1/1
前へ
/14ページ
次へ

 無機質でざらついた灰色の体。岩肌のように硬質的に見えるのに、怪物の胴体の左右から伸びる合計の七本の腕は、ロープのように柔らかに揺れ、そして小刻みに狂おしく震えている。  その二メートル程の巨体の一番上には――恐らくは目と、口に相当するであろう器官があった。というのも、私には、それらが等しく真っ黒に塗り潰された穴にしか見えなかった。  怪物の七本の腕の内、左右の一本ずつが、私に近づいてくる。人間と同じく五本指ではあるものの、指は異様に長く、手のひら自体も私の胴体くらいの大きさがある。  にげなければ。  そう思うのに、体が動かない。  どうしようもない恐怖と、疲労で、動けない。  怪物は私が逃げられないことを理解しているのか、壊れ物でも扱うように左右から掴み、持ち上げる。痛みが生ずるほど強くは掴まれなかったが、固定された指は、微動だにしない。  怪物の顔が近づいてくる。  怪物が口に相当するであろう穴を、大きく開く。  それは、本当に大きく開いた。まるでゴム質であるかのように、大きく開く。私の体がまるごと収まってしまうほどに、大きく。真っ暗な世界が、孤独の闇が視界いっぱいに広がる。  ――否、孤独ではなかった。  闇の奥――本当にうっすら、ぼんやりと、いくつもの顔が浮かび上がる。それらの多くは、小学生程度の子供のように見えた。苦悶に歪み、泣き叫ぶ子供の顔が浮かんでは、曲がり、薄れて、消えて、また現れる。  魂というものが存在するなら、まさに、あれがそうなのではないだろうか。 「……こいつが、食べてた……?」  私のつぶやきを肯定するかのように、怪物は私の体を、その闇の中へと押し込んでいく――    ああ……くそう、どうなっちゃうのかな、私、死ぬのかな?  植物状態の子供たちみたいになるのかな? たぶん、それはすごく苦しいのだろう。闇の中の子供たちの顔を見れば、そうわかる。  なんて死に方だろう。  人間いつか死ぬっていっても、よりにもよって奈々子に巻き込まれて、奈々子を助けるために死ぬなんて、馬鹿なんじゃないか。ダーウィン賞ものじゃないか。  奈々子め、くそ、奈々子の癖に、奈々子……。  やだな。  奈々子の顔しか浮かばない。奈々子の髪の感触とか、いつもベタベタつけてる香水のニオイとか、背中をぶっ叩かれた時の痛みとか、私を引きずる手の感触とか――  奈々子にお姫様抱っこされた、さっきの感じとか――そんなんばっかり浮かんでくる。  死んだ両親とか、妹とかじゃなくて、よりにもよって奈々子か。  ……本当に、ムカつく。最後まで振り回しやがって。  そして……  べきり。  ごきん。  痛みはなく、しかしその音は、確かに私の鼓膜を震わせた。 
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加