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狗の刻に苑介は帰ってきた。
「おかえり」
「た、ただいま」
苑介は恐る恐る泰介の顔色を伺う。
「泰介?」
泰介はばっと振り返って苑介を睨めつけた。
「怒っていないからな」
苑介は一瞬、きょとんとした。だってつっけんどんな物言いは明らかに怒っている。くすくすと笑い出す苑介に泰介はいよいよ本格的に怒る。
「なんで笑うんだよ!」
苑介は笑うのを堪えながら切れぎれに言う。
「だって子どもの頃とちっとも変わらない。泰、ごめんなあ」
双子といえど貞介は末っ子で幼い頃から甘えたであった。今では体躯は大きく立派に敦賀屋の主人だが対兄になるとはてんで駄目である。ちなみに自覚はない。
「はあ?」
泰介の声が大きくなる。そこに貞介が割って入った。
「ほらほら。そこまでにしなよ。兄さん。僕、泰の面倒を見るのは嫌だって言ったじゃない」
「貞まで!」
貞介が割って入ったからといって収集がつくわけではない。貞介は全く悪気はないのだが要らんこと言いである。
敦賀屋は一層騒がしくなってしまう。そこへ徳松の穏やかな雷が落ちた。
「ほんにまあ仲がよろしおすな。敦賀屋に夜は来はるんやろか」
三兄弟は瞬時に静かになりささっとそれぞれの部屋に引っ込んだ。
「本当に幾つになったんだか」
徳松は呆れ気味に呟いておっと!と口を覆った。
「うちでは禁句やった」
大体これが敦賀屋兄弟の日々である。
人ならざるものの血を引く兄弟でも仲がいいということ以外は極々普通の穏やかな暮らしだ。
しかし兄弟は人と同じようには年を取らない。ゆえにこの生活を今は兎も角、永遠に続けられるわけではない。
それでも続けられる限りは京の五条御幸町通りの側の敦賀屋で人にも人ならざるものへも商いを続ける所存である。
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