、舌打ち混じりに再び上空へと非難する。
肩部から手裏剣のような光弾を連続射撃。合わせて背負った二門の銃身を脇に構えてこちらも連続射撃を行う。
対空戦闘能力を持たない敵機は次々と被弾し、崩れ落ちていく。
「六つ」
この期に及んで逃げようというのか。背を向けて走り出す二つの機影に振り返ると、クナイを何枚も繋ぎ合わせたような特徴的な翼を四つ切り離して十字に組み立てる。
巨大な十字手裏剣を、回転をかけながら全力で投擲する。
敵機の胴を二つに割いて手元に戻る十字手裏剣を翼に戻し、男はゆっくりと自らの機体を降下させていく。
「あれから……どれくらい、経った……」
息も絶え絶えに、誰にともなく問いかける。
血と汗と泥と煤に汚れ、男は返事がないことに苛立ちを露にする。
いや、返事はあった。それは問に対する回答ではなかったが、男の緊張を解すには充分だった。
「あにうえっ──」
まだ幼い少女の声。
男を兄と呼ぶ声に、ほんの僅かだけ男の口元が優しい笑みを浮かべる。
「構うな琥珀、お前は巫女姫として城に逃げ延びた者たちを導くことだけを考えていればいい」
いったいどれほどの民を避難させることができたのだろうか。
殆どの男衆は戦に加わり、女子供が主に避難をしているはずだが、この切迫した状況では詳細を確認している余裕もない。
「いやです! あにうえも一緒に!」
「それはできん! 俺には最後の瞬間まで立ち塞がる義務がある」
それは男が民を導く主として、生を受けたときから定められていたこと。
それ以上に皆を守ると交わした約束が、男を無限に突き動かしていく。
「言ったぞ、構うなと。俺の妹なら、感情に流されず自らの責務を果たせ」
頬に流れ落ちてくる一筋の血を拭い、1度だけ城の方を振り返る。
「生き延びよ」
「あにうえぇぇぇぇぇ!」
戦の炎が煌々と照らしだすその姿は、人の形をした黒い機械の巨人。その背中には刃を重ねたような翼、胸には獅子の頭、そして手には一振の刀を持っていた。
いったいどれくらいの時間を戦い続けただろうか。
全身に無事といえる箇所はなく、肩を上下に大きく息をしている。
搭乗者の動きに同期して動く機械ゆえの人間くさい動き。
当然だ。搭乗者である男は、すでに心身ともに疲弊しきっていた。
しかし男の機体が完全に着地するのを見計らったかのように、さらに二つの機影が姿を現す。
「ちッ!? 執拗い!!」
背後から襲いかかる二つの機影に、男は機体を跳躍させて回避する。
回避から宙返り、着地から踏み込み。そして刀を一閃。
胴切りにされて崩れ落ちる笠を被った足軽風の敵機を、男は虫けらでも見るかのように一瞥する。
一歩近づき、動かないことを確認すると、苛立ちを込めて頭部を踏み潰す。
小さな破裂音と共に砕ける頭に、男は不快を隠そうとはしなかった。
「まがい物風情が────」
今屠った以外にも、ゆうに50機くらいは行動不能にしてきた自覚はある。
これだけの規模で攻め込まれた以上、もはや守るべき屋敷も村も民も残ってはいないはず。
唯一の気がかりは、戦火が拡大するよりも前に脱出を試みた妹が、無事に逃げ延びたかどうか。
一族特融の緑がかった黒髪を揺らし、最後まで泣きながら自分を呼んでいた妹を思い出し、男は小さく頭を振った。
そして改めて上空のそれを睨みつける。
「キサマはいったい何者だッ! なんのためにこの地に戦火を呼び寄せた!」
鬼気迫る形相で、怒りの声を空に向けて解き放つ。
その視線の先にあるものは、淡い緑の光を放つ小さな小さな少女の姿形をしたなにかだった。
それがなんであるかは男にもわからない。
わかっているのは、姿こそ少女に見えるそれが男の守るべきものすべてを殺し、ただいたずらに戦火を拡大させる存在であるということ。
男の駆る兵器からすれば、手で触れるだけで握りつぶせてしまえそうな小さな存在であるはずが、超常を起こす力が容易くそれを弾き返す。
血が滲むほど唇を噛み、痛みで辛うじて冷静さを保つ。
手を伸ばして滅ぼせぬ相手ならば、最大の力を以て滅ぼす以外にない。
手にした刀を構え、刃を重ねたような翼を広げ、地を蹴って飛翔する。
空に吸い込まれていくような速さの刺突。刀の鋭さからいっても確実に小さななにかを滅ぼしていたはずだった。
だが、そうはならない。
切っ先が淡い緑の光に触れた瞬間、対比するのもばかばかしくなるようなサイズ差の機体がピタリと動きを止めたのだ。
押すも引くも適わず、男は奥歯を噛み締めた。
「この……化け物めッ!!」
男が吐き捨てた瞬間、背後からの強い衝撃に吹き飛ばされる。
大地に叩きつけられただけでは勢いを殺しきれずに何度も転がりバウンドを繰り返す。
「おのれッ!! どいつもこいつも……俺の邪魔をするなァ!!」
強引に体を起こして体勢を立て直し、眼前に迫る銀の鎧武者に怒声を放つ。
振り下ろされる刃をギリギリの距離で回避すると、カウンターで腹部に膝蹴りを突き刺し、器用にその場で体を回転させた裏拳で叩きのめす。
「キサマらも、あの化け物も、俺は決して許しはしない……!」
立ち上がる鎧武者が長大な刀を構える。先までの小技とは違う一撃必殺の気迫を感じ、男もまた手にした刀を黒い巨人に構えさせた。
互いの刃に集まる光が圧力を増す。両者を囲むように風が吹き荒れ、既に一面木々さえも存在しない大地を削り砕いていく。
光を纏う鎧武者と、光そのものを長大な刀身に変える黒の巨人が、裂帛の気合と共に咆哮をあげる。
両者の立つ戦場を包んだ嵐が激しさを増していく。
鎧武者が先に踏み込んでくる。悪鬼のものと思えるような咆哮をあげて振り下ろす大太刀に、男は自らの一撃で応じる。
「沈めッ!!」
柱のように聳え立つ光の刀身を、情け容赦なく相手に向かって叩きつける。
剣閃であるはずが、斬るというよりも叩きつけるが相応しいそれを振り下ろすと同時に、周囲を薙ぎ倒すほどの衝撃波が一気に地平の彼方まで走り抜ける。
到底剣技とは思えない破壊力の一撃。大気を裂き、大地を穿ち、真っ直ぐに放たれた破壊の力に、鎧武者の大太刀が音もなく砕けて消える。
膨大なエネルギーの奔流に飲み込まれた鎧武者は、断末魔の声を上げることも適わずこの地から消失することとなった。
「……ッ!」
舞い上がる土煙の中、不意に襲ってきた眩暈に男は思わず膝を折る。
「はぁ、はぁっはぁ……!」
肩で粗い呼吸を繰り返して胸を押さえ、早鐘のような心臓を強引に鎮める。
しかし次の瞬間には身体を包み込む淡い緑の光が呼吸を整え、男に再び戦う力を与えてくれる。
傷さえも癒える得体の知れない光に、男は見つめる掌を拳に変える。
「またなのかッ!!」
その言葉は、やはり上空に佇む少女に向けられたものだった。
「キサマはいったい何なのだッ!! 俺を無限に戦わせて、この世界を滅ぼせとでもいうつもりかッ!!」
怒りや嘆き、不安や焦りを言葉に乗せて叩きつけるも、少女は眉一つ動かすことはない。
「答えろッ!! キサマの目的はなんだ。なぜ俺からすべてを奪おうとする……なぜ死ぬことさえ許さん……!」
少女の唇が微かに震える。
聞こえるか聞こえないかの、本当に小さな少女らしい声がただ一言を紡ぐ。
「ねがい」
「願い……だと!? こんな地獄を誰かが望んだとでもいうのか!」
血を、汗を、命を絞り出しても何も救えない。こんなものを望んだ者が本当にいるのだとしたら、それはもはや悪鬼羅刹などと呼ぶには生温い。
少女は肯定も否定もしない。ただ無表情に男を見下ろすだけ。
「ならば俺はその願いを否定するッ!」
一瞬、少女の表情が強張ったように見えた。
「キサマという存在も、全て俺が否定する……! たとえ……どれだけの犠牲を払おうとも、俺は、必ず、キサマを……」
ありったけの憎悪と憤怒の感情を瞳に宿して、宙に浮かぶ少女の姿を凝視する。
まだ少女。緑がかった黒髪を二つに結い、あどけないながらも綺麗と思わせる顔をした死神の姿。
その顔、その声、その瞳を忘れはしない。
たとえ、幾千、幾億の時が経とうとも、決して。
諦めない。何億光年の彼方までも追い続ける。
そして必ず、おまえを──
「お前を、殺す」
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