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第四章 伏見の狐
いづの白無垢は雪狐の狐火から作られていることがわかった。しかしそれは祝いの品だった。恐らく、兄弟が頼めば敦賀の雪狐は無償で請け負ってくれる。というよりも報酬を受け取ってくれない方が心配なのである。敦賀屋兄弟は商いをしているのだからそれではいけない。
というわけで雪狐の力を借りずに白無垢を作りたい。そこで浮かんだのは伏見の狐の狐火ではどうか、という案であった。
雪狐の狐火で作られたいづの白無垢が光を反射せず吸収するのは光を食むから。
凍夏曰く、雪狐も御雪の一族もその毛の肌の白さゆえに光を反射する。そこで生まれるのは強い光、そして影。決して透けることはない。更にその力と影は体の中から生み出す炎、狐火になる。影は力を得、光を食んで一層燃えるのだという。
「待って、待って。そうだよ。光を食むなら、光の宮さま自身を食んじゃうよね」
貞介は慌てた。
「そうですね・・・」
「宮さまは淡い御方というし」
泰介も腕を組んで唸る。
「透けてしまわず、宮さまを食まない白無垢を作らねばならないんだな」
ふむ、と苑介は考えて言った。
「じゃあ尚更稲荷の狐に聞くしかないな。稲荷の狐の狐火がどういったものかわからないことには何とも言えない」
苑介言う通りだ。透けることがなくでも光を食まない、生地が必要なのだ。
早速、伏見の狐の元へ赴くこととなった。普段ならば、人ならざるものとの交渉は苑介であるが今回は泰介が行くこととなった。
「いーやーだー」
「そんなこと言わないの。泰は敦賀屋の主人だろ」
そう貞介に言われて泰介はうぐっと蟇が潰れたような声を出すも床にへばりついて離れない。
「・・・稲荷の狐は怖い」
そう零す泰介を覗き込めば稚児のように頬を膨らませている。二十五にもなるのに。
「怖いって?何でさ」
人ならざるものからの仕事を受けてきたのだからもっと見目が人離れしているものたち、ありたいていに申せば恐ろしい怖いものたちとだって付き合いをしてきた泰介である。何を今更。そもそも凍夏は何だと言うんだ、と貞介は不思議そうにする。
「泰はなあ、嫌味を躱すのが下手だから」
苑介は苦笑する。そうなのだ。京の含みを持った言い回しが泰介は得意ではない。京生まれ京育ちにも関わらず、だ。真っ直ぐに返して拗れることはしばしばある。それに対して苑介と貞介はその含みを持った言い回しが大得意である。流石京生まれ京育ちである。奥ゆかしいやり取りが好まれることもあるということだ。
しかし、泰介のその真っ直ぐな応対は清々しく気持ちがいい。そもそも人ならざるものたちは困って敦賀屋に駆け込むことが多いので「どうしました」と訊いてくれる方が有難い。
泰介たちの人ならざるものの商いは喜ばれることもある一方半妖風情がと罵られることもある。稲荷の狐たちはまずもって後者だ。狐というのは元来気位が高い生き物である。凍夏の前では決して口には出さないが。
「何で兄さんが行ってくれないんだあ」
泰介はべそべそと泣く始末である。それほどまでに嫌か。
「試してみたいことがあるんだ。代わりに凍夏に共に行って貰おう。それならいいだろう?な、泰介」
「よくありませぬ!」
本来の姿、青みがかった鋼色の雪狐姿で休んでいた凍夏は飛び上がった。
「頼むよ、凍夏」
「申したではありませぬか。狐と雪狐は違う生き物。ほんの少し似ている分、お互いよく思っておりませぬ」
要はお互いで己らこそが上位だと思っているのだ。
「そこを頼む!」
「いいえ!苑介坊ちゃんの頼みでも聞けませぬ!」
凍夏は頑なである。
「い〜て〜な〜つう〜」
はしっと凍夏の体を床にへばりついたままの泰介が掴み、恨みがましく呻く。
「お願いだよう」
泣きべそかいた大男。はたから見ればみっともないのだが、やはり凍夏には可愛く見えたようだ。
「承知、仕りました・・・」
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