序章  敦賀の娘と敦賀屋

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序章  敦賀の娘と敦賀屋

今からほんの少し昔の話である。 京の都の五条御幸町通りのそばに老舗呉服商である敦賀屋はあった。 その名の通り敦賀の国からやって来た初代が開いた御店である。 仁之介は当時、その敦賀屋の七代目になるであろう青年であった。仁之介が十九の夏、初代の生家がある敦賀へ父の名代で出かけた。仁之介はその夏には帰らず、怪我をしたのか病にでもかかったのかと家人を心配させた。仁之介は葉の色も染まろうという秋のはじめにまだ少女とも言える娘を手引いて帰京した。娘の名はいづといって雪のように色の白い、儚げで何とも美しい見目をしていた。家人は驚いたが嗚呼、何だそういうことだったのかと納得した。いささか問答はあったものの連れて来てしまったものは仕方がない。その冬、京の都にも雪が積もり凍てつくような寒さの日にいづは敦賀屋に嫁入りした。 仁之介といづはそれはもう仲睦まじい若夫婦だった。二人が纏う空気はひたすらに穏やかで優しく、何だかずっと見ていたいと思わせた。 しかし始終一緒にいることはできなかった。いづは寒さには強かったが暑さに大層弱かったのだ。その年は冷夏であった。けれども京のじっとりとした暑さは敦賀とは比べものにならなかった。いづは大きくなり始めた腹をさすりながら避暑地で夏を越えた。 冬、一年前に嫁入りした日と同じ体の芯から凍てつくような寒さの日にいづは赤子を産んだ。いづに良く似た男の子であった。 子が生まれたこともあって仁之介は跡目を譲られ、晴れて敦賀屋七代目となった。 子どもは雪のように白く美しいかんばせもいづ似であったが寒さに強く、暑さに弱いところもよく似ていた。 夏になると避暑地へ赴かなければならない二人に仁之介は薄い羽織を仕立ててやった。それを着ていると幾分か楽に過ごせるようだった。 子どもが数えで四つほどになるとあまりにも可愛らしいので敦賀屋の反物を仕立てた振袖を着せて店先で遊ばせた。すると反物が売れること、売れること。男の子ではあったが敦賀屋の幼い看板娘と相成ってしまった。 そうこうしているうちに子どもは十になり、いづと仁之介は新たな命を授かった。 今度はお産が夏になりそうなことと、いささか大き過ぎる腹から双子であろうことから難産が予想された。 その日は京特有のじっとりとした嫌な暑さではないものの十分にいづを苦しめた。けれども難産の果て彼女は元気な双子を産んだ。今度は二人とも仁之介といづ双方に良く似た子どもたちであった。 双子はすこぶる元気に育っていったがいづはなかなか元気にならなかった。床に伏せっていることが多くなり、ついには故郷の敦賀へ一番目の子どもと療養へ行ったきり帰ることができなくなってしまった。 それでも仁之介は離縁することはなかった。ただ遠く離れた京から双子と共にいづを想う日々を送った。 それももう、少しとはいえ昔の話なのである。 時は動乱の幕末を越え、維新だ文明開化と叫ぶ時代、明治。 仁之介は昨年ひっそりと息を引き取った。明治十一年のことである。享年、五十五であった。 敦賀屋も新たな時代を歩み始めることと相成ったのである。
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