第三章 かつての花嫁

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第三章 かつての花嫁

初夏の雪山に少女が佇んでいる。 薄花色の着物を着た彼女は周りの雪に負けず劣らず肌の色が白く、日の光を浴びて反射させている。結い上げることなく背に垂らしている髪は艶やかな黒だ。憂いを帯びた瞳も同じ色をしている。 少女のそのかんばせは苑介によく似ている。今は憂いを帯びている、切れ長だがくりくりっとした瞳は双子と瓜二つ。 そう、彼女はいづである。 ここは彼女の故郷。敦賀の山奥。山というのは人の世界と人ならざるものの世界の境が曖昧な場所である。 「お嬢さまに文が届いてございます」 いづをお嬢さまと呼ぶのは守役のような存在の雪狐、凍夏である。いづはあまり興味がなさそうに凍夏の咥えた文をちらりと見やったきりだ。 「泰介坊っちゃまと貞介坊っちゃまからにございますよ」 「あら」 いづはそれを早くお言いなさいなというように凍夏に駆け寄った。文を広げるなりふんわりといづは微笑んだ。 「可愛い。泰介は字が綺麗ね。貞介はちゃんとお兄ちゃんしてる。双子なのに!」 いづは見かけだけでなく言動も少女のままだが彼女は母の顔をして愛おしそうに字を指先でなぞってからうっとりと目を瞑る。 「息災であらせられますか」 凍夏も兄弟をよく知っている。彼はいづの様子を見に京へ出かけたり、苑介の共をしたりしてきた。 「ええ。副業の方も調子がいいみたい。白無垢の依頼を承ったって」 「白無垢にございますか。大仕事ですね」 「私の白無垢について聞いてる」 いづは静かに目を閉じた。瞼の裏に敦賀屋に嫁いだ日の光景が鮮やかに浮かぶ。昨日のことのように覚えている、というよりも長い時を生きるいづには感覚的には昨日のこと、に近いのだ。昨日のことのようなのに今や隣にも敦賀屋にも仁之介はいない。 一瞬、冷たい風が吹いたがいづはすぐに収めた。 「お嬢さまはお嫁に行かれたんですね」 凍夏は京の敦賀屋のある方に振り返って呟いた。 「そう。私、お嫁に行ったの。確かにお嫁に行ったのよ」 いづも京の敦賀屋の方を見つめ一音、一音を噛み締めて呟いた。 嫁いでから仁之介と共に過ごした時間は瞬きをしたその一瞬であった。しかし短くとも過ごした日々は真に違いなく、いづはしかと抱き締めている。 「私、お嫁にも行ったし子どもだって三人もいるの。それも大きい子。それなのに私はまだお嬢さまなの?凍夏」 努めておどけるいづに凍夏は応える。 「私めにすればお嬢さまはいつまでもお嬢さまにございますよ」
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