のこされたもの

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 斎藤は、ぼんやりした。  この人はなにを言っているのだろう。 「昨日の、ちょうど今くらいの刻だとさ」  ――ますますおかしい。  結核におかされた沖田総司は、確かにもう助かるとも思えなかったが、それにしたって遥か江戸に置いてきたのだ。  仮にそれが本当のことだとしても、誰がそんなに早く知らせに来るというのだろう。 「斎藤、総司の野郎だよ」  土方はこっちを向いた。穏やかな黒い瞳で、斎藤を見つめた。 「総司の化けたのが、俺んとこに知らせに来たよ」 「……そうですか」 「なんだ、斎藤、信じるのか」  斎藤は遠い目をした。この副長、じゃあどうしろというのか。 「……俺は、沖田さんには良くしてもらった。だからあんまり、信じたくはないですが。……信じておきますよ。副長は、俺に冗談は言うけど、嘘をついたことはないから」 「ふ。じゃ、冗談かもしれねえ」 「それこそ……。あなたが冗談で、仲間を殺すひとですか」  斎藤は眠そうな目を更に眠たげにして、土方の役者みたいに整った顔を眺めた。  この副長が鬼と呼ばれたのは。  いつだって本気だったからだ。  仲間であっても、殺すと決めれば本当に、みんなちゃんと殺してきたからだ。  情がないというよりは、人の生死に関して情をはさみ、自分の目を曇らせるのが嫌なのではないかという印象がある。こいつは死ぬべきだと土方が判断すれば、もうその人間は死ぬしかないのだ。  だから。  べつに土方が殺したわけではないけれど、このひとがはっきり「死んだ」と判断したのなら、やっぱり沖田は死んだのではないだろうかと思う。  化けてでた云々はともかく、死んだということには納得してもいい。 「そうかい斎藤、俺はそんなひとか」  日陰のなか、冷たい壁に張りついて、土方は愉快そうにくつくつ笑った。  日なたにこめかみを焼かれながら、斎藤はうっそりと頷いた。  ……だが、それにしても土方歳三とは、こんなにも人を煙に巻くような話し方をする男だっただろうか。 (それとも、ついていけていないのは、ただ俺がぼんやりなだけだから、だろうか。……) 「さてと、休憩は終わりだ」  呟いて、土方は壁にもたれるのをやめた。  ひとりでちゃんと立って、一度ぐっと伸びをして、少し確かめるように右足に体重をかけて、それからまた、斎藤に背を向けた。  斎藤の、寝ぼけているみたいな瞼の奥の目がチカチカとなって、そんな土方の姿が見えたり見えなかったりしている。  眩しいのは苦手だった。  あと一歩近づけば、斎藤も土方のいる涼しい日陰に入ってしまえる。  しかし、このときはなぜだか、もうそういう気はおこらなかった。 「……土方さん」 「うん」 「思っていたよりお元気そうで、よかったです」 「そうさ、あとふた月もすりゃ本復だ。そしたら、またひと戦だぜ。……そのころには、もう会津はだめかもしれねえが、まだ北がある。俺は、俺は、北にいきゃあいい。……」  ぶつぶつ言いながら、薄暗い道を、土方はひとり歩きだした。そのうなじが洗ったように真っ白いのを、斎藤は突っ立ってぼんやりと眺めている。 「あァそうだ、斎藤」  振り返らないまま、土方は思い出したように言った。 「天寧寺にな、近藤さんの墓ができた。骨もねえ名もねえ墓だけど、せっかくだ。暇なら行ってやってくれ」 「そうですか。……そうします」 「おう。――さあて、近藤さんにまで化けてでられちまう前に、早く俺もいけるようにならねえとなあ」  土方の後ろ姿は、日陰の道をゆっくりと遠のいていく。  斎藤は元来の猫背をもっと丸めるような一礼をすると、療養所の表へ、のそのそと出て行った。 ******** 五月三十日  沖田総司、千駄ヶ谷にて病没。享年二十七 八月  会津戦争激化。  新選組、二分。土方歳三は北上、山口二郎(斎藤一)は会津城下に残留 九月十日  土方歳三率いる新選組、榎本武揚らとともに蝦夷地へわたり、函館を占拠 明治二年(1869) 五月十一日  土方歳三、一本木関門にて討死。享年三十五 ******** 大正四年(1915) 九月二十八日  藤田五郎(斎藤一)、東京にて病没。享年七十二
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