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おおきく振りかぶって
かつん、かつん。
あの足音が聞こえる。
あれだけ大騒ぎしていたのだから、察知されるのは当然だ。
しかし、今回は寧ろ歓迎したい。こちらから探しに行く手間が省けたのだから。
「……ただ、これで正解かどうかがまったくわからない」
路地の角に身を潜め、私は手元の石像――ちゃんと汗取りウェットティッシュで磨いた石像を見下ろす。汚れは取れたが、傷に関してはどうにもできない。
奈々子の話を聞く限り、あいつは私と違って「急に引きずり込まれちゃった」のだという。勝手にノコノコと入り込んだ私と違って、あの怪物は意図して奈々子を連れ込んだのだ。
その奈々子がなんで無事なのかというと、「カバンを叩きつけたら悶え苦しんでた。めっちゃウケた」とか言っていた。
まぁそれはともかく、大事なのは、狙われたのが私でなく奈々子という点だ。
“石をぶつけた”と“犬の糞を擦りつけた”という二択でどっちが腹立つかは人それぞれなのでわからない。
ただ私と奈々子の明白な違いは、すぐに台座に戻したか、そのまま持って帰ろうとしたか――だと思う。
つまり、この石像をあの怪物に返せば、ことはすべて丸く収まるんじゃないか……なんて、私の願望だが。
「もしくは奈々子を生贄に捧げるか」
「ミズキちゃんひどーい。冗談でもそんなこと言っちゃダメなんだよ? それともミズキちゃんは私を傷つけたいの? それはそれで興奮するよね
。――あれ、ねえ、冗談だよね? ねえ? なんでこっち見てくれないの? ねえ、ねえ」
後ろで喚く奈々子がやかましいが、今は目前の怪物に集中する。
古くより、ああいった妖怪か神様の類は、誠意と礼儀を持って尽くせば許してくれるもの――だと信じたい。少なくとも“もののけ姫”とかだとそうだったし。
「よし、オッケー、よし……」
「そのオッケーって私を生贄にする決心がついたとかそういうんじゃないよね? ねえ、ねえってば、ねえねえ」
「うっさい黙ってろ……! まずったと判断するまでお前は出てくるなよ。お前の存在自体が無礼の塊なんだから」
「お前を危険な目に合わせられないから下がってろなんて、ミズキちゃんイケメン……」
「都合の良い耳してんね」
かつん、かつん。
薄闇の奥、徐々に怪物のシルエットが浮き彫りになる。
ずんぐりとした円錐状の体。左右に伸びる細長い腕、合計七本が塀をまさぐっている。
なんとなく気づいていたが、この石像はあの怪物の形にそっくりだ。奈々子の影絵あそびでも勘違いしてしまうレベルで。となると、やっぱり石像と怪物には必ず因果がある。
大きく深呼吸。大丈夫だ、オッケー。自分の判断を信じよう。
私は、一気に道の真ん中、怪物の進路を塞ぐように飛び出した。
そしてすぐさま、石像を両手で持って突き出す。
「あ、あの! これ! 返します!」
かつん――
薄闇の向こう側、おぞましい輪郭がぴたりと動かなくなる。
足を止めた?
き、聞いてくれてるのか?
「うちの馬鹿が持って帰って本当にすみませんでした! ちゃんとお返ししますので、どうか、私達を許し――」
カツカツカツカツカツッ!
突如、怪物は速度を上げて迫ってきた。
ああ、くそ、ダメか!? それとも石像を受け取りに近づいて来てるだけか!? どうする? どうする!?
「ミズキちゃん交代!」
立ち尽くしてると、奈々子が突然飛び出してくる。
そして私の手から石像を奪い取った。
「こういうのはね! もっと誠心誠意心を込めてストレートに想いを伝えなきゃダメなんだよ!」
「いや待て、なんだそのピッチングフォームは! 何するつもりだよ! 大きく振りかぶって何するつもりだよ!」
奈々子は石像を持つ腕を大きく振りかぶる。スカートであることも気にせず左足を大きく突き上げ、そして大きく踏み込み、鋭く腰を捻った。自称スポーツ経験無しにしては美しすぎる一連の流れで――
「クーリングオーフ!」
あろう事か、投げつけやがった! あとクーリングオフはこういうときに使う言葉じゃない!
投擲物は薄闇の中、宙を裂く。
暗くてよく見えなかったが、ドリルのように錐揉み回転してるようだった。
そしてソレは――
闇色の空に消えていった。
遠くの方で、がささ、とか音が聞こえる。庭木か草むらに落ちたのだろう。
「いや、ノーコンかよ! 何がしたかったんだよ!」
「だってスポーツ経験Nothing」
「もういいばーか! 逃げるぞ馬鹿!」
近づきつつある怪物に背を向け、奈々子の腕を掴む。そのまま引っ張ろうとしたが――何故か奈々子が動かない。
「ごめん、今の投球で足グネったっぽい」
「ほんっとお前何したいの!?」
「いやぁ、面目ない。えへへ」
えへへとか笑ってるが、洒落にならない。
私じゃ奈々子を連れて行くことなんてできない。ひとりで走っても追いつかれかねないのに。しかし今の奈々子は私よりも速度が出ないはずだ。
……それならもう、こうするしか――
「ミズキちゃんデコイGO! 私まだ死にたくない!」
「そのつもりだったけどお前から提案してくるなよ! 無事に帰れたら覚えておけよ!」
私はヤケクソに、持っていたカバンをファスナー開いたまま怪物に向かって投げつける。
ぶわ、とタオルや筆箱、ノートが広がって、怪物の視界を遮った。全部大事なものだったが、財布とスマホと家の鍵はポケットにあるので妥協する。
その隙に私は、何とか怪物の脇を通り抜ける。何本もある腕が宙を掻いていたけど、幸いにも全て外れてくれた。
しかし、怪物が纏う生暖かい空気と、ニオイは、とても気持ちが悪い。
――鼻に突く異臭。強い刺激臭というわけじゃないが、胸の奥に不快な空気が溜まるようなニオイ。地面が剥き出しの田舎の墓地のニオイに近い。土と石と死体のニオイ。
吐きそうになるのを堪え、私は怪物の背中側に出る。
そこで振り返ると、早くも奈々子は姿を消していた。あいつほんとに足挫いてたのか!?
しかしどのみち、私に残されたのは逃避しかない。
怪物が巨体をぐねらせながら周囲を見渡して――後ろに立つ私に気づく。
そして、七本の腕を私に伸ばして、追いかけてきた。
当然、私は逃げる。
自分の中の火事場の馬鹿力を信じて、地を蹴った。
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